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青森地方裁判所弘前支部 昭和53年(ワ)131号 判決 1989年5月25日

目次

主文

事実

第一 当事者の求めた裁判

一 請求の趣旨

二 請求の趣旨に対する被告らの答弁

第二 当事者の主張

一 請求原因

1 本件災害の発生及び原告らの地位

2 本件土石流発生当時の蔵助沢及びその周辺の状況

(一) 蔵助沢の状況

(二) スキー場及びその周辺の森林等の状況

(三) 砂防施設

(四) 気象観測施設

3 本件土石流の発生とその結果及び原因

(一) 本件土石流発生当時の気象概況

(二) 本件土石流発生当時の降雨状況

(三) 本件土石流の発生及び流下状況

(四) 本件土石流による被害の状況

(五) 本件土石流の拡大要因

4 責任原因

(一) 土石流の特性

(二) 土石流災害対策

(三) 土石流と森林

(四) 土石流発生と気象観測

(五) 土石流災害に対する行政の対応

(六) 被告国の責任

(七) 被告青森県の責任

(八) 被告岩木町の責任

5 原告らの損害

(一) 原告らの固有の慰藉料

(二) 死亡者の慰藉料及び相続関係

(三) 弁護士費用

(四) 合計額

(五)

6 結論

二 請求原因に対する被告らの認否

三 被告らの主張

1 土石流一般について

(一) 土石流の定義

(二) 土石流の特性等

(三) 土石流発生の機構

(四) 土石流の流下形態

2 蔵助沢周辺の状況及び本件土石流の原因等について

(一) 岩木山及び蔵助沢流域の地形、地質等について

(二) 蔵助沢流域の森林の概要及び管理並びに本件土石流との関係

(三) 百沢スキー場の設置・管理と本件土石流の関係

3 土石流災害対策について

(一) 土石流災害対策一般について

(二) 被告国の土石流災害対策について

(三) 被告青森県の破防行政について

(四) 蔵助沢の砂防設備について

(五) 気象観測について

(六) 避難措置による土石流対策について

4 被告らの法的責任について

(一) 蔵助沢における土石流発生の予見可能性について

(二) 砂防に関する行政上の指導監督義務及び砂防指定地の管理義務違反について

(三) 蔵助沢流域周辺保安林及び蔵助沢の管理義務違反について

(四) 降水量観測の不実施について

(五) 百沢スキー場の設置、管理義務違反について

(六) 防災対策の不実施について

5 結論

四 被告らの主張に対する原告らの認否

第三 証拠<省略>

理由

第一本件災害の概要

第二本件土石流発生当時の蔵助沢及びその周辺の状況

一蔵助沢の状況

1 位置

2 地形

3 地質

4 植生

5 降雨状況

6 沢の堆積状況

二百沢スキー場及びその周辺の森林の状況

1 蔵助沢流域の国有林野の特色及び薪炭共用林野について

2 百沢スキー場の設置について

3 蔵助沢流域の国有林内の保安林指定・解除及び薪炭共用林野の解約について

4 蔵助沢流域の国有林内の森林伐採状況について

5 伐採跡地のその後の状況

6 百沢スキー場の設備及び管理の状況

三蔵助沢の砂防施設の状況

1 蔵助沢の砂防指定地

2 蔵助沢の砂防設備

(一) 一号床固工及び三号床固工について

(二) 二号堰堤について

3 本件土石流発生前の各砂防設備の状況

四気象観測施設の状況

第三本件土石流の状況

一本件土石流発生当時の青森県の気象概況

二本件土石流発生当時の岩木山周辺の降雨状況

三本件土石流の発生と流下状況

1 山腹の新規崩壊と本件土石流の発生

2 本件土石流の流下状況

(一) 発生から蔵助沢二号堰堤まで

(二) 蔵助沢二号堰堤から蔵助沢三号床固工まで

(三) 蔵助沢三号床固工から下流

3 本件土石流の土砂収支について

4 洪水流量等について

四本件土石流による被害の状況

第四土石流の特性等と本件土石流の原因

一土石流の特性等

1 土石流の定義

2 土石流の発生形態

3 土石流発生の要因

(一) 土石流の発生に関与する因子

(二) 土石流発生因子相互間の関係

4 土石流の流動形態の特徴

5 土石流災害の特徴

二土石流と森林

1 森林の公益的機能

2 森林の治山機能について

(一) 出水量の調節機能(理水機能)

(二) 表土の侵食防止機能

(三) 崩壊防止機能

3 森林の土石流抑止機能

三本件土石流の原因

1 発生原因

2 蔵助沢流域の森林伐採と本件土石流との関係

3 百沢スキー場と本件土石流との関係

(一) 森林伐採による東の谷からの洪水流量の増大の影響

(二) スキー場ゲレンデ部分の一部埋立て土砂の影響

(三) スキー場ゲレンデ部分の平坦化作業に使用したアップルロード残土の影響

第五土石流の予知・予防に関する研究について

一土石流研究の経緯

二土石流研究の現状

1 土石流の発生・流動・堆積現象の解明について

(一) 土石流の発生機序について

(二) 土石流の流動形態について

(三) 土石流の堆積過程について

(四)

2 土石流発生の予知について

3 土石流対策の研究について

(一) 土石流の発生防止について

(二) 土石流の阻止あるいは無害処理について

(三)

三本件土石流発生当時の土石流研究の状況

第六行政の土石流対策について

一我国における土石流災害対策の歴史

二国の土石流対策開始の契機

三昭和四一年の土石流発生危険区域の全国調査について

1 調査の目的

2 調査の内容

3 調査の実際

4 調査の結果

四四一年調査の結果に基づく国の行政指導

五国の土石流対策計画

六青森県の土石流対策

1 青森県の砂防の沿革について

2 四一年調査について

3 国の行政指導について

4 土石流対策施設について

5 地域防災計画について

七岩木町の土石流対策

第七被告らの責任について

一被告国の責任について

1 砂防に関する行政上の指導監督義務違反について

(一) 国の権限

(二) 権限不行使の違法性の要件

(三) 土石流発生の具体的危険性に対する予見可能性

(四)

2 蔵助沢周辺保安林の管理義務違反について

(一) 国家賠償法一条一項に基づく損害賠償責任について

(二) 国家賠償法二条一項に基づく損害賠償責任について

3 蔵助沢の管理義務違反について

(一) 不作為による管理義務違反の主張について

(二) 作為による管理義務違反の主張について

4 降水量観測の不実施について

(一) 国の権限

(二) 権限行使の違法性

(三)

5 防災対策の不実施について

(一) 国の権限

(二) 権限不行使の違法性

(三)

6

二被告青森県の責任について

1 砂防指定地の管理義務違反について

(一) 青森県知事の権限

(二) 権限不行使の違法性

(三)

2 防災対策の不実施について

(一) 青森県知事の権限

(二)

(三)

3

三被告岩木町の責任について

1 スキー場の設置、管理の瑕疵について

(一) スキー場と公の営造物

(二) スキー場の設置、管理の瑕疵

(三)

2 防災対策の不実施について

(一) 岩木町長の権限

(二)

(三)

3

第八結論

原告

吉 川 由太郎

外三六名

右原告ら訴訟代理人弁護士

二 葉 宏 夫

外一一名

被告

右代表者法務大臣

高 辻 正 己

被告

青森県

右代表者知事

北 村 正 哉

被告

岩木町

右代表者町長

小 寺   勇

右被告国、右被告青森県、右被告岩木町指定代理人

中 野 哲 弘

外五名

右被告国、右被告青森県指定代理人

笠 置 哲 造

右被告国指定代理人

小 山 亮 一

外七名

右被告青森県指定代理人

奥 崎   彰

宮 古   暁

右被告岩木町指定代理人

田 村 藤 作

五十嵐 雅 幸

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告国、同青森県及び同岩木町は連帯して、別紙1原告請求金額一覧表の原告欄記載の各原告に対して、これに対応する同表の請求金額欄記載の各金員及びこれに対する昭和五〇年八月六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  主文同旨

2  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  本件災害の発生及び原告らの地位

(一) 昭和五〇年八月六日午前三時三〇分ころ、青森県の南西部に位置する岩木山の南斜面を流れる蔵助沢で土石流が発生し、同沢下流の青森県中津軽郡岩木町百沢地区を襲い、県道「弘前・岳・鰺ヶ沢線」が蔵助沢を横断する付近の右県道両側の人家一七棟を押し流して全壊させ、更に、住民ら二二名を溺死等により死亡させるという災害を発生させた。

(二) 本件原告ら及び亡小野文枝(以下「原告ら」という。)は、別紙2相続関係表の死亡者欄記載の死亡者の相続人である。

2  本件土石流発生当時の蔵助沢及びその周辺の状況

(一) 蔵助沢の状況

(1) 位置及び地形

ア 岩木山(標高一六二五メートル、東西約一二キロメートル、南北約一三キロメートル)は、津軽平野の南西部に位置し、江戸末期ころまで火山活動をしていた複式成層火山であり、その南側及び東側の山頂付近には、往時の火山活動をしのばせる多くの爆裂火口が存在し、その周辺は植生も乏しく崩壊し易い土壌を形成しており、また、この南斜面には山体を刻む開析谷が数多く存在し、それに沿って沢が形成され、南部山麓には扇状地が発達しており、これら扇状地は、主として地質時代における度重なる土石流堆積物の供給によって形成されたものといわれている。

イ 蔵助沢は、岩木山の南斜面を流下する一渓流で、標高一四五〇メートル付近の鳥海爆裂火口に近接する種蒔苗代と呼ばれる小池(小火口)に源を発する。もっとも、平時においては、標高一三五〇メートル付近の錫状清水と呼ばれる湧水より上流には流れはなく、この部分が蔵助沢のいわゆる谷頭湧水地となっている。

蔵助沢は、標高一一〇〇メートル付近で、東側の蔵助畑沢と西側の畑ケ沢に分岐し、標高九〇〇メートル付近で再び合流して流下するが、その下流には、本件災害当時、標高四三五メートル付近に昭和四四年一一月築造の二号堰堤、標高三六五メートル付近に昭和四一年九月築造の一号堰堤、標高二八〇メートル付近に昭和四五年二月築造の三号堰堤が、それぞれ築設されており、一号堰堤と三号堰堤の間にスキー場が蔵助沢を横断する形で設営されていた。

また、蔵助沢にも、その下流に蔵助沢扇状地が形成されており、スキー場内の駐車場よりやや上流を扇頂として南方に広がり、「弘前・岳・鰺ヶ沢線」の県道付近を扇端部となすが、蔵助沢は右扇頂部で東に流れを変え、スキー場を横断して三号堰堤下流で蔵助沢左方に位置する渓谷(以下、「東の谷」という。)と合流し、更に、県道を経て岩木町百沢地区を通過して岩木川に流入している。

(2) 勾配

岩木山の南側斜面は、北側や西側に比べて急斜面になっている。このため開析谷の河床勾配も南側では急である。

蔵助沢の河床勾配は二号堰堤上流は一五度から三〇度であるが、谷頭付近での傾斜は比較的緩いのに反し標高一〇〇〇メートルないし八〇〇メートル付近までの区間で傾斜がきつくなっているのが他の南側の沢と異なっている。

また、二号堰堤より下流の勾配は平均五度程度であるが、一号堰堤から上流に約一〇〇メートルの間及び三号堰堤から上流に約二四〇メートルの間では谷壁の傾斜が四五度以上の狭く深いV字谷となっており、勾配も八.二ないし八.五度とかなりきつくなっている。

(3) 地質

蔵助沢流域に分布する地質は、概略次のようにいわれている。

ア 下位より、安山岩熔岩と集塊岩の互層、集塊泥流、降下軽石、旧土石流堆積物に区分される。

二号堰堤から上流は、主に安山岩熔岩と集塊岩が互層をなしており、安山岩は青灰色を呈する緻密堅硬なものと赤褐色を呈する粗鬆軟質のものとがあり、集塊岩はいずれも安山岩の角礫及び火山弾を多量に含み全体に粗鬆である。

二号堰堤より下流の谷底、山麓部には集塊泥流が広く分布しており、右泥流に含まれる安山岩礫には巨大なものがあり、その量も多く、膠結物となっている砂質火山灰は一部粘土化した部分もあるものの、全体に新鮮でかなり締まった状態である。

放射谷の間の平坦面、スキー場、岩木山神社、蔵助沢東部尾根には、ローム質火山を主体とする安山岩の礫を含む火山泥流が分布している。

軽石層は、標高一一〇〇ないし七〇〇メートル地点の尾根部に一ないし三メートルの厚さで堆積しており、これは岩木山最後の火山爆発によって供給されたものと考えられ、一部粘土化したものもあるが、全体的に未風化で新鮮である。

イ 旧土石流堆積物は、二号堰堤から県道の間に広く分布し、いわゆる山麓扇状地及び谷底平野を形成しており、二号堰堤からスキー場に至るまで最低三回、三号堰堤から岩木山神社に至るまで六回以上にわたって堆積したものといわれている。

ウ 蔵助沢の実際の流路に沿って、その地質を見るならば、通称焼止まり(標高一〇〇〇メートル付近)と呼ばれている付近から上流は角礫凝灰岩を主体とする火山砕屑岩層をなしており、焼止まりから二号堰堤付近までは溶岩流(七、八枚)と火山砕屑岩層が互層をなしていて、この間には四つの滝があり、溶岩に滝がかかり溶岩が谷底と谷壁下流に露出している。

また、スキー場より下流は、火山砕屑層と上流には見られなかった褐色火山灰層(いわゆるローム層であり、火山泥流ではない。)が分布しており、比較的軟らかい地層になっている。

(4) 植生

ア 蔵助沢の標高一〇〇〇メートル以上には、亜高山帯にはいる夏緑広葉樹のダケカンバ、ミヤマハンノキ、ミネヤナギ、チシマザサの群落が植生している。しかし、谷頭付近は、その植生は乏しく、土壌が露出し、不安定である。

標高一〇〇〇メートル以下の流域では、主にブナ、ミズナラの夏緑広葉樹林域であるが、特にその上部はブナ・ミズナラ林であり、下部はミズナラ林が主体となっている。

イ 中流地域にはスキー場等の施設があり、森林らしい森林はなく、樹木はわずかに頭無沢に寄った方に見られるに過ぎない。スキー場敷地は、裸地ないしススキ、ハギ、クマイザサ、チシマザサ等の草生地となっている。

ウ 標高三五〇メートル以下は、スギ植栽林(樹齢三〇年ないし四〇年)やカラマツ植栽林(樹齢三〇年)、アカマツ天然林及び植栽林(樹齢一七ないし六〇年)が主として分布している。ただ、キャンプ場付近には、胸高直径三〇センチメートル前後のミズナラ樹林が見られる。

(5) 地震

昭和四五年秋ころから昭和四九年にかけて、岩木山にはいわゆる群発地震があった。このため青森県の依頼により京都大学、弘前大学及び気象庁の地震観測班が昭和四六年六月から昭和五〇年三月まで群発地震の観測をしており、その報告によれば、昭和四五年一〇月の異常現象発生に始まった岩木山地震は、昭和四八年五月五日のマグニチュード四.九度(深さ数キロメートル)の地震をピークに一応衰勢の方向に向かいつつあり、本件災害時ころは地震活動は終息した状態にあった。

(6) 集中豪雨

岩木山に雨量観測のため設置された降雨観測施設は、岩木山西麓の黒森山に設置された自記雨量計のみであり、これによる雨量観測が実施されていたのは昭和三三年から昭和四三年までの一一年間にすぎず、それ以降は観測施設もなければ、また雨量観測も全くなされていなかった。右期間中の観測記録によれば、昭和三三年八月二一日、昭和三五年八月二日及び昭和四五年八月一一日にはいずれも最大時間降水量が三〇ミリメートル以上の降雨があり、特に昭和三三年八月二一日には最大時間降水量六四ミリメートルと記録されており、この記録によって、岩木山にいわゆる集中豪雨が幾度か発生していたことが認められ、しかもその時期が全て八月上旬から中旬ころに集中していることがわかる。なお、昭和一〇年、昭和一八年にも岩木山地域に集中豪雨が発生したといわれている。

(7) 堆積物

岩木山は、その侵食過程を幼年期、壮年期、老年期に区分すれば、幼年期から壮年期にあたり、侵食が進行中の火山である。本件災害前、蔵助沢は山体の侵食により剥離された土砂が運搬されて谷底には旧土石流堆積物である巨大な岩塊をはじめ多量の土石が蓄積されていた。

また、百沢地区を含む蔵助沢扇状地は、過去の土石流堆積物で形成されているが、その土石流発生の時期は明らかでない。ただ、宝永元年(一七〇四年)に蔵助沢周辺で土石流が発生した旨の記録が残されている。

(二) スキー場及びその周辺の森林等の状況

(1) スキー場の開設、整備、拡充の概要

ア 蔵助沢沿いの岩木山中腹部から山麓部にかけて設置されているスキー場(以下、「百沢スキー場」という。)は、昭和三九年二月六日に林野庁長官が設置を承認し、同月一九日付で設置されたものであり、岩木町が管理している。同スキー場の敷地は、国有林地で蔵助沢流域内が六一.五八ヘクタール、流域外が三六.九一ヘクタールである。岩木山の標高八〇〇メートル以上の区域は、土砂流出防備保安林であるが、同スキー場開設にあたり、そのうち約六ヘクタールの保安林指定が解除された。標高約八〇〇メートル以下の区域は、スキー場区域の大部分及び野営場等を除いて水源かん養保安林に指定されている。

イ 岩木町は、同スキー場開設に伴い、蔵助沢流域外に、広さ約〇.七四五六ヘクタールの駐車場(昭和三九年一二月二五日供用開始)を設置し、更に、蔵助沢を横切る延長一〇八五メートルのリフト一基(昭和三九年一二月二七日供用開始)、延長一三〇メートルのロープトウ一基(昭和四五年一二月二五日供用開始)、ヒュッテ一棟(昭和四二年一二月一五日供用開始)を、それぞれ設置した。

ウ また、同スキー場設置に伴い、昭和三九年一〇月ころからゲレンデの造成、整備・平坦化作業が行われ、そのため腐植に富んだ表層土壌が剥ぎ取られ心土層が露出するに至った。

エ このゲレンデの整備、平坦化は、その後、昭和四六、七年ころと昭和四九年から昭和五〇年ころにもスキー場拡幅に伴って行われ、昭和四九年からの工事には埋立用の土壌として、通称アップルロード(岩木山南麓から弘前市郊外に至る全長約二一.六キロメートルの農道)の造成に際し丘陵を削り取ったときに生じた土(凝灰岩質泥岩の粉砕されたもの。以下、「アップルロード残土」という。)が使用され、その使用量は少なくとも四万五三三六立方メートルを下らなかった。

(2) 百沢スキー場の開設、整備、拡充に伴う森林の伐採

同スキー場開設に伴い、土砂流出防備保安林指定の一部解除がなされ、山林伐採が行われたが、昭和三八年度から昭和四三年度までの面積及び材積の合計は一九.六三ヘクタール及び一一八五立方メートルである。そして、本件災害当時、蔵助沢流域内のスキー場敷地のうち保残帯として残されていた三一.〇八ヘクタールの壮齢林分がゲレンデの予定で伐採されたが、その後放置された。なお、萌芽更新の行われた幼齢林は一七.九二ヘクタールで、ゲレンデとして使用されていた裸地は一二.五八ヘクタールであった。

(3) 百沢スキー場開設に伴う蔵助沢の埋立て、道路造成等

ア 同スキー場は、蔵助沢と約二〇〇メートルにわたって交差、横断しており、この部分は砂防指定地とされている。

ところで、同スキー場拡幅に伴い、ゲレンデの平坦化整備が幾度かなされたが、特に昭和三六、七年ころには、スキーヤーの安全配慮のためスロープを広げる必要があるとして、岩木町職員が、独自の判断でブルドーザーを使用し、蔵助沢と交差する通路付近での蔵助沢の埋立てを行った。埋立て範囲は、少なくとも長さ一五メートル以上、深さ三.五メートル、幅五メートルであり、この埋立ては、専らスロープの拡張のためであり、埋立ての規模、方法及びそれによる沢への影響等を十分に検討することなく、無造作にブルドーザーでもって土砂礫や抜根を押してなされた無責任なものに過ぎず、そのため土砂礫には、全く膠結が見られず、空隙も多く、堆積状況は不規則塊状の状況にあった。

イ 昭和四九年から昭和五〇年にかけて、同スキー場の整備に使用するアップルロード残土の運搬、埋立てのために必要な前記ア記載の通路を補修するべく、蔵助沢の右通路と交差する部分に直径八〇〇ミリメートルのヒューム管(長さ二.四三メートル)二本が連結して埋設され、更に、前記ア記載の埋立て部分も含めて、いずれもその上を前記アップルロード残土で覆っていた。

ウ 同スキー場開設に伴い、沢埋立の外に県道からスキー場に入る道路の造成やアスファルト舗装による道路の拡張、整備もなされ、本件災害時ころには前記(1)イ記載の駐車場とともに供用されていた。

(三) 砂防施設

(1) 砂防指定地

蔵助沢流域の標高二七五メートル付近より上部は国有地であり、同所より上流へ国有地内延長一七〇〇メートル、幅二〇メートルの区間は、昭和四一年六月一〇日建設省告示第一八五四号により砂防法二条の規定に基づく砂防指定地とされている。

砂防指定地とは、水源山地における土砂生産の抑制と流送土砂の貯留及び調節によって河状を安定させ流水を安全に流下させることによって、河川における土砂による災害を防止軽減するといった治水上砂防の目的のため、森林の伐採や土砂の採取等の砂防上有害な行為を禁止制限し、また、山腹や渓流に堰堤等の砂防設備を設置する区域として建設大臣によって指定された一定の区画の土地である。なお、右土地については、青森県も規則により一定の行為(例えば、土地の掘削等その他土地形状を変化する場合)を規制している。

岩木山南斜面の渓流のうち砂防指定地とされているのは、湯の沢上流(昭和三一年四月一六日告示)、同沢下流(昭和四五年三月五日告示)、後長根川上流(昭和四九年一月一八日告示)、同川下流(昭和四九年一二月五日告示)及び蔵助沢の五か所で、それぞれ岩木町の岳、高岡、宮地、百沢という各集落の上部に位置する渓流の一部である。そのうち、蔵助沢は砂防指定地として二番目に古く、更に、後述の如く昭和四一年一一月から昭和四二年一月にかけて行われた土石流発生危険区域の全国調査により、最も土石流発生の危険度の高い甲型に位置付けられた。

(2) 砂防設備

ア 蔵助沢に設置された砂防設備は、蔵助沢が砂防指定地とされた後、青森県が同指定地内に築設した一号ないし三号堰提である。

イ 一号及び三号堰堤は、実体は床固工の体をなしており、土石流を抑止する砂防堰堤ではないが、築造にあたっては堰堤とするべく、またその役割を果させようとしていたことが窺われる(現実に築造された三号堰堤のプレートには「三号堰堤」と表示されている。)。

ウ 二号堰堤は、昭和四一年一一月から行われた土石流発生危険区域の全国調査に基づき、土石流を抑制するため、原則として一渓流に一基の砂防ダムを築造するとの土石流対策の一環として築造された砂防堰堤である。しかし、その実態は、岩木町からの砂防の公共事業をやって欲しい旨の強い要請、陳情を受けて、いわば地元の雇用促進といった経済的効果を念頭において築造されたものである。

エ 一号ないし三号堰堤について、定期的な管理はなされておらず、単に降雨があったりした際、時折見に行く程度であり、いわば放置された状態にあった。なお、二号堰堤は、本件災害当時すでに相当程度の土砂が蓄積されていた。

(四) 気象観測施設

昭和四一年から昭和四二年にかけて土石流発生危険区域の全国調査が行われ、その結果に基づき、同年五月に地域毎に警戒避難基準雨量を設定すること、あるいは簡易雨量計を設置することなどの指導が、国から各都道府県及び市町村になされたが、岩木山及びその山麓には気象観測施設は全く設けられなかった。

3  本件土石流の発生とその結果及び原因

(一) 本件土石流発生当時の気象概況

昭和五〇年八月五日、オホーツク海の低気圧から津軽海峡付近を通って日本海に伸びる寒冷前線は夕刻には青森県に達し、一方、沿海州方面の上空にある寒気が北日本方面に近付き、雷雨の起き易い状態となった。このような状況の下で、青森地方気象台から次のような注意報及び警報が発令され、県消防防災課にもその都度伝達され、同課は防災無線で県下各市町村に連絡、伝達している。

八月五日一八時三〇分 雷雨注意報

二一時四〇分 大雨・雷雨注意報に切替え。

八月六日一時三五分 大雨警報、洪水・雷雨注意報

五時四〇分 大雨・洪水警報、雷雨注意報

一四時一五分 洪水注意報

八月七日五時三五分 大雨・洪水・雷雨注意報

一〇時〇〇分 解除

(二) 本件土石流発生当時の降雨状況

昭和五〇年八月五日夜半から岩木山南斜面付近に断続的な降雨がみられ、同月六日午前三時を中心に最も強く、レーダー記録によると午前二時三〇分から午前四時までの降水量は約一一〇ミリメートルと推定されている。また、山頂付近の最大時間降水量は約七〇ミリメートルとも推定されており、同月五日夜半から同月六日明け方までの短時間に極めて強い降雨があった。

(三) 本件土石流の発生及び流下状況

(1) 本件土石流の発生

昭和五〇年八月六日未明、岩木山の標高一四六〇メートルの地点において山腹崩壊が発生した。崩壊面積約一九〇〇平方メートル、崩壊深度三〇ないし五〇センチメートル、崩壊し滑落した土量は約四六〇ないし七五〇立方メートルである。

(2) 発生から蔵助沢二号堰堤まで

山腹崩壊地点から二号堰堤までは全体的に急勾配をなしており、崩壊土砂は右蔵助沢に沿って、その渓床、渓岸を洗掘しながらその土砂量を雪だるま式に増加させつつ流下していった。特に、本件土石流の二号堰堤に到達するまでに四か所の天然滝を流下しているが、右各滝壺部の集塊岩が洗掘されてその土砂量は急激に膨れ上がることとなった。

崩壊地点から二号堰堤まで流下した土砂量は約一万四八〇〇立方メートルであり、同堰堤に約八〇〇〇立方メートルが堆砂し、残り約六八〇〇立方メートルが同堰堤に越流した。

(3) 蔵助沢二号堰堤から蔵助沢三号堰堤まで

本件土石流は蔵助沢二号堰堤を越流するとともに同堰堤の袖部を破壊し、同堰堤下流約五〇〇メートルの地点で蔵助沢の現流路と旧流路(旧蔵助沢扇状地扇頂部)に別れて流下した。

まず、現流路を流下した土石流は、一号堰堤を越流するとともに同堰堤の袖部と本体部分を破壊して百沢スキー場に流入し、同スキー場で拡散し、土石が堆積したが、一方において、同スキー場の埋立てに使用されたアップルロード残土の一部が土石流によって流出し、蔵助沢本流に暗渠として埋められていた礫も土石流により侵食され、一部が流下し、同スキー場を次の三ルートに別れて流下した。

ア 蔵助沢本流ルート

同スキー場から蔵助沢に流入した土石流は三号堰堤を直撃してその一部を破壊し、かつ、右堰堤滞留土砂を大きく侵食し、更に、被災現場へと流下した。

イ 道路ルート

同スキー場に通ずる町道を二〇〇ないし三〇〇メートルの幅で流下した土石流は、三号堰堤下流約二〇〇メートルの地点で蔵助沢本流ルート及び旧流路を流下した土石流と合流した。

ウ キャンプ場ルート

蔵助沢左岸のキャンプ場内を流下した土石流は、樹木によって一部の土石を停止させられたが、洪水流は三号堰堤下流において蔵助沢本流ルートの土石流と合流した。

次に、旧流路に向かった土石流は、石切沢方向に流入するほかは旧流路からスキー場駐車場へと向かい、同スキー場に通ずる町道に沿って流下し、三号堰堤下流において右アないしウの蔵助沢本流ルートを流下する土石流と合流した。

土砂流下量については、二号堰堤から一号堰堤までの間、約九一〇〇立方メートルの土砂が洗掘され、二号堰堤を越流した土砂との合計は約一万七八〇〇立方メートルとなるが、本件土石流は、一号堰堤上流約二〇〇メートル付近で蔵助沢現流路と旧流路の二ルートに分かれ、更に、三号堰堤下流で再び合流しており、その間の堆積、洗掘量を勘案すると、一号堰堤から右合流地点までの土砂流下量は約一万四〇〇〇立方メートルとなる。

(4) 蔵助沢三号堰堤下流から本件被災地まで

三号堰堤を越流した土石流及び道路ルート、キャンプ場ルートを流下した土石流並びにスキー場駐車場から町道に沿って流下した土石流は、更に、東の谷から供給された洪水流と合流して流下し、県道「弘前・岳・鰺ヶ沢線」の上流約五〇〇メートル付近から土石を堆積しつつ同県道を横断、その付近において本件被災地を直撃し、更に、水田地区に流入して拡散、堆積し、その後は洪水流となって岩木川に流入した。

三号堰堤下流の合流地点から県道上流約五〇〇メートルの地点(岩木山神社横)までの間に洗掘された土砂は約一万六二〇〇立方メートル、流下した土砂は三万三四〇〇立方メートルであり、その後、約三万一〇〇〇立方メートルが堆積したものの、約二四〇〇立方メートルが本件被災地を襲った。

(四) 本件土石流による被害の状況

(1) 本件土石流による岩木町百沢地区の被害は、住民ら二二名が死亡した外、重軽傷者三一名、全壊人家一七戸、半壊人家九戸、床上浸水五戸、床下浸水三一戸、農地被害一六ヘクタールに及んだ。

(2) 各死亡者の死因は次のとおりである。

・溺死=吉川輝子、小野清、笹谷廣、笹谷章一、木村キヱ、木村ひとみ、木原アグリ、木原廣光、木原和恵、木原康夫、成田チヨ、鎌田マツ

・窒息死=須藤ハツ、笹美千孝、笹美千彦、三上長市、佐藤タカ、木原勝雄、葛西やゑ、葛西令子、葛西あけみ

・失血死(内臓破裂)=斎藤智猛

(五) 本件土石流の拡大要因

三号堰堤から本件被災地までの勾配は比較的緩いにも拘らず、本件土石流は、三号堰堤下流の合流地点から県道上流約五〇〇メートル地点までの間で土砂の洗掘量及び流下量を異常に多く増加させ、本件被災地に到達している。その原因は、本件土石流の流下ルートがいずれもスキー場という広大かつ人工的な裸地を通過しているという事実からみて、百沢スキー場開設に伴う蔵助沢周辺の森林伐採が森林の持つ理水作用、山地荒廃防止機能、土石流抑止機能の低下を招き本件土石流の拡大要因となり、また、スキー場整備のために行った蔵助沢の埋立て、ゲレンデ平坦化工事、道路造成等が蔵助沢の流水の円滑な流下を阻害するとともに、これらの作業に用いられた土砂や礫等が本件土石流の拡大要因となったからである。

4  責任原因

(一) 土石流の特性

(1) 土石流の定義

土石流の定義は未だ確立されていないが、おおよその概念としては、主として渓谷に堆積していた土石が多量の水を含んで流動化し、水・土・石が混じりあって一体となって流下する現象と説明されている。

(2) 土石流発生の条件

ア 土石流の発生を支配する因子

土石流が発生するには、渓谷に勾配があり、堆積物が蓄積されており、多量の水の供給が必要である。それぞれの因子については次のようにいわれている。

A 渓谷の勾配

土石流発生区間の渓床勾配は一五度から四〇度位、流下区間の渓床勾配は一〇度位、一〇度以下では自然に減速して土石流は堆積し、五度より緩やかな勾配になれば大きな礫を含んだ土石流は流下することはない。

B 堆積物の蓄積

渓谷には長年にわたって山腹、渓岸などの小崩壊により生産された大量の土石が蓄積されており、また、渓岸の岩塊、土塊が風化などで剥離し易い状態になっている場合もある。土石流は、山腹崩壊や地辷り性崩壊により生じた土砂がそのまま流動を続けて土石流になる場合もあるが、この場合も含めて、多くは谷底に蓄積された土砂などの堆積物が流動し、更に、渓岸を侵食して多量の土石を加えながら流下して土石流となる。渓岸に相当量の土石等の堆積物が存在するか否かは、現地踏査で容易に調査できるが、谷底の岩盤までの深さは測定が難しく、堆積物の蓄積の定量的表現は困難である。

C 多量の水の供給

水の供給は最も直接的に土石流の発生を支配する因子で、多くの土石流の多量の水の供給源となるのは降雨であり、土石流の発生と降雨の関係については一般に次のようにいわれている。

a 一〇分間雨量が七、八ミリメートルを超える集中的降雨の場合は非常に危険である。

b 時間雨量が五〇ミリメートル、日雨量が二〇〇ミリメートル以上になる継続的降雨の場合は危険である。

c 降雨強度比(ある時を基準にしてそれまでの時間雨量とそれ以後の時間雨量を比較した数値)が五を超えると危険状態となり、一〇以上になると十分な注意が必要である。

イ 土石流の発生を支配する因子相互の関係

土石流の発生を支配する因子は、渓谷の勾配、堆積物の蓄積、多量の水の供給であり、このうち一つでも欠ければ土石流は発生しないが、実際に発生する土石流は、右の三因子が相互に複雑に関係しあい、更に、他の条件、例えば地形、地質、土砂の堆積状態、植生状態、降雨状況等も密接に関与している。

(3) 土石流発生の要因及び形態

土石流発生の要因、形態は一般に次の三つの型に分類されている。

ア 山腹斜面特に谷頭部に多量の水が供給され、それが山腹崩壊等により生産された土砂と一体になって渓谷を流下し、そのまま土石流に発展する場合。

イ 山腹、渓岸から生産された崩壊土砂が渓床に堆積して一時的に渓流をせき止めていわゆる天然ダムを形成し、それが貯留した水の圧力で崩壊し、急激に流下して土石流に発展する場合。

ウ 渓床に堆積していた土砂が急激に移動を始め、更に侵食して多量の土砂を加えながら流下して土石流に発展する場合。

(4) 土石流の流動状態の特徴

土石流の流動状態の特徴は、一般に次のようにいわれている。

ア 土石流は「各個運搬」である洪水流と異なり、水・土・石が一体に混じりあって、いわば一塊になって流下する「集合運搬」である。集合運搬の場合、水流が砂や石をばらばらに押し流すのと異なり、土石と水の混合物がそれ自体の力で流れ下るものであり、時には予想もつかない巨大な石をも移動させる。

イ 土石流の先端には、通常巨大な岩塊や流木等が集まって大きな盛り上がりが形成されており、これを土石流のフロントと呼んでいる。その高さは数メートルから十数メートルにも達することがあるといわれている。このフロントの後ろに多量の土石が続いて流下するが、次第に粒子は小さくなり、礫・砂・泥となり、終わりの方は殆ど泥を含んだ普通の水流になるといわれている。

ウ 土石流の先端部即ちフロントは、縦の渦状に回転しながら一塊りの固体のような運動をしながら流下する。このような土石流の流動形態から、土石流は、渓床や渓岸の土砂を侵食して更に体積を増大して流下するため、その流下後の渓床、渓岸は深くえぐられてU字型の谷を形成し、また、直進性があるため渓谷の湾曲部でも一直線に流下するといわれている。

(二) 土石流災害対策

(1) 土石流災害の特徴

土石流の特徴から生ずる土石流災害、特に人命に対する土石流災害の特徴は次のようなものである。

ア 土石流の先端部には直径数メートル、重さ数トンの岩塊や流木が集まり、それが秒速数メートルの速さで流動してくるのであるから、その直撃を受ければ普通の住宅であれば建物も居住者も一瞬の内に押し潰されてしまう。土石流による被害、特に人命の被害は、主にこの土石流先端部の岩塊群の直撃によるもので、後続の礫・砂・泥を含む流れによるものはごく僅かであるといわれている。従って、この先端部による直撃さえ避ければ、土石流による人命の被害は激減する。

イ 土石流の先端部には直進性がある。従って、その先端部が、渓谷を出てもその流下幅はせいぜい一〇〇メートル以内で、進路をそれたところには岩塊群は到達せず、それを避ければ少なくとも人命の被害は激減する。

ウ 土石流の速度は、渓谷の勾配、土石流の種類等によって異なるが、相当の速度であり、発生から居住地域に到達する時間は数秒から十数分間であろう。また、土石流は、はっきりとした前兆現象もなく突発的に発生するため、発生後の避難は極めて困難である。

(2) 土石流災害対策の基本的な考え方

土石流災害の対策としては、土石流の発生を防止するだけでなく、流下してきた土石流により人家人命が被害を受けないようにすることが必要である。しかし、土木工学的な方法で土石流の発生を防止、或は、発生した土石流を停止させることはある程度まで可能であるが、技術的、予算的に限界が存し、土石流災害対策としては、それのみで事足りるということはできない。そこで、土石流の流下範囲から避難することを含めた防災計画を策定することが重要となってくる。避難対策は、土木工学的対策に比し、技術的、予算的に容易な対策であり、流下範囲の想定を誤らなければ少なくとも人命に関しては絶対的な効果を発揮する。従って、土石流災害対策としては、流下範囲からの避難を含む防災対策を策定、実施することを基本にし、その上で可能な限り土木工学的対策を施していくことが必要である。

(3) 土石流災害発生の予見可能性

ア 土石流災害対策の観点からの土石流災害発生の予見可能性

土石流災害対策としての土石流発生の予見可能性を考える場合は、土石流が「いつ」、「どこで」、「どれだけの量」発生するかという具体的な予見可能性までは必要ではない。土石流発生のための因子はある程度解明されて、少なくとも土石流発生の危険の大きい場所は予知することができるようになってきており、土石流災害対策の観点からの土石流危険場所の予見可能性は、それで十分である。蓋し、土石流発生の危険性が大きい場所を予め指定することができれば、そこに土木工学的処置をしたうえで、その箇所に対する防災計画を策定することができ、土石流による被害を減少させ、少なくとも人命の被害は防ぐことが可能となるからである。

イ 土石流発生場所の予見可能性

土石流発生の地理的因子がある程度解明されてきていることから、土石流発生の危険性が高い箇所は指摘できるようになった。現に、国も一定の基準を設け土石流発生の危険が高い箇所を土石流危険区域として指定してきている。そして、土石流発生時の規模、流出土砂量の予測及び流下範囲の推定についても研究が進み、一定の成果が上がってきており、土石流の流下範囲に損害を蒙るものがあるか否かを判断することも可能になってきている。また、このような科学的研究によらなくとも、過去の土石流の記録から流下範囲を推定することも可能である。

ウ 土石流災害発生日時の予見可能性

土石流の発生に関しては、地理的因子とともに、自然的因子である降雨量が大きな影響を与えている。雨量と土石流発生との量的関係を正確に示すことは困難であるが、気候、地形、地質の異なる様々な地方での土石流発生の資料を収集、解析することによって、経験的にそれぞれの地方の危険雨量の基準を定めて行くことは可能であり、現に各地方での危険雨量(総雨量や時間雨量)が定められてきている。

従って、危険雨量に近付いてきた時には、土石流が発生し、そのことによって災害に見舞われる可能性が高いとの判断をすることができるのであって、土石流災害発生日時も予見が可能である。

(4) 土石流災害発生危険区域からの避難

ア 土石流災害における避難の効果と重要性

土石流災害は、土石流の直撃を避けることができれば、被害を最小限にくい止めることが可能な災害である。従って、土石流の流下範囲と考えられる地域内に住居等を建築し生活を営んでいる人々に対し、土石流災害が発生する危険が生じたときに、流下範囲から避難させることが必要となってくる。この避難という対策は、土石流の直撃を避けることができるという点で、人命を土石流災害から守るということに関しては絶対的な効果を持つ上、避難する住民に過大な負担を負わせるものではなく、また、土木工学的対策と異なり、多額の予算や複雑な技術を必要としないので行政当局に対しても過大な負担とはならず、災害対策としての経済効率が極めて高い対策である。

また、土石流制御による土石流災害対策には、予算的、技術的限界があることから、避難という対策の重要性は高い。

イ 土石流災害発生区域の住民が避難する条件

避難という対策が実効性を発揮するためには、住民自身が土石流災害発生危険区域に住んでいることを自覚し、土石流が発生する危険が迫ったときに避難しなければならないとの認識を持つことが必要である。そして、そのような認識を住民が持つためには、行政機関が住民に対して、土石流災害の実態、土石流災害発生危険区域に該当していること、更に、土石流発生の危険が迫っていること、安全な避難場所の位置等の情報を知らせ、災害予防教育をしていくことが必要である。

(三) 土石流と森林

(1) 森林の理水機能

森林は、雨水の地表流出を緩和し、出水量を調節する機能をもつ。これは次の作用によって発現される。

ア 森林があると、雨や雪の一部は樹の表面や枝などによって遮断され蒸発する。このため地表に到達する雨量はそれだけ少なくなる。この遮断率は一連続雨量が一〇〇ミリメートル以上の雨に対して五ないし一〇パーセント程度といわれている。

イ また、森林の中の土壌は、根やその他これに付随する地中の小動物により空隙が多くなる。この結果、水の浸透する量を増加させ、また、地中に一部保留する効果をもつ。

(2) 森林の山地荒廃防止機能

森林は、雨滴による表土の直接侵食や、表流水による侵食防止機能をもつ。このような機能は次のような作用によって発現される。

ア 樹幹、下草、落葉落枝、苔等が雨の落下エネルギーを減殺する。

イ 樹幹下部、地上根、下草、落葉落枝等が、雨裂の発生による表土の流出を防ぐ。

ウ 落葉落枝枯木等が養分の供給源となって土壌微生物が豊富となり、微生物が有機物を分解して蘇類の発生や下種の発芽による森林の再生を促進するとともに、団粒土を形成して表土の流出抵抗性を増す。

エ 植物被覆や土壌微生物が熱を発生保温して、冬期地表の氷点下降下を妨げ、凍土(霜柱)による表土の物理的風化を妨げる。

オ 落葉落枝、団粒土等が、水を分散吸収する作用等によって、表土層の水の過飽和を妨げ土砂の流動性を減らす。

以上のように、森林の侵食防止機能は極めて大きく、落葉と微生物の存在がその機能の主役であり、ウの作用が最も重要である。従って、皆伐、全幹集材等は、山林の落葉落枝と微生物を減らし、侵食を著しく増大するのみならず、侵食による崩壊をも誘発して、山地を荒廃させる要因となる。このような要因は地形地質等の環境条件の悪い地帯では特に強く働くことになる。

(3) 森林の土石流抑止機能

森林は斜面崩壊を防止し、渓床への土砂の流出を減少させるので土石流量をも減らす機能をもち、その機能は次のような作用によって発現される。

ア 森林植生、落葉落枝、有機質土壌等による被覆は侵食や流水の集中を妨げるだけでなく、地表水の地下浸透量を減少させる。

イ 根系の貫入は、風化土層と基盤の境界をつないで土を緊縛し、表層の剪断抵抗を増すとともに、パイピングを防止する。

ウ 多数の樹幹が崩壊する土石や積雪を支えたり分散誘導することによって、斜面への衝撃を緩和し、崩壊の誘発を防ぐ。

(4) 以上のように、森林は大きな治山機能を有する。森林の人為的な伐採はこうした機能を奪うものであり、土石流発生の誘因ないし拡大要因となる。

(四) 土石流発生と気象観測

土石流の発生因子のうち最も直接的に土石流の発生を支配するのは多量の水の供給である。しかも、渓谷の荒廃と堆積物の蓄積は現地の状況から素人目にも一応知ることができるが、多量の水の供給特に豪雨の予想は住民には困難である。

従って、土石流災害対策には、まず気象観測、殊に雨量の観測がなによりも重要となる。各種の災害対策も、ここの気象観測をもとにして研究、判断されるものである。そして、中でもとりわけ避難は、気象台の予報、警報によって緊急に行われるものであり、適切な予報、警報がなされることが避難の成否を大きく左右することになる。特に、気象の激しい山間部においては、降水量の観測は必要不可欠である。そのためには山間部に降水量観測施設を設置し、一つには長期間の観測資料の収集、一つには時々刻々の降水量を計量し、伝達させる必要がある。

(五) 土石流災害に対する行政の対応

(1) 砂防法と土石流対策

我国では、明治に入って近代法制を整備するなかで、「治水三法」といわれる河川法、森林法、砂防法が制定され、国土を保全し、洪水、土砂害等から国民を守るために、広く治山、治水対策を講じてきた。特に、砂防に関しては、土砂の発生を防止して山林あるいは渓流の荒廃を治癒するため、種々の砂防工事が行われる一方、発生した土砂量を調節するために大型砂防ダム等も開発された。

第二次大戦後は、荒廃した国土を早急に整備する必要に迫られ、土砂害対策は、治水事業の中で着々と実行に移されてきたが、昭和三三年には「地すべり等防止法」が、昭和三五年には「治山治水緊急措置法」が、昭和四四年には「急傾斜地の崩壊による災害の防止に関する法律」がそれぞれ制定されるなど、法制面においても土砂害対策が講じられるようになった。

しかし、土石流災害に対処するものとしては、これまで立法化されることがなく、行政の対応としては、従来の砂防法に基づく砂防事業の一環として、治水上砂防の工法を応用して、土石流による災害を防止しようとしてきた。

(2) 第二次治水事業五箇年計画

行政における土石流対策の出発点であり、基本となるものは、昭和四〇年八月二七日閣議決定された第二次治水事業五箇年計画である。この計画は、前記「治山治水緊急措置法」に基づいて策定され、各事業年度にわたる計画の実施目標と投資規模総額を定めるものであって、土石流対策は、その中に含まれる砂防事業の一環として、第二次計画からスタートしたものである。

(3) 西湖災害の発生と河川局長通達

昭和四一年九月二五日、台風二六号がもたらした集中豪雨により、山梨県の西湖周辺地区に多数の土石流が発生し、足和田村の西湖、根場両地区において死者、行方不明者九四名を数える大災害となった。この西湖災害を契機として、行政も土石流災害防止のための具体的対策を講じる必要に迫られるに至った。

そこで、国は、差し当たっての緊急措置として、建設省河川局長から各都道府県知事にあてた昭和四一年一〇月一五日付文書をもって、①地形上、地質上、山津波等が発生するおそれのある箇所について、可及的速やかに調査を行い、当該箇所について、付近住民に十分周知徹底を図ること、②山津波等の発生は、そのほとんどが異常豪雨によるものであるので、危険地帯の降雨状況を速やかに把握する措置を講じ、事前に危険の切迫を察知し得るようにすること、③危険箇所については、あらかじめ防災計画等において当該箇所に係る集落ごとに観測、警報伝達、避難場所等を定め、緊急時に際し適切な避難措置がとられるようにすること、④観測の実施、警報の伝達、避難の誘導等については、水防団又は消防団との連絡を密にし、あらかじめその体制の整備を図ることの四項目を要望事項とする通達を発した。

(4) 土石流災害発生危険区域の調査と都道府県に対する指導

前記建設省河川局長の通達を受けて、各都道府県は、土石流災害発生危険区域の調査を、昭和四一年一一月から昭和四二年一月末にかけて全国一斉に行った(以下、この調査を「四一年調査」という。)。この調査の主眼は、前記通達の趣旨により、あくまでも土石流による被害、特に人命の保護を第一義とし、土石流の危険にさらされる人家、集落等の保全対象を早期に把握して、有効な対策方法を確立することにあった。その結果、全国で一万五六四五渓流が土石流発生の危険のある区域として摘示され、その成果に基づき、昭和四二年五月、建設省は各都道府県に対し土石流対策の指導をした。その際、発生の危険度あるいは被害の規模等を一定の基準として土石流発生区域の分類化がなされ、同時に今後の対策として、①危険区域の地域的特性等を勘案して土石流発生の危険降水量を決定すること、②雨量計の設置等警報施設の整備を促進すること、③緊急時における警報避難体制の確立を図ることを災害対策基本法に基づく地域防災計画の一環として取扱い、防災措置の万全を期するよう行政指導を行い、他方、砂防施設の整備を図ることとした。そして、行政指導としては、危険区域を各地の地域防災計画に盛り込むように指導し、また、事業としては、大きな被害の予想される地域に、差し当たりダムを一基ずつ整備していくこととした。

(5) 青森県における土石流発生危険区域と青森県、岩木町の対策

前記調査の結果、青森県では一〇五か所の渓流が土石流発生危険区域として把握され、うち蔵助沢を含む二六か所が、最も土石流発生の危険性を有する甲型、即ち堆積土砂が極めて多く、地質的に見た山地の状況が崩壊を起こし易く、かつ、その地形が急峻なものとして摘示された。更に、蔵助沢は、土石流災害からの保全対象人家戸数別に分類すると最もその戸数が多い部類に入る地域であることが判明した。

従って、昭和四二年ころには、国は勿論、被告青森県と同岩木町においても、岩木山南麓に位置し百沢地区を貫流する蔵助沢が、青森県内における土石流発生危険区域の中でも、その発生危険率が最も高く、しかも、土石流が発生した場合における被害の大きさも最大規模になることが予想される場所であることを十分認識していたものである。しかるに、被告青森県も同岩木町も、前記国からの通達等を真剣に検討して土石流災害防止のための具体的対策を講じることをしなかった。

(六) 被告国の責任

(1) 砂防に関する行政上の指導監督義務違反

ア 国の権限

土石流を含む土砂害を阻止、軽減するために、砂防法は、砂防指定地(土砂害の虞れのある土地)を国が指定し、その土地に対する一定の行為の禁止、制限等の維持管理を強化し、また、砂防工事を実施することとし、それら砂防事業は、原則的には都道府県知事が実施するが、工費が著しく高額であったり、工事が非常に難しいなどの場合には、国自らが実施するものとしている。従って、被告国(建設大臣)は、土砂害の防止、軽減のため砂防指定地に関して、砂防事業が円滑かつ適切になされるよう都道府県知事を指導監督し、場合によっては自ら砂防事業を実施する権限を有し、義務がある。このことは、砂防法二条、四条ないし六条、二九条、三〇条等の諸規定からも明らかである。

イ 土石流発生の危険性に対する予見可能性

前記2(三)(1)記載のとおり、蔵助沢流域のうち、標高二七五メートル付近より上流一七〇〇メートルの区域は、被告国の主務大臣である建設大臣により土砂災害の虞れのある土地(砂防指定地)と指定され、更に、四一年調査により土石流発生危険区域として、しかもその危険性が最も高い甲型と指摘されていた。従って、蔵助沢流域は、土砂害発生殊に土石流発生の危険にさらされており、それに対する防止等の対策、施策が必要とされていたのであり、砂防行政を司る被告国及び同青森県、同岩木町は、そのことを十分認識しかつ予見していたところである。

ウ 権限不行使の違法性及び権限行使の可能性

被告国は、蔵助沢について、土石流に対処するため、被告青森県をして、まず維持管理に関しては、保全上有害な行為の禁止、制限は勿論、例えば、土石流の因子たる山腹の崩壊、河底堆積物についての調査、監視をきめ細かにして沢のその時々の状況を把握するよう強く指示ないし指導し、また砂防工事に関しては、砂防設備の設置、維持、管理について指導、指示あるいは勧告し、更にはそれらの設備の機能を自ら十分調査し、不十分なるときはその機能の回復ないしは設備の増設等を指示ないし指導勧告すべき義務があるとともに、被告青森県において困難なるときは、自らそれをなすべき義務がある。

しかるに、四一年調査により蔵助沢が土石流発生危険区域と指摘された以後、本件災害まで、まず維持管理面をみるに、被告青森県により蔵助沢の状況把握のための定期的な調査・監視はなされておらず(砂防法三一条の監視、管理吏員を置いた形跡もない。)、被告国において、調査・監視を指示ないし指導し、報告を求めたこともないし、自ら調査したこともない。

また、砂防工事についても、砂防指定地に指定後になされた工事は一号堰堤ないし三号堰堤の砂防施設の築設のみであるが、蔵助沢においては、単なる一般砂防ではなく土石流対策が念頭におかれなければならず、しかも下流には人家戸数が多いことから、土石流から人家を守るべく流下する土石をできるだけ防ぐための砂防設備が必要とされていたものである。しかし、右一号堰堤ないし三号堰堤は、その設置位置や形態からして百沢スキー場の保全を目的としたものとの疑いを禁じ得ず、仮にそうでないとしても、右一号堰堤及び三号堰堤には土石流阻止及び抑止の機能はなく、その機能を有する二号堰堤にしても、どの程度の抑止能力を想定したのか明らかでなく、その設置位置も百沢スキー場上流の勾配の急な場所にあり、いわばジャンプ台の如き感があり、どれだけ土石流のエネルギーを減殺し得たか疑問とせざるを得ないものがある。現に、本件土石流に際しては、その三〇パーセントしか抑止し得ず、その余の七〇パーセントについては全く抑止する措置がなされておらず、しかも三号堰堤下流でも崩壊があったことからすると、右砂防施設は土石流対策としては不備があったものと認められ、このことは被告国はおろか被告青森県も十分認識していたものである。しかるに、被告青森県は、右三施設の築設で砂防工事は終了したものとしていた形跡があり、その後の施設の管理・維持をしなかったことは勿論のこと、施設の点検、補修、増強あるいは新たな施設の築造をしておらず、被告国においても、右三施設の築設だけで砂防工事について全く指導、助言、勧告したこともなく、自ら工事を実施しようとしたこともない。

しかし、本件災害時ころ、土石流の発生機構、規模、流動の態様等が十分解明されていないとしても、被告国には、西湖災害以来の多くの土石流災害や土石流を撮影した八ミリフィルム等により土石流に関する相応の知見、資料、情報等を得ていたことから、それらに基づく前記権限行使義務の履行は可能だったものである。従って、右知見等をふまえて蔵助沢の維持管理及び砂防工事が適切かつ円滑になされておれば、避難対策ないしは安全対策も十分になし得、本件災害の発生を防止ないしは被害を最小限度に抑えられたものであり、被告国のかかる作為義務違反は、公権力の行使にあたる建設大臣の職務上の過失に該当する違法なものである。

(2) 蔵助沢流域周辺保安林の管理義務違反

ア 国の権限

森林には、木材の生産という経済的な効果だけではなく、国土の保全即ち水源のかん養、土砂の流出の防備、土砂崩壊の防備、飛砂の防備等の効用があり、国土の保全のために必要とされる森林は、農林水産大臣が原則として伐採が禁止される保安林として指定することができ、その目的の重大性から、保安林の解除は「その指定の理由が消滅したとき」、「公益上の理由により必要が生じたとき」(森林法二六条)に限られている。このように、被告国は、保安林につき広範でかつ絶対的な権限を有している。

イ 権限の違法な行使

岩木町の百沢スキー場設置に際し、蔵助沢周辺の土砂流出防備保安林及び水源かん養保安林の一部が解除され、昭和三八年度から昭和四三年度にかけて森林が伐採された。しかし、昭和四一年六月一〇日には、蔵助沢流域の一部が砂防設備を要する土地即ち砂防指定地とされ、昭和四一年九月に一号堰堤、昭和四四年九月に二号堰堤、昭和四五年二月に三号堰堤が築設されていることからみて、本件保安林解除後も蔵助沢流域には土砂流出の危険が継続していたものである。従って、本件保安林の解除は、土砂の流出防備、水源かん養という指定の理由が消滅しておらず、また、スキー場の設置が国土保全以上の公益上の理由にあたるともいい難いことから、森林法が要求している解除理由には該当しない、違法な解除である。

ウ 土石流発生との因果関係

森林には、前記4(三)記載のように、理水機能、山地荒廃防止機能、土石流抑止機能があり、これらの機能については被告国も十分に認識していた。しかるに、被告国の違法な本件保安林の解除及び立木の伐採により、森林のもつこれらの機能は低下した。即ち、山地荒廃防止機能の低下により、蔵助沢には多量の土砂が流入して急速に荒廃し、土石流発生の危険が増大し、本件土石流発生の一因となり、理水機能の低下は、本件土石流に際し、多量の水を供給し、本件土石流発生、拡大の原因となり、土石流抑止機能の低下は、本件土石流に際し、土石を抑止することができず、災害を防止することができなかった。従って、被告国が、本件保安林を解除し立木の伐採を許したことは、保安林についての管理義務に違反し、公権力の行使にあたる農林水産大臣の職務上の過失に該当する違法なものである。

エ 公の営造物の管理の瑕疵

また、本件保安林は、同時に公の営造物として被告国の管理のもとにおかれている。しかるに、被告国(農林水産大臣)が、解除の理由もないのに解除して立木の伐採を許可したのは、保安林の管理に重大な瑕疵があったものである。

(3) 降水量観測の不実施

ア 国の権限

被告国(内閣総理大臣)は、災害対策基本法三条により、災害予防のための総括責任者として、気象業務法により気象、地象、水象を予報し、警報する権限を有している運輸大臣あるいは地方公共団体に対し、災害予防のために適切な降水量観測を実施するよう指導、助言する権限を有している。

イ 降水量観測の重要性

土石流が水の流れ出る渓流において発生する自然現象であり、多量の水が最も大きな要因であることを考えれば、この発生を予知するためには、渓流に流入する降水量の観測が不可欠のものとなる。従って、土石流発生の危険性を有する渓流にあっては、流入する降水量を常時測定するための観測体制が整備され、適切な予報発令のシステムが組み立てられていなければならない。

降水量観測の重要性は、一方において、普段からその渓流に集中する水量を測定することによって、崩壊し易い渓床や谷腹を補強整備し、あるいは水量を調節するためのダムを築設し、降水の急激な流入を防止するために流域の森林を保全し、植生を安定させるなど、土石流の発生そのものを未然に防止または抑制することにあり、他方において、土石流発生の危険を予知し、その危険性を住民に対して的確かつ迅速に伝達することにより、住民の警戒心を喚起し、これを避難体制と連動せしめて土石流による災害を回避し、住民の安全を図ることにある。

このように、降水量の継続的観測は、土石流あるいは土石流による災害の発生を未然に防ぐために、最も基本的かつ重要な作業であって、このことは、昭和四〇年代以降、被告国をはじめとする被告らにおいても十分認識していた。

ウ 土石流発生の危険性に対する予見可能性と権限不行使の違法性

被告らは、四一年調査により、蔵助沢が土石流発生の危険性が極めて高い場所であり、土石流による災害発生の蓋然性が高い渓流であることの十分な認識を得ていたものである。従って、少なくとも右調査の結果が判明した時点から、被告国は、その地域の住民を土石流災害から守るために、万全の措置を講ずるべき具体的責務を負っていたものである。

そして、土石流の発生を事前に抑止し、土石流による災害を事前に予知するためには、降水量の観測を継続して実施することが不可欠の作業であることから、この作業は、災害対策基本法の要請する被告国のなすべき責務そのものであり、単に行政裁量に属するものにすぎないということはできない。

仮に、被告らが、蔵助沢における土石流発生の危険性に留意し、降水量観測設備を設置し、間断なく降水量の観測を続けていたならば、本件土石流の発生を予知できたはずである。しかるに、被告国(内閣総理大臣)は、運輸大臣を指揮することにより、自ら実行可能なその責務を怠り、蔵助沢における降水量観測を全くなさなかったのみならず、被告青森県、被告岩木町に対しても、何らの指導、助言もすることなくこれを放置したことは、国民に対する作為義務違反であり、違法な行為である。

(4) 蔵助沢の管理義務違反

ア 国の権限

被告国(建設大臣)は蔵助沢の所有者であり、かつ、河川の管理者としての地位にあり、右蔵助沢が、その流域における雨水を集めてこれを安全に下流に流下させるべき管理監督権を有しているものである。

ところで、土石流発生を支配する因子は、前記4(一)(2)ア記載の如く、渓谷の勾配と、堆積物の蓄積と、水の供給の三つとされていることから、山間の渓谷は、この三因子に十分留意して細心の注意のもとに管理される必要がある。通常、渓流も含めて河川一般の機能は、その流域における雨水を集めて、これを安全に下流に流下させることにあるから、河川における水流の安全を維持するためにも最も必要なことは流路の確保ということであり、これを怠ると洪水等の結果を招き易い。また、長年渓流を放置すると、渓床の掘削や谷腹の崩壊等により土石が流路に堆積し、あるいは倒木等により流路が遮られるなどして、渓流の本来なすべき機能を阻害することとなる。そのため、河川を管理するものは、河川の正常な機能を維持するため、定期的に河川を見回るなどして流路に蓄積する堆積物等を除去し、あるいは谷腹の崩壊を防止するための措置を講じ、更には倒木等の障害物を撤去したり、設置されているダム等の構築物を点検する義務がある。

また、蔵助沢を横切るかたちで開設された百沢スキー場は、蔵助沢の自然の流れを人為的に変更し流路を狭隘にし、その安全性を著しく損なったのみならず、流域の森林を伐採したことにより、樹木の持つ優れた理水能力と土石流抑止機能を破壊・減少させるに至り、その結果、多量の降水が直接渓流に流れ込み、あるいは裸地を洗い流し、土石流を抑止することができず、結果的に本件土石流を拡大・助長させることになった。

イ 被告国の作為、不作為の違法性

蔵助沢は、前記四一年調査により、土石流及び土石流災害発生危険区域であることが明らかになった。従って、河川管理者である被告国(建設大臣)は、災害対策基本法に照らし、蔵助沢における土石流災害の発生を事前に防止するため、その危険性を除去あるいは抑制することに万全の措置を講ずる責務を負うに至った。しかるに被告国(建設大臣)は、蔵助沢の水流の安全を確保するための管理措置を何らとることなく、漫然とこれを放置し、逆に、土石流の発生、拡大・助長を資する要因となった森林の伐採、スキー場の開設とそれに伴う流路の変更等、あたかも土石流による災害を助勢するかの如き作為をした。被告国(建設大臣)のこれらの作為または不作為は、河川管理者としての責務に違背した違法な行為である。

(5) 防災対策の不実施

ア 国の権限

被告国(内閣総理大臣)は、災害対策基本法三条により、災害予防のための総括責任者として、各地方公共団体に対し、地域防災計画の作成実施を勧告、指導、助言する権限を有している。

イ 土石流災害発生の危険性の存在と予見可能性

被告国には、本件土石流災害についての危険性の存在とそのことに対する予見可能性が少なくとも本件災害発生時の昭和五〇年までには生じていたものである。即ち、国は、前記四一年調査により、人家戸数が多く、かつ最も土石流発生の危険性が高い地域として蔵助沢を含む県内四地域が報告された時点において、蔵助沢流域が土石流発生の危険にさらされていることを十分予見できたものである。また、その後、本件災害時までの八年間もの間、被告国は、各地の土石流災害についての報告を各地方公共団体から受けていたことに照らすと、被告国としては、前記土石流発生危険区域の調査結果について、再度点検・確認するなどの行為をなすべき義務を負っていたものであり、蔵助沢流域の危険性は、年毎に予見可能性が増大して行ったものである。

なお、ここでいう危険性とは、その当時の自然科学の研究成果をもとに、自然現象発生の定性的(定量的ではない)要素その他の事情から土石流発生の蓋然的危険性が認められる場合をいい、そのような状況に対応した防災活動が要求されるのである。

ウ 権限不行使の違法性

被告国は、確かに、土石流災害対策のため、昭和四一年、建設省河川局長の通達により各都道府県に土石流発生危険区域調査をなさしめ、右成果をふまえて建設省・消防庁を通じて土石流災害を防止するための各種通達を都道府県等に発した。しかし、右各通達にみられる災害防災対策はすべて抽象的な提言に止まっており、かつ、地方公共団体に対する一方的な要請でしかなく、右要請に対する地方公共団体の防災実施状況等を勘案したうえでの助言、勧告、指導は何らなされなかった。

右のような被告国の各地方公共団体(とりわけ本件では青森県)に対する防災対策についての助言、勧告、指導という権限行使は、例え同権限行使が国の自由裁量に委ねられているとしても、前記のとおり災害発生の危険(特に住民の生命・身体に対する危険)が予測できるような場合には、かかる権限を行使するか否かの裁量は後退し、作為義務に転化する。

エ 権限行使の可能性

災害対策基本法三条に基づき、本件土石流災害防止のために被告国がなすべき権限行使は、被告青森県等に対する有効・適切な助言、勧告、指導であって、それは、被告国(内閣総理大臣)において充分なし得たものである。しかるに、その権限不行使により本件災害をもたらしたことは、作為義務に違反する違法なものということができる。

(6) 被告国の損害賠償責任

以上により、被告国は、前記4(六)(1)(2)(3)(4)(5)につき国家賠償法一条一項に基づき、前記4(六)(2)については更に同法二条一項に基づき、被告青森県、同岩木町と連帯して原告らの本件土石流により蒙った損害を賠償すべき義務がある。

(七) 被告青森県の責任

(1) 砂防指定地の管理義務違反

ア 青森県知事の権限

青森県知事は、蔵助沢流域の砂防指定地について、土石流を含む土砂害の防止、軽減を図るために、同地域内での砂防上有害な行為を禁止、制限し、また同指定地を監視し、及び、その地域内における砂防設備を管理しその工事を施工しその維持をなす権限及び義務がある(砂防法二条、三条、五条)。また、砂防指定地の監視のため及び砂防設備の管理のため吏員を置くことも義務付けられている(同法三一条)。

イ 土石流発生の危険性に対する予見可能性

青森県知事は、前記四一年調査の結果により、蔵助沢が、土石流発生危険区域の中でもその発生の危険性が最も高く、しかも下流には人家戸数が多く、ひとたび土石流が発生すれば人家に及ぼす被害が甚大になることを十分認識ないしは予見していた。

従って、青森県知事は、蔵助沢流域の砂防指定地について、土石流を防止すべく、自らあるいは被告国の指導、指示、助言、監督を受けて、西湖災害以来の多くの土石流災害や土石流を撮影した八ミリフィルム等から得た知見、知識、資料等をもとに、適切、速やかに、砂防指定地の維持管理の強化及び砂防事業の実施に当たらなければならなかったものである。

ウ 権限不行使の違法性と権限行使の可能性

土石流対策としてまず必要とされるのは、砂防上有害な行為を禁止、制限することはもとより、日々の沢の現状把握、即ち山腹崩壊の有無及びその程度、河床堆積物の有無及びその規模等についての調査、監視であり、また流下する土石を阻止、軽減することである。しかるに、青森県知事は、蔵助沢流域が砂防指定地と指定されて以来本件災害までに、昭和四一年九月から昭和四五年二月にかけて一号堰堤ないし三号堰堤の施設を蔵助沢に設置したものの、蔵助沢の状況、状態を把握するための定期的な調査、監視はしておらず、また、そのための体制もとっておらず、むしろ、逆に砂防上有害と思われるスキー場整備のための蔵助沢埋立てを放任放置するなど、監視義務を怠ってきたものである。

また、一号堰堤ないし三号堰堤の砂防施設についても、土石流の抑止、軽減に関しては全く不十分なものであり(そのことは青森県知事においても認識、予見していたところであり、現に本件災害において、土石流の三〇パーセントしか抑止できず、かつ右施設の下流においても土砂崩壊がありそれが人家に押し寄せている。)、更に、右施設の管理、点検、補修、維持に努め、場合によっては右施設を増強しあるいは新たな施設を設置しなければならないのに、設置したまま放置していたものである。

青森県知事は、少なくとも蔵助沢の維持管理における監視、調査の徹底、強化は可能だったものであり、また、砂防設備の設置、管理についても蔵助沢の維持管理に基づく知見、資料ないしは他の土石流災害等を通して得られた時々の知識、知見、資料等をもとに、被告国の指導、指示、勧告、助言、援助を得て、既存施設の機能の検証や点検、増強ないしは砂防設備の新設も不可能ではなかったものである。それらが適切、円滑に行われておれば、土石流を阻止、軽減できたはずであり、そうでないとしても避難対策の重要性が認識され、それが円滑になされたものである。

従って、青森県知事が、砂防指定地についての管理義務を十分果しておれば本件災害の発生を防止ないしは被害を最小限度に抑えられたものであり、青森県知事のかかる作為義務違反は重大であり、職務上の過失に該当する違法な公権力の行使である。

(2) 防災対策の不実施

ア 青森県知事の権限

災害対策基本法四条一項によると、被告青森県は、住民の生命、身体及び財産を災害から保護するため、防災計画の作成と実施、関係市町村の防災事務又は業務の助成等を行う責務を有し、そのために、青森県知事は、災害を予測し、予報し又は災害に関する情報を迅速に伝達するため必要な組織を整備するとともに、絶えずその改善に努めなければならず、災害が発生するおそれがある場合は、災害に関する情報の収集及び伝達に努めなければならない(災害対策基本法四六条、四七条、五〇条、五一条等)。

また、消防組織法二四条の二によると、青森県知事は、台風、水害等の非常事態の場合、市町村に対して災害防御の措置に関し必要な指示をすることができる。

更に、以上のような災害防止に関する一般的な権限のほかに、前記4(五)(3)(4)記載のとおり、被告青森県は、建設省からの通達や行政指導に基づき、土石流発生防止のために、県内の土石流発生危険区域の調査、同危険区域における土石流発生の危険雨量の決定、雨量計の設置、警報施設の整備、警報避難体制の確立、付近住民に対する土石流発生の危険性の実態等の周知徹底等をなすべき諸権限を有していた。

イ 土石流発生の危険性に対する予見可能性

青森県知事は、昭和四一年一〇月一五日付建設省河川局長の通達を受けて土石流危険区域の調査を行い、遅くとも昭和四二年一月末までに、蔵助沢を含め二六か所が土石流発生危険区域であること、更に、そのうち蔵助沢を含め四か所が人家五〇戸以上の区域であることを確認した。

また、右調査と相前後して、昭和四一年六月一〇日に、蔵助沢流域の国有地内で標高二七五メートル付近より上流一七〇〇メートル、幅二〇メートルの区間が砂防法二条の規定に基づく砂防指定地とされ、昭和四四年六月に、砂防ダムとして二号堰堤が蔵助沢に築造されたことから、青森県知事は、昭和四二年一月末には、蔵助沢が土石流発生危険区域であることを十分認識していたか、十分認識し得る立場にあったものである。

ウ 権限不行使の違法性

右のような状況において、青森県知事は、建設省及び消防庁からの各種通達並びに青森県独自の防災計画書に基づき、危険雨量の決定、雨量計の設置、警報施設の整備、警報避難体制の確立、付近住民に対する土石流発生の危険性の実態等の周知徹底を、青森県自らもしくは被告岩木町をして十分に行うべき義務があった。これらの諸権限の行使が青森県知事らの自由裁量に委ねられていたとしても、いったん土石流災害が発生した場合、住民の生命・身体・財産に対する被害が甚大であることは充分認識し得る以上、右権限を行使するか否かの裁量は極端に収縮されるものである。

しかるに、青森県知事は、右各種通達をすべて無視し、防災計画書にも単に蔵助沢を土石流発生危険区域と記載したに過ぎず、被告岩木町に対しても土石流対策に関するいかなる指導、助言、監督もしなかった。これら青森県知事の権限不行使は、作為義務に違反する違法なものである。

エ 権限行使の可能性

青森県知事が被告国の各種通達に基づき前記諸権限を行使するにあたり、これを妨げるような事情は何もなく、その権限行使は何ら不可能ではなかった。特に、蔵助沢流域が土石流発生危険区域であることを付近住民に周知徹底せしめ、警戒避難体制を整備していたならば、本件災害当日の激しい集中豪雨のさなかに、原告ら付近住民は土石流発生の危険に十分警戒し、事前に避難することが十分可能であったはずである。この点からも、青森県知事の権限不行使は作為義務に違反するものということができる。

(3) 被告青森県の損害賠償責任

以上により、被告青森県は、前記4(七)(1)(2)につき国家賠償法一条一項に基づき、被告国、同岩木町と連帯して、原告らの本件土石流によって蒙った損害を賠償すべき義務がある。

(八) 被告岩木町の責任

(1) 百沢スキー場の設置、管理義務違反

ア 百沢スキー場は、被告岩木町が設置、管理している公の営造物である。

イ 岩木町の設置、管理における義務

百沢スキー場のゲレンデは蔵助沢を横断する形で設置されているが、このような地形にスキー場を設置し、管理する場合には、沢のもつ水、土砂、土石等を流下させるという機能を低下させ、これによる土石流災害の発生、助長もしくは拡大がないように注意して造成、管理すべき義務がある。

ウ 岩木町の設置、管理義務違反と土石流発生の危険性に対する予見可能性

被告岩木町は、百沢スキー場の設置に伴い行われた広範囲の山林伐採、斜面の裸地化により、蔵助沢に流入する土砂量、水量が著しく増大することが予見できたことから、増大する土砂、水を安全に流下させるように沢を改良したり、そのような設備を設けるべき義務があった。しかるに、被告岩木町は、右スキー場の設置に際し、増大する土砂、水を安全に流下させるべく沢を改良するどころか、右スキー場のゲレンデが蔵助沢を横断する部分に暗渠を入れて埋め立てるなどしたため、蔵助沢の水路は従前よりも狭くなった。

また、昭和四一年六月一〇日に蔵助沢の一部が砂防指定地とされ、昭和四二年には蔵助沢は土石流発生危険区域とされたが、このことは被告岩木町においても十分認識していたはずである。しかるに、被告岩木町は、危険とされた蔵助沢との関係で右スキー場を整備することもなく、前記2(二)(3)ア記載のようにゲレンデ拡張のため蔵助沢を埋め立て、沢としての機能を低下させた。

そして、本件土石流に際しては、右スキー場は多量の水の供給源となり、更に、蔵助沢の流路が埋め立てられていたことから上流から流下してきた水流を下流に流下させることができず、これにより流下してきた土石流が更に多量の水分を含んで勢力を増して下流に流下することとなった。また、蔵助沢の埋立てに使用した土石も洗掘され本件土石流の土石の供給源となった。即ち、被告岩木町による右スキー場の設置、その後の管理による人為的な蔵助沢の改造が、蔵助沢の沢としての機能を減退させ、本件土石流に際しては、土石の勢力を強大にさせ、本件土石流災害の一因となったものである。

従って、被告岩木町の右スキー場の設置、管理には、重大な瑕疵があったものである。

(2) 避難措置を含む防災対策の不実施

ア 岩木町長の権限

被告岩木町は、災害対策基本法五条一項により、基礎的な地方公共団体として住民の生命、身体等を災害から保護する責務を有し、その長である岩木町長は、具体的には、災害に関する情報の収集及び伝達に努め(同法五一条)、災害に関する予報若しくは警報を知ったときには、その事項を関係機関及び住民に伝達し(同法五六条)、災害が発生するおそれのある場合において、人の生命又は身体を災害から保護するため特に必要があると認めるときは、関係機関に対し、避難のための立退きの勧告又は指示をなす(同法六〇条一項)等の権限を有している。

イ 権限不行使の違法性と土石流発生の危険性に対する予見可能性

岩木町長の右各権限行使が自由裁量に委ねられているとしても、危険性に対する予見可能性があり、かつ、その危険発生により蒙る被害の甚大性とを勘案すると、自由裁量の範囲は殆ど縮小し、その不行使は作為義務に違反し違法となる。

本件災害の場合、岩木町長は、蔵助沢流域が土石流発生危険区域であり、かつ砂防指定地であることを認識し、又は認識し得る立場にありながら、土石流発生の危険性について、住民に対し何らの警告もしなければ、避難訓練、避難場所や避難方法についての体制を全く確立せず、かつ、本件災害時の豪雨の際にも何らの方策を講じなかったものであり、このような作為義務に反する権限不行使は違法なものといわざるを得ない。

ウ 権限行使の可能性

岩木町長は、本件災害当日、その激しい集中豪雨に鑑みて蔵助沢付近住民に対し、十分な警戒を促したり、避難についての指示、助言をすることが十分できたものであり、これにより、被害に遭遇した住民のうち一部の住民の死亡を回避することは可能であったものである。従って、岩木町長の権限不行使は違法なものといわざるを得ない。

(3) 被告岩木町の損害賠償義務

以上により、被告岩木町は、前記4(八)(1)につき国家賠償法二条一項に基づき、前記4(八)(2)につき同法一条一項に基づき、被告国、同青森県と連帯して、原告らの本件土石流によって蒙った損害を賠償すべき義務がある。

5  原告らの損害

(一) 原告らの固有の慰藉料

本件災害による死亡者は、いずれも原告らの家族の一員として、本件災害時まで平穏な家庭生活を営んできたものであり、原告らもこれらの人々と互いに慈しみ、助け合いながら平和な生活を過ごしてきたものである。ところが、突然襲った本件災害により、原告らは生活の基盤たる家庭を破壊されるとともに、家族の貴重な生命を奪われるという極めて残酷な被害を受け、その精神的苦痛は到底図り得ぬほどに大きい。原告らは、本件災害によりそれぞれ自己の父母あるいは子、兄弟姉妹、祖父母を失ったものであるから、その精神的苦痛に対する固有の慰藉料は、各原告らに対し、各金五〇〇万円とするのが相当である。

(二) 死亡者の慰藉料及び相続関係

本件災害により死亡したのは、別紙2相続関係表死亡者欄(2の2、10の5を除く)に記載した人々である。これらの人々の苦しみを救済するためには、生命そのものを損害の対象とし、これを一括して死亡者の慰藉料として捉えるのが妥当であり、その額は、死亡当時満〇歳から満二〇歳までの人については金一五〇〇万円、満二一歳から満四五歳までの人については金三〇〇〇万円、満四六歳から満五五歳までの人については金二〇〇〇万円、満五六歳以上の人については金一〇〇〇万円とするのが相当である。

右死亡者の各相続人は別紙2相続関係表の相続人欄記載の人々であるから、相続人である原告らは、各自の相続分に応じて、それぞれ別紙2相続関係表の死亡者の慰藉料請求金額欄記載の金額を請求する。

(三) 弁護士費用

原告らは、本件災害による損害賠償の請求について、弁護士である本件原告代理人らにこれを依頼し、同代理人らに対して請求額の約一五パーセント相当額を手数料及び報酬として支払うことを約した。

よって、原告らは、弁護士費用として別紙3損害金額一覧表の弁護士費用欄記載の金額を請求する。

(四) 合計額

以上のことから、原告ら各自の損害額を合計すると、別紙3損害金額一覧表の合計金額欄記載の金額となる。

(五) なお、亡小野文枝は、昭和六一年一〇月二二日死亡し、その相続人である笹谷ゆり子、小野清治、小野良子が、亡小野文枝の本件損害賠償請求権を各自金三一九万円宛相続した。

6  結論

よって、原告らは、被告国、被告青森県及び被告岩木町各自に対し、別紙1原告別請求金額一覧表の原告欄に対応する同表の請求金額欄記載の各金員及びこれらに対する本件災害発生の日である昭和五〇年八月六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する被告らの認否

1(一)  請求原因1(一)の事実は認める。なお、死亡者の中には、落雷による火傷死二名が含まれている。

(二)  同1(二)の事実は不知。

2(一)(1)ア 同2(一)(1)アのうち、岩木山が津軽平野の南西に位置し、標高一六二五メートル、東西約一ニキロメートル、南北約一三キロメートルの複式成層火山であること、南部山麓には扇状地が発達していることは認めるが、その余の事実は否認する。

イ 同2(一)(1)イのうち、蔵助沢が岩木山の南斜面を流下する一渓流であること、蔵助沢は標高一一〇〇メートル付近で二つに分岐し、標高九〇〇メートル付近で再び合流していること、標高四三五メートル付近に昭和四四年一一月築造の二号堰堤が築設されていること、蔵助沢にもその下流に蔵助沢扇状地が形成され、スキー場内の駐車場よりやや上流を扇頂として南方に広がり、「弘前・岳・鰺ヶ沢線」の県道付近が扇端部となっていること、蔵助沢は右扇頂部で東に流れを変え、スキー場を横断していること、県道を経て岩木川に流入していることは認め、その余の事実は否認する。

(2) 同2(一)(2)の事実は争う。

(3) 同2(一)(3)アの事実は認める。

なお、集塊泥流の次には「火山泥流」が、旧土石流堆積物の次には「新土石流堆積物、崖錐堆積物」が存在する。

イ 同2(一)(3)イの事実は否認する。

ウ 同2(一)(3)ウの事実は不知。

(4)ア 同2(一)(4)アの事実は認める。

イ 同2(一)(4)イのうち、スキー場敷地が、裸地ないしススキ、ハギ、クマイザサ、チシマザサ等の草生地となっていることは認め、その余の事実は争う。

ウ 同2(一)(4)ウの事実は認める。

(5) 同2(一)(5)の事実は認める。

(6) 同2(一)(6)の事実は争う。

(7) 同2(一)(7)の事実は否認する。

(二)(1)ア 同2(二)(1)アの事実は認める。

イ 同2(二)(1)イの事実は認める。

ウ 同2(二)(1)ウのうち、スキー場設置に伴い、昭和三九年一〇月ころからゲレンデの造成、整備、平坦化作業が行われたことは認め、その余の事実は否認する。

エ 同2(二)(1)エの事実は認める。

(2) 同2(二)(2)のうち、百沢スキー場開設に伴い、土石流出防備保安林の解除がなされ、山林伐採が行われたこと、蔵助沢流域内のスキー場敷地のうち三一.〇八ヘクタールが保残帯として残されていたことは認め、その余の事実は否認する。

(3) 同2(二)(3)の事実は争う。

(三)(1)  同2(三)(1)の事実は認める。

(2) 同2(三)(2)アないしエの各事実は争う。

(四)  同2(四)の事実は争う。

3(一)  同3(一)の事実は認める。

(二)  同3(二)の事実は争う。

(三)(1)  同3(三)(1)のうち、昭和五〇年八月六日未明、岩木山の標高一四六〇メートルの地点において、崩壊面積約一九〇〇平方メートルの山腹崩壊が発生したことは認めるが、その余の事実は争う。

(2) 同3(三)(2)のうち、山腹崩壊地点から崩壊土砂が蔵助沢に沿って二号堰堤まで流下したことは認めるが、その余の事実は争う。

(3) 同3(三)(3)のうち、土石流が二号堰堤を越流するとともに同堰堤の袖部を破壊し、同堰堤下流約五〇〇メートルの地点で蔵助沢の現流路と旧流路に別れて流下したこと、蔵助沢現流路を流下した土石流は一号床固工(原告主張の一号堰堤)を越流するとともに同床固工の袖部と本体部分を破壊したこと、蔵助沢本流ルートを流下した土石流は三号床固工(原告主張の三号堰堤)を直撃しその一部を破壊したことは認めるが、その余の事実は争う。

(4) 同3(三)(4)のうち、三号床固工を越流した蔵助沢本流ルートの土石流、道路ルート及びキャンプ場ルートを流下した土石流並びに駐車場から町道に沿って流下した土石流は合流して流下し、県道の上流約五〇〇メートル付近から土石を堆積しつつ同県道を横断し、その付近において本流被災地を襲い、更に、水田地帯に流入して拡散、堆積し、その後は洪水流となって岩木川に流入した事実は認めるが、その余の事実は争う。

(四)(1)  同3(四)(1)の事実は認める。

(2) 同3(四)(2)のうち、木原アグリ及び木原康雄を除く死亡者の死因が原告ら主張のとおりであることは認め、その余の事実は否認する。

木原アグリ及び木原康雄の死因は落雷による火傷死であり、本件土石流によるものではない。

(五)  同3(五)の主張は争う。

4(一)(1) 同4(一)(1)の主張は争う。

(2) 同4(一)(2)の主張は争う。

(3) 同4(一)(3)及び(4)の各主張は認める。

(二)(1) 同4(二)(1)のうち、土石流の先端部には直進性があること、土石流ははっきりした前兆現象もなく突発的に発生するために発生後の避難は極めて困難であることは認めるが、その余の主張は争う。

(2) 同4(二)(2)の主張は争う。

(3) 同4(二)(3)の主張は争う。

(4) 同4(二)(4)の主張は争う。

(三) 同4(三)の主張は争う。

(四)  同4(四)の主張は争う。

(五)(1)  同4(五)(1)の事実は認める。

(2) 同4(五)(2)の事実は認める。

(3) 同4(五)(3)のうち、昭和四一年九月二五日に西湖災害が発生したこと、西湖災害を契機として、被告国も土石流災害防止のための具体的対策を講じるに至ったことは認めるが、その余の事実は争う。

(4) 同4(五)(4)のうち、昭和四一年一一月から昭和四二年一月末にかけて行われた全国土石流発生危険区域調査により、全国で一万五六四五渓流が土石流発生危険区域として摘示されたこと、防災対策事業として、大きな被害の予想される地域に、差し当たりダムを一基ずつ整備していくこととしたことは認めるが、その余の事実は争う。

(5) 同4(五)(5)の事実は争う。

(六)  同4(六)(1)ないし(6)の各主張は争う。

(七)  同4(七)(1)ないし(3)の各主張は争う。

(八)  同4(八)(1)ないし(3)の各主張は争う。

5(一)  同5の(一)ないし(四)の各事実は不知。

(二)  同5の(五)のうち、亡小野文枝が死亡したこと、笹谷ゆり子、小野清治及び小野良子がその相続人であることは認め、その余の事実は不知。

三  被告らの主張

1  土石流一般について

(一) 土石流の定義

土石流は、今日なお発生、流動、停止の機序に不明な部分が多く残されており、統一された定義すら確立されていないが、一般的には、山間の渓流において、多量の土砂、石礫、ときにはこれに木材などの破片を混じたものが、それ自身の重量と水の潤滑作用とによって流下する現象をいい、通常強大なエネルギーと破壊力を持ち、急勾配の渓流に多量の不安定な砂礫の沈積がある所に豪雨が降り、あるいはこれに伴って上流部で山崩れがある場合に起こり易いといわれている。

(二) 土石流の特性等

土石流の流動する形式は、「各個運搬」ではなく、「集合運搬」である。ここに各個運搬というのは流水の掃流力即ち河底の土砂を押し流す力により、土砂石が流送、運搬される状態をいうのであり、土石が流水によって各個に運搬されることを指し、一般の河川など洪水時の土石の移動はこれに該当する。他方、集合運搬というのは、流水という外力によって移動するのでなく、大小様々な土石と水との混合物がそれ自体の重力の作用で、一体となって運搬されるものであり、この場合、水に対する土石の割合がかなり多いとみられるものである。つまり、流水が土石を押し流すのではなく、土石と水の混合物が一体となって斜面を流下するものである。

(三) 土石流発生の機構

(1) 土石流の発生に関係する因子

従来経験的に把握されている土石流の発生に関係する因子は種々あるが、主なものとして渓谷の勾配、堆積物の蓄積、多量の水の供給の三つがある。

ア 渓谷の勾配について

渓谷の勾配が一五度ないし三〇度位の範囲に土石流が多く発生している。

イ 堆積物の蓄積について

渓流には長年の間に土砂や岩石が堆積するが、これは山腹の崩壊や風化などにより渓床に蓄積されたもので、その蓄積を量的に把握するには、堆積物の幅、長さ及び厚さの計測が必要となる。しかし、そのうち厚さの測定については、対象が複雑な谷や斜面であるので困難さがあり、堆積物の定量的把握は至難である。また、堆積物は、土石流の発生に伴い洗掘されるが、渓流の各地点で各々どのくらいの深さと幅で洗掘されるかは、渓流の勾配と幅及び流下する土石の濃度等が複雑に影響するので、移動する堆積物の定量的把握についても経験的に推定する以外に方法がない。

ウ 多量の水の供給について

最も直接的に土石流の発生を支配する多量の水の供給過程については、土石流の発生源である山間部における異常な降雨のときの渓流を流下する流水、地下あるいは渓流堆積物への水の浸透等水の収支状態を観測した事例が皆無であって、不明である。

(2) 土石流発生因子間の関係

実際に発生する土石流は、前記三つの因子が重なり合って発生するものの、各々の因子間の関係がどのような状態になったときにどのような状態で発生に至るのかの解明はまだなされていない。更に、他の因子、例えば岩石の風化の度合、植生の状態、山崩れなどの状態、その他地震、噴火等の各因子とも複雑に絡み合うものと考えられている。

(3) 従って、土石流の発生機構については、ある程度急峻な渓谷に沿って大量の土や石が堆積しており豪雨や融雪等によって多量の水が供給されたときに発生する可能性があるという抽象的(定性的)な説明しかなされておらず、未だ十分な解明はなされていない。

(四) 土石流の流下形態

(1) 土石流の流動状態

土石流は発生する地域が奥深い山間部であって、人の目に触れぬ所であること、発生の確率が低く、いつ起こるか分からず、起こっても突発的に起こることなどのために、流動する土石流の実際の姿を観察することが極めて困難であり、そのためどのような現象であるかを科学的に数量的に把握することが難しい。

実験による土石流の流動機構に関する研究は、本件土石流災害発生後の昭和五二年ころには、ある程度の理論的成果が得られていたが、実際の土石流は発生・流動・再移動という挙動を複雑に繰り返しているため、実験室内で作り出した疑似的な土石流から導き出された理論で実際の土石流をどの程度説明できるかを検証できない状況にある。また、実験を通して得られた理論を検証するために必要となる、土石流の水深、流速、中に含まれる石の大きさの分布、土砂濃度(土砂の含まれる割合)等の各項目のうち、土石流の表面の速さと水深についてはある程度分かっているものの、その余の石の大きさの分布、土砂濃度は現在も計測が試みられているという段階で不明である。

(2) 土石流の流下範囲

いったん発生した土石流が、どのような経路で流下し、どの範囲に堆積するかは、発生する土石流の規模や流動特性に左右されるが、未だに実際の土石流の規模や流動特性を理論的に説明できる研究成果はないことから、不明である。また、土砂氾濫区域の予測の試みもなされているが、この場合、過去の事例を基にするしかないという点に大きな制約があり、土石流が同一場所で繰り返し発生するということも希であるため、研究成果の検証ができず、結局、理論的裏付けをもってこれを予測することは困難である。

(3) 従って、土石流の流下形態についても、不明な点が多く、十分な解明がなされていない。

2  蔵助沢周辺の状況及び本件土石流の原因等について

(一) 岩木山及び蔵助沢流域の地形、地質等について

岩木山は、津軽の信仰の山であり、百沢地区は岩木山神社の門前町として古くから栄えた集落であって、土石流災害の発生を予測させるような荒廃状況もない平穏な場所であった。

(1) 百沢地区を含む岩木山南麓部の地形について

岩木山の南麓部の地形は、いわゆる扇状地と呼ばれる地形であるが、このことから、原告らが主張するように、この地形が過去の土石流により形成されたものであると断定することはできない。その理由は、第一に、岩木山の南麓に広く分布しているのは、火山泥流堆積物であり、この火山泥流は、岩木山の火山活動の末期に至って起きた水蒸気爆発に伴いもたらされたものであって、土石流とはその発生原因も規模も全く異なった現象によるものであること、第二に、岩木山の南西麓及び南東麓における地質は、百沢地区、三本柳地区、岳温泉地区のいずれの場所でも、土石流堆積物の存在を窺わせるような礫層が殆ど認められないこと、第三に、岩木山の南麓部分は、火山活動によってもたらされた第一次的な地形であって、土石流によって形成された場合の特徴的な地形である土石円錐が認められないことなどである。従って、百沢地区を含む岩木山南麓の地形は、過去の土石流堆積物により形成されたものではない。

(2) 蔵助沢における過去の土石流災害について

百沢地区は、岩木山神社の門前町として古くから栄え、少なくとも五〇〇年前には集落が形成されており、人々が代々住み慣れた場所であるが、住民らの間に、過去土石流災害が発生したとの伝承は全くないものである。仮に、蔵助沢で過去何度か土石流が発生して百沢地区で土石流災害が発生したものであれば、その際の土石流堆積物は、本件土石流により運ばれてきた土砂が堆積したのと同様に「キャンプ場付近」等に残されているはずであるが、「キャンプ場付近」に過去の土石流堆積物は全く見られないことなどの諸事実に照らすと、百沢地区では、過去に土石流災害が発生したことはないと考えるのが自然であり、原告ら主張の蔵助沢で宝永元年(一七〇四年)に土石流災害が発生したとの事実はない。

(3) 蔵助沢における、土砂供給源としての爆裂火口壁、副次崩壊部の有無について

ア 爆裂火口壁について

一般に、爆裂火口壁とは、爆発的な火山活動に伴い山体の一部が失われ、摺鉢形又は馬蹄形の窪地が形成された場合に、その窪地の斜面を指し、その特徴については、爆裂火口壁は急な崖となっており、風化を受けていることなどから崩れ易く、また、植生の分布も乏しいと言われている。

ところで、蔵助沢の谷頭部と見なされる標高一四〇〇メートル付近には、山体が爆発で破砕される前の原山体と爆裂火口壁との境界部に当然認められるはずの、山腹斜面の勾配が急変するという地形的特徴がなく、谷頭部の山腹斜面は、谷底から一連の平坦な斜面になっている。また、本件土石流発生の契機となったとされている新規崩壊地の周辺は、植生で被覆されており、植生の分布が乏しい状態ではない。更に、地形や地質の研究者の著書等で岩木山の爆裂火口につき記載したものの中には、蔵助沢の谷頭部に爆裂火口壁が存在するとの記載はない。

以上の各事実に照らすと、蔵助沢の谷頭部には爆裂火口壁は存在しないというべきである。

イ 副次崩壊部について

副次崩壊部とは、中流部の谷壁の崩壊部であり、土石流が発生する前から存在し、谷底に土石を継続的に供給し続けた場所をいうとされている。

ところで、昭和四四年に蔵助沢の標高約五〇〇メートル付近から下流を撮影した写真や、昭和四九年に建設省国土地理院が撮影した航空写真によると、二号堰堤から上流の蔵助沢の左右岸には副次崩壊部とみなし得る裸地は認められない。従って、蔵助沢には、土石を継続的に供給し続けて沢を土砂が貯った危険な状態にする副次崩壊部は、本件土石流が発生する前には、もともと存在していなかったものである。

(4) 蔵助沢の成因及び本件岩木山の侵食段階について

原告らは、岩木山の侵食段階は幼年期から壮年期にあることや、蔵助沢は開析谷であることから、右蔵助沢は土石流の発生し易い危険な谷である旨を主張している。

しかし、侵食段階の概念は、地形学や地質学で用いられている概念であり、我々の日常的な生活時間とはかけ離れた時間の中で地形が変化する過程を考えているものであり、我々の社会生活上意味のある砂防や治山上の議論をする上で具体的意味を持つものではない。また、蔵助沢の成因についても、岩木山南麓の他の沢が一つの山体部分にできたのに対し、蔵助沢はもう一つ北側の山体と交じりあった部分にできた沢であることや、岩木山の地形について記載した文献も、蔵助沢を岩木山の開析谷から除いていることに照らすと、蔵助沢は開析谷とは言えない。

(5) 蔵助沢の縦断形状について

原告らは、蔵助沢の縦断形状は、岩木山南側の他の沢と異なり、谷頭付近の勾配は緩く、中流域の勾配が急であることから、一旦土石流が発生すると他の沢より加速、侵食されやすい旨の主張をしている。

しかし、土石流の速度は、渓床勾配の変化のみでなく、その土砂濃度や構成礫の大小、流下する通路である谷の屈曲の状態、谷幅の変化の仕方、渓床や渓岸の植生の状態、渓床や渓岸の地質等にも左右されるものであり、渓床の縦断形状のみからは判断できず、そもそも、蔵助沢の縦断形状には、原告ら主張のような、他の沢と異なる特異性は認められない。

(二) 蔵助沢流域の森林の概要及び管理並びに本件土石流との関係

(1) 蔵助沢流域の国有林野の特色等

蔵助沢を含む岩木山一帯は藩政時代から、いわば入会権的な権利に基づき地域住民が生活の用に供するため林産物を採取する場所であったものであり、明治維新後、国有林制度が確立した後も、住民の法的権利として維持され、第二次大戦後は薪炭共用林野として引き継がれ、今日まで継続しているものである。即ち、いわゆる東の谷流域を含むスキー場の大部分の範囲は、百沢地域のほぼ全世帯に当たる地元住民(共用者)と被告国(青森営林局長)との契約によって設定された薪炭共用林野であったものであり、その内の一部はスキー場開設前の昭和三八年以前に、右契約に基づき、右共用者において自家用薪炭材とする目的で伐採したものであり、百沢スキー場開設を目的として、あるいはスキー場設定を念頭において伐採されたものではないのである。

右のとおりであるから、原告らが、旧藩時代以来の蔵助沢流域の百沢地域住民による伐採を無視しているのは当を得ないというべきである。

(2) 蔵助沢流域の国有林内の保安林の解除と指定及び伐採関係について

ア 蔵助沢を含む一帯の山林は、青森営林局管下の弘前営林署が管理する国有林野であり、そのうち蔵助沢流域国有林の面積は約一二〇ヘクタールである。

イ 旧森林法(明治三〇年法律第四六号)制定により、明治三一年一月一日をもって、蔵助沢の標高約八〇〇メートル以上の区域は保安林(風致林)となり、その後、土砂扞止林と名称が変更され、更に、森林法(昭和二六年法律第二四九号)制定により、土砂流出防備保安林と改められ現在に至った。

ウ 青森営林局長は、昭和三七年六月二七日岩木町議会が第二二回国民体育大会冬季大会を岩木町へ誘致することを決議したうえ、同年六月三〇日付で岩木山国定スキー場建設協議会長らから岩木山スキー場の指定についての陳情書が提出されたのを受け、その適否について調査を進めた結果、スキー場予定地は地盤が安定しており、保残帯を適宜設けることにより林地保全上支障ないものと判断し、昭和三九年二月一九日百沢地区五六.九八ヘクタール等、総面積九三.四〇ヘクタールを岩木山スキー場に指定した。その後、昭和四七年二月七日岩木山スキー場区域を百沢地区について四一.五一ヘクタール拡張する一部変更指定をしたため、百沢地区のスキー場面積は九八.四九ヘクタールとなったが、そのうち蔵助沢流域内の面積は六一.五八ヘクタールであり、右流域内には三一.〇八ヘクタールの保残帯が設けられている。

エ 右岩木山スキー場の指定に伴い、昭和三九年八月一八日農林省告示をもって土砂流出防備保安林の一部六.九二ヘクタールが解除されたが、そのうち蔵助沢流域内の解除面積は四.一四ヘクタールであり、うち広葉樹立木三.八七ヘクタールを伐採した。その後、伐採跡地は天然更新が行われ、本件災害時には約一〇年生の森林となっており、また、林床は笹の密生地となっていた。

オ また、保安林整備臨時措置法(昭和三九年法律第七〇号)に基づく第二次保安林整備計画により、既往の土砂流出防備保安林の下部国有林のうち、スキー場区域の大部分及び野営場等を除いた区域が、昭和四六年三月二九日農林省告示をもって水源かん養保安林に指定され、そのうち蔵助沢流域内の指定範囲は一八.五四ヘクタールである。なお、被告国(弘前営林署)は、右水源かん養保安林上に成育の立木をスキー場指定の前後を通じて全く伐採しておらず、現在も広葉樹の天然林のまま残存している。

(3) 蔵助沢流域の国有林内の立木の伐採関係について

土砂流出防備保安林及び水源かん養保安林に指定されていない国有林で蔵助沢流域国有林内の広葉樹等の伐採関係は、次のとおりである。

ア スキー場指定以前の伐採関係

百沢地区が、岩木山スキー場に指定される以前における右国有林内における立木の伐採については、被告国(弘前営林署)は、昭和三八年度までの間において、地元民の自家用薪炭材及びスキー場駐車場とするため、伐採面積一九.四一ヘクタールの範囲内の広葉樹等の立木八六七立方メートルを売り払い、買受人において伐採した。

イ スキー場指定後の伐採関係

百沢地区が岩木山スキー場に指定された後における右国有林内における立木の伐採については、スキー場の開設及び地元民の自家用薪炭材とするため、昭和三九年度及び昭和四〇年度に一一.二五ヘクタールの面積につき、七一二立方メートルの広葉樹等を伐採し、昭和四一年度から昭和四三年度にかけて八.五九ヘクタールの面積につき、七五三立方メートルの立木を皆伐し、昭和四二年度から昭和四七年度にかけて六.五〇ヘクタールの面積につき、三八九立方メートルの立木を間伐した。なお、右間伐は伐採木の搬出路、伐採木の置場及び地元民の薪炭材とするため、ごく小範囲にわたり部分的に伐採したものである。

(4) 蔵助沢流域の国有林内の無立木地帯の範囲について

前記2(二)(3)記載のとおり、被告国は、百沢スキー場の開設及び地元民の薪炭材とするために蔵助沢流域国有林内の広葉樹等の立木を売り払い、買受人において伐採したものであるが、本件災害発生当時、右伐採地域の全部が無立木地帯となっていたものではない。百沢スキー場の指定に伴い立木を伐採した地域のうち、右スキー場のために現実に使用するゲレンデ、スキーリフト等の敷地部分一六.〇九ヘクタールは無立木地帯として存置していたが、それ以外の地域は、右スキー場に指定したものの、前記2(二)(2)オ記載の水源かん養保安林も含め、前記2(二)(2)ウ記載の保残帯三一.〇八ヘクタールについては伐採しておらず、その余の地域は、立木伐採の翌年には萌芽(天然)により森林に更新しており、天然の広葉樹林となっていたものである。また、蔵助沢流域中、右スキー場の指定地外で地元民の薪炭材のために伐採した地域も、同様に伐採の翌年に萌芽更新している。

(5) 森林の防災機能について

ア 森林に関する基本的認識

森林は、水源かん養、土砂流出防備、崩壊防備等多種多様な防災機能を有するが、そのことから、右各機能に一律過大な評価を与えることは許されない。なぜなら、森林はある広がりを持った土地に生育する立木等の集団なので、これをとりまく気象、地質、土壌等の様々な環境因子と相互に関連し合って成立しており、その機能も多様性を持つからである。

イ 森林の防災機能

A 森林の流量調節機能について

水源山地に降った降雨水が流れ出す(表面流出)過程をコントロールする機能を森林の流量調節機能というが、この過程を数字を使った公式のような形で表すことは厳密にはできず、特定流域の水収支を知るためには長年月の観測による以外に方法はなく、しかも、このような観測を行っても、森林の存否がどのように関与しているかを明らかにすることは困難であるというのが今日の定説である。なお、災害をもたらすような強い雨に対しては、林木の樹冠の保留能及び土壌の貯留能を降雨量が大きく上回るため、森林の右機能は及ばないということが実地流域の観測によって確かめられており、このことからも森林の流量調節機能を災害の防止という観点でとらえて過大に評価することは誤りである。

B 森林の崩壊防止機能について

森林伐採と山腹崩壊の関係については、多種多様な見解があり、学問的に統一された見解はない。しかし、一般的な定説としては、次のようにいわれている。即ち、森林には、樹木の根系の及ぶ範囲の小規模な崩壊を防止する機能は認められていても、樹木の根系の及ぶ範囲を超えての機能は認められないのであり、壮齢の立派な林地にも崩壊が発生するように、森林の防災機能には限界があって絶対的なものではない。むしろ林地上の樹木群の態様よりも林地そのものの地学的条件(岩質、地形、土壌等)の方がより直接的な影響をもち、樹根が地表を固定する力は限られた範囲のもので、樹木の持っている抵抗力はそれ程高くない。要するに、山腹斜面の崩壊は、これを発生させる誘因(降雨、地震、火山爆発等)と斜面それ自体が有する素因(岩質、地形、土壌、植生等)との噛み合わせの結果として発生するものであり、ある一つの要素だけを取り上げて議論することはできないのであり、その予測も極めて困難である。

C 森林の土石流抑止機能について

前記のとおり、森林の物理的な外力に対する能力には自ら限界があり、土石流との関係でも同様である。即ち、山間の細長い渓谷を対象として異常な降雨と大量の土石の供給を止めることは不可能であるが、山腹に森林を造って雨の流出を減らし斜面の支持力を増すことは一般的に斜面崩壊ひいては土石流の防止に役立つが、非常に強い雨に対しては、その防止機能はあまり期待できないものである。結局、土石流の破壊力が森林の抵抗力よりも強ければ森林を破壊し、その逆であれば土石流が止まるという当然のことがいえるに過ぎない。

(6) 蔵助沢流域の国有林野の経営管理と本件土石流の発生との関係

ア 本件土石流の発生源である山腹崩壊と森林伐採の関係

本件土石流は、百沢スキー場の開設等に伴って立木を伐採した箇所の遙か上流である岩木山の標高一四六〇メートル付近の山腹崩壊を契機として発生したものである。この地域では、スキー場開設以前は勿論、本件土石流発生の前後を通じて伐採等の森林施業は全く行っていないことから、この地域の国有林野の経営と本件土石流発生の間には因果関係は認められない。

イ 保安林を解除し、森林を伐採したことと本件土石流発生の関係

被告国(林野庁)は、蔵助沢流域国有林のうち、土砂流出防備保安林を昭和三九年に解除し、昭和四二年度にその地域の僅か三.八七ヘクタールの地域の広葉樹を伐採したのみで、それ以外には、昭和四六年に水源かん養保安林に指定した地域についてはスキー場の指定の前後を通じて全く伐採していないものである。そして、右伐採跡地は、その後、その範囲内に新たに崩壊地が発生した事実もなく、萌芽更新が行われ本件土石流発生当時は既に広葉樹の森林となっており、表土も安定していたことからみて、保安林を解除し伐採したことは、本件土石流発生の因子とはなっていない。

ウ 保安林指定区域以外の蔵助沢流域国有林内の森林伐採と本件土石流発生の関係

蔵助沢流域国有林の森林伐採の事実関係は、前記2(二)(3)記載のとおりであり、被告国は昭和四七年度までに断続的、計画的に伐採しており、また、本件土石流発生当時、無立木地帯はわずかにスキー場ゲレンデ、スキーリフト等の敷地部分一六.〇九ヘクタールであり、それ以外の伐採跡地は萌芽更新され、既に広葉樹の森林となり、かつ、林床は笹の密生地となって安定しており、崩壊地等も見られなかったことなどに照らすと、右森林伐採は、本件土石流の土砂供給源になるなど本件土石流の発生・拡大要因とはなっていない。

エ 蔵助沢流域の森林伐採が洪水流出量に与えた影響について

蔵助沢流域において行われた森林伐採の大部分は、いわゆる東の谷の流域である(但し、この範囲は、百沢スキー場指定以前に地元住民が権原に基づき伐採したものである。)。そこで、右流域の全ての降雨水が表面流となって東の谷を流れたものと仮定し(実際には殆どあり得ないことである。)、合理式によって計算してみると、森林伐採による洪水流出量の増加分は毎秒一.二八立方メートルに過ぎず、この洪水流量の増分が、本件百沢地区で計算された洪水流量及び土石流フロントの規模の中に占める割合は、前者にとっては三.三パーセント、後者にとっては〇.三二パーセントに過ぎない。

また、東の谷の地形条件に照らすと、東の谷の洪水流は北から南に流下してきて町道上に溢れ出すと、そのまま町道上を東に向かって流下し分散してしまうのであり、蔵助沢の土石流あるいは洪水流に影響を与えることはあり得ないのである。

従って、蔵助沢流域の森林伐採が洪水流出量に与えた影響は、無視し得るものであり、本件土石流の発生・拡大要因にはなっていない。

オ 百沢スキー場ゲレンデ部分の森林伐採と本件土石流抑止機能の関係

そもそも、運動を続ける土石流は森林を破壊してしまうというのが研究者間の定説であること、本件土石流発生当日に、蔵助沢を含む岩木山南側斜面に発生した土石流により森林が悉く破壊されていること、百沢スキー場の鋼鉄製のリフトの支柱が剪断されていることなどに照らすと、森林によって本件土石流が止められた可能性があるとはいえない。

また、百沢スキー場ゲレンデ部分に森林が存在していたとしても、本件土石流発生当時の一号床固工下流のスキー場ゲレンデの森林は、杉や唐松の稲掛棒くらいの林にすぎないのであり、このような森林は土石流によって容易に破壊され、逆に、破壊された樹木が流木となって、本件土石流災害の規模を拡大した可能性があるともいえるのである。

従って、百沢スキー場ゲレンデ部分の森林伐採は、森林の土石流抑止機能の低下をまねき、本件土石流の拡大要因となったものとはいえない。

(三) 百沢スキー場の設置・管理と本件土石流の関係

(1) 百沢スキー場指定の経緯等

森林は、林産物の生産をはじめ水資源のかん養、治山治水等の国土保全機能の外にレクリェーション利用の場として重要な効用をもたらしているが、昭和三〇年代から自然の中におけるレクリェーション活動が年々盛んになるにつれ、国有林野の有する多目的機能の一つとして保健休養機能の発揮が強く要請されることとなり、このような社会的要請を受けて、国は国有林野の多目的利用という観点に立って、林業生産その他の公益的機能と総合的な調整を図りつつ、森林レクリェーション機能の一層の発揮を図ることとし、自然休養林、スキー場の設置等を重要な施策として取り入れてきた。

このような利用状況の中で、前記2(二)(2)記載の如く、昭和三七年六月二七日、岩木町議会は、第二二回国民体育大会冬季大会を岩木町へ誘致することを決議し、岩木山国定スキー場建設協議会長鳴海弥一郎らは、同年六月三〇日付で、岩木山スキー場の指定について青森営林局長へ陳情書を提出した。

青森営林局長は、慎重に現地調査を行った結果、スキー場利用区域の保安林解除により土砂流出防備機能を損なうことはないものと判断し、スキー場として指定するため保安林指定解除の申請を行い、農林大臣は、昭和三九年八月一八日付農林省告示第九一五号をもって保安林としての指定を解除した。

以上のとおり、本件国有林野内のスキー場の指定は、保健休養機能の発揮に対する社会的要請を背景に国有林野の適正な管理経営の必要性及び地域経済の発展に寄与するという目的をもって国有林野事業の重要な施策の一つとして実施したものであり、その指定に当たっては国土保全上支障のないように十分な配慮を払っているものである。

(2) 百沢スキー場の開設、整備のために行った整地、沢埋立てについて

ア 百沢スキー場開設当時のゲレンデ整備

蔵助沢の東側の一部にスキー場を開設すべく被告岩木町は、昭和三九年一〇月ころ、スキー場リフト架設に伴いゲレンデ整備の作業を開始した。その当時のスキー場付近を横断する蔵助沢(一号床固工を設置した位置から下流約一五〇メートルの区間)の渓流の状況は、いわゆる沢というよりも自然の山ひだの一番低くなった部分というような状況であり、水の流れる幅はせいぜい一メートル程度で、渓床は低木(柴)や雑草が生い茂っており、水深も春の融雪時でも大人のくるぶし付近位で浅かった。

百沢スキー場付近の蔵助沢は、右のようにほぼ平坦な渓流状況であったから、一号床固工の位置から下流約一五〇メートルの区間の蔵助沢は、スキーの滑走には何ら支障がなく、この区間の沢を埋め立てる必要性は全くなく、埋めた事実もない。

また、ゲレンデの造成については、ブルドーザーで土石、伐根等を押して平坦化作業を行ったが、その際、谷が深くなっていた部分(蔵助沢がゲレンデを横断している区域の下流部分)は、原状に何ら手を加えず、そのままにしておき、右平坦化作業に伴い掘り起こされ、不要となった土石、伐根等は、現在キャンプ場となっている北側の赤松や杉の林の位置にスキーヤーが滑走していかないように、また、谷の深くなった場所に転落しないように、これらの場所を囲むように堤防のように盛り上げ、防護柵の代用とした。なお、盛り上げた材料は、殆どが伐根で土石は二割程度であった。

イ 昭和四二年から昭和四四年ころのゲレンデ整備

被告岩木町は、蔵助沢がゲレンデ部分を横断している区域の中程(後記作業道の上部)に窪地があり、積雪の比較的少ないときはスキーの滑走に危険であったことから、昭和四二年から昭和四四年にかけて、右蔵助沢の流路部分に流水の流下を阻害しないように留意して、長さ約二〇メートルにわたり、直径三〇センチメートルから五〇センチメートル程度の礫を入れて平坦にした。

ウ 昭和四六年ないし昭和四七年ころの蔵助沢の一部埋立て

昭和四六年、四七年ころになると、多くのスキーヤーが訪れるようになり、それにつれて、蔵助沢を横切るゲレンデ部分の幅が狭かったことから不便を感じるようになり、また、沢が深くなっていた部分にスキーヤーが転落する虞れもあると考えられたため、被告岩木町は、蔵助沢を横切るゲレンデの範囲を拡幅することとした。当時、百沢スキー場のゲレンデ部分を横切る蔵助沢の下部には、深さ約四メートルから約七メートルの沢ができていた。そこで、当時、スキー場に散在していた礫、土砂、伐根を、右沢の部分に延長約一五メートルにわたりブルドーザーで投棄し埋め立てた。その際、沢の縦断面が、土石が自然の状態で崩れ落ちていく線になるように埋め立て、また、蔵助沢が急に深くなっていた最下部の埋立てはしなかった。この時、沢埋立てに使用した礫、土砂等の量は百数十立方メートルである。

エ 昭和四九年から昭和五〇年ころのゲレンデ整備

被告岩木町は、スキーヤーの安全を確保するため、ゲレンデ部分の凹凸の激しい箇所を整地するため、アップルロード残土を利用することとした。そして、昭和四九年度に、アップルロード残土二万八一四六立方メートルを利用してゲレンデ下部の部分を整地し、昭和五〇年度は本件災害時までに、同残土をスキーリフト東側下部の部分に四二九〇立方メートル、ロープトウ西側に造成した初心者用スロープに四四〇〇立方メートルを利用して整地し、更に、今後のスロープ造成に使用するためロープトウの北側部分に八五〇〇立方メートルを山積みにしておいた。

また、このゲレンデ整備作業に際し、アップルロード残土を運搬するため、ゲレンデ部分を斜めに横断する作業道を利用したが、蔵助沢を横断する場所には直径八〇〇ミリメートルのヒューム管(長さ二.四三メートル)二本をつないで埋設して水路を確保し、右ヒューム管を埋設した場所から下流約一五メートルの間には、スキーヤーが広く滑走できるようにとの配慮から、右ヒューム管に接続させてコンクリート製U字溝(長さ一メートル、幅八〇センチメートルから一メートル)一五本を敷設した。更に、タル木等をU字溝の上にわたし、その上にベニヤ板を敷いてスキーヤーの安全と便宜を図った。

なお、アップルロード残土は、ゲレンデの敷地やスロープ造成用に使用したが、蔵助沢の埋立てには使用していない。

オ 本件百沢スキー場の整地や沢埋立てと本件土石流の関係

まず、昭和四二年から昭和四四年にかけてゲレンデ平坦化のため蔵助沢に入れられた礫は、その下流にあった作業道の路面及び路体が本件土石流の流下後も殆ど破損されず流出していない事実に照らして、本件土石流の流下によっても流出していなかったと考えられる。

また、被告岩木町が、昭和四六年ないしは昭和四七年ころには百沢スキー場のゲレンデ拡幅のために蔵助沢に投棄した礫、土砂等も、投棄場所付近の状況が本件土石流の発生前後で殆ど変化していないことから、本件土石流の流下に際し殆ど流失せず、ただ、地表の植生が押し流された結果土石を埋め立てた断面が露出したにすぎないと考えられる。仮に、蔵助沢に投棄した土砂礫等が本件土石流災害時に流下し百沢地区に到達して本件災害に関与したとしても、その投棄土砂礫等の量は被告岩木町の試算によると一六五.六立方メートルであり、本件災害を引き起こした土石の量五万五四〇〇立方メートルに占める割合は、僅か約〇.三パーセントに過ぎない。従って、蔵助沢の埋立て土砂礫等は、本件土石流災害に関与しておらず、仮に関与していたとしても、その影響は無視し得るものである。

更に、百沢スキー場ゲレンデの整地に使用したアップルロード残土についても、本件土石流災害後撮影された空中写真によれば、本件土石流により運ばれた土砂がアップルロード残土の上に堆積していることが判読できることから、本件土石流に際し、アップルロード残土は流失していないものと認められる。

以上のことから、百沢スキー場の整備のために行った整地や一部の埋立ては、本件土石流の拡大助長要因になったものとはいえない。

3  土石流災害対策について

(一) 土石流災害対策一般について

(1) 土石流災害対策の現状について

土石流に限らず、あらゆる災害対策は、その原因となる現象が起こらないようにすること、また、一旦現象が起こっても、人間の生活を脅かす前に止めたり無害になるように処理すること、或は、人命の損失だけは回避するということであれば、危険な範囲から避難することなどが考えられる。

しかし、土石流は、ごく希にしか起こらないため、これを観察する機会に恵まれず、結局、科学研究一般の方法をもってこれを研究するには幾多の障害が存し、研究発展の妨げになっていることから、今日でもなお土石流の発生、流動、停止の機序については不明な部分が多く残されており、土石流に有効適切に対処し得る手法が確立しているとはいえない状況にある。

(2) 土石流の発生防止について

土石流は斜面若しくは谷底の堆積物の破壊現象によって発生することから、山腹斜面や渓床内の堆積物が破壊しないようにすれば、土石流の発生を防止できるが、そのためには、ある程度具体的に土石流が発生する場所を特定しなければならない。しかしながら、今日までのところ、自然の状態の山腹や渓床堆積物の状態、例えば、石や土の絡み合い方や、大きな石の分布の仕方を知ることが不可能に近く、また、そこにおいて破壊現象を引き起こす水の動き方、特に決定的に関与する地下水の集まり方等を知る方法は全くないことから、土石流が発生する場所を具体的に特定することができず、従って、土石流の発生そのものを防止することは不可能というほかない。

(3) 発生した土石流の流動阻止及び無害処理について

発生した土石流の流下を阻止する方法を検討するためには、流動する土石流がどの程度の破壊力をもつかを知ること、即ち、土石流の物体量、流速を知ることが必要であるが、その方法は未だ確立されておらず、また、無害処理の方法も実験的な試みに止まっており、結局、発生した土石流に有効に対処できる対策工法は、今日においても開発されていない。

(4) 避難措置について

行政が、避難措置により土石流災害の発生を防止するためには、災害に対して安全であると考えて居住している住民に対し、その居住地が土石流により被災する具体的危険性があるという認識を抱かせるだけの情報を提供しなければならず、従って、居住地の上流が土石流が発生しそうな渓流・渓床・山腹の状況になっていること、土石流が発生する時期、どの範囲までが危険に曝されるのかなどについて住民に具体的に明らかにしなければならないことになる。しかしながら、今日までの土石流に関する学問的、技術的成果の水準では、土石流発生の「場所」と「時」を具体的に予知できず、住民に対する具体的な情報提供の要請に応ずることができる状況には至っていないのである。結局、各谷毎の土石流の発生しやすさを知ることは不可能であり、土石流の発生時期を知ることも、土石流の心配がなくなったことを知る方法もなく、土石流による災害の及ぶ範囲を予測することも、発生する土石流の規模が予測できないことから極めて困難な事情にあり、従って、安全と思い長年住み慣れている住民に対し、避難行動に移る気持ちを抱かせるに足りるだけの具体的な情報を提供し、これに基づき住民に避難を促すということは、至難の技というほかはない。

(二) 被告国の土石流災害対策について

(1) 我国における砂防の歴史

我国は、河川の流路が短く、勾配も急であり、また、活火山や休火山が多く、火山噴出物が堆積し、風化の進んだ山地が多いうえ、モンスーン温帯地域に属し、低気圧や前線の発生通過が多く、それに伴い多量の降雨がもたらされるという気候的条件下にあるため、山間部では、降雨により山崩れや洪水氾濫の起き易い形状となっている。このため、砂防の重要性については古くから認識され、最初は木を切ってはいけないという取締りから、次第に山腹に植栽することとなり、現代においては渓流に砂防ダム等を築造するという変遷をたどってきている。

即ち、我国の土砂害対策は、その時代の社会的背景や対策工法の開発に応じて進歩変遷をたどってきたものであるが、その主たる目的は、広域的な治山、治水を図り、河川の改修と並ぶ治水対策として洪水氾濫を防止軽減することにあったものである。砂防法も、水源山地における土砂生産の抑制と流送土砂の貯留及び調節によって河状を安定させ、流水を安全に流下させることによって、河川における土砂による災害を防止軽減することを目的とし(同法一条)、右目的を全うするため、砂利指定地における森林の伐採等の砂防上有害な行為を禁止、制限し、また、山腹や渓流に山腹工や砂防ダム等の設備を設置することとしている(同法二条、四条、五条、六条)。

しかし、近年、文明、経済の高度な発展に伴い、山地開発が進み、人間の居住範囲が拡大し、人々が新たな土砂害との関わり合いをもつようになり、これを原因とする災害が多発するに至り、右災害に対処する局所的土砂害対策の要請が次第に強まり、砂防は、これまでの河川法上の河川のみならず、河川法に定められていない河川、即ち、渓流についても、ここに居住する人々や財産を突発的に発生する土石流災害から直接守る必要に迫られるようになってきた。そこで、右要求に応えるため、砂防法上の治水の概念も、河川の氾濫を防止又は軽減するため上流の土砂等の崩壊流出等を防止減少させるという基本的な考え方の中に、土砂等の崩壊、流出により直接受ける人命被害を防止軽減する土石流対策等をも取り込むようになり、現在は、直接土石流による災害を防止するための土石流対策についても、砂防法に基づく砂防事業の一環として治水上砂防の工法を応用させながら実施している。

(2) 土石流対策の開始

土石流現象は、山津波、山シオ、蛇抜け、鉄砲水等といわれ昔からあったが、土石流災害が社会的に注目を集め、その対策が叫ばれるようになったのは、比較的最近のことであり、特に、砂防において土石流を本格的に意識し、その対策に取り組むようになったのは昭和四〇年代になってからである。殊に、昭和四一年九月、西湖(山梨県)周辺で発生した土石流が大災害となり、大きく社会問題化し、土石流対策の要請が急速に高まったことが契機となっている。被告国(建設省)は、このような要請を受けて、昭和四一年から翌昭和四二年一月末までにかけて土石流発生危険区域の全国調査(四一年調査)を行ったが、これが土石流災害対策の本格的検討の開始であった。当時、土石流に対する特別の工法は全く開発されておらず、また、土石流の発生機構等の学問的研究もなされていなかったため、実際の具体的対策は従前の治水上砂防の工法に基づき、これまでに整備してきた砂防設備を活用して、いわば治水上砂防という対策の中に自然移行的に土石流対策を取り込むことになった。

(3) 昭和四一年に実施された土石流発生危険区域の全国調査について

ア 調査の目的

土石流発生危険区域の全国調査(四一年調査)は、昭和四一年一一月から翌昭和四二年一月末まで行われたが、当時は、土石流についての知見が殆どない状況であったことから、調査の目的は、過去に発生した類似の現象による災害事例に基づく経験による知見をもとに地形、地質等類似の自然的条件下にある渓流を選び出し、土石流が発生した場合の想定被害人家、公共施設等、いわゆる保全対象の多寡を明らかにし、よって土石流対策を講ずべき区域を把握することにあり、また、調査の主眼は、人家、公共施設等の保全対象の多い地区をできるだけ速やかに選び出し、これらの地区に仮に土石流が発生した場合、その被害を少しでも回避すべく、有効な対策方法は確立し得ないまでも、これまで得た治水上砂防の技術的知見に基づき、実行可能な範囲で早期に対策を施さなければならないとの意図によるものであった。

そして、右調査の結果、全国で一万五六四五渓流、人家四三万戸が把握されたが、もとより、右調査の目的の主眼は、保全対象の多い地区をできるだけ速やかに知ることにあったこと、更には、当時の科学的水準では土石流発生について「いつ」「どこで」「どれだけの量」といった具体的な予知に関しては全く不可能というべき状況にあったことから、この調査の結果によって抽出された地区が文字どおり土石流発生の危険が現実化している地区であることを意味するものではなかった。

イ 調査の内容

右調査の調査要領によると、調査対象地を「抽象的に一見安定して河状、林相を呈している地域」で「現在は荒廃していない場所である」としていたが、このような谷は一見して穏やかな流域、いわゆる普通の谷であり、当時は、土石流についての知識が殆どなかったことから、これら普通の谷に土石流発生の虞れを見いだすことは不可能であった。そこで、実際に調査を行う各都道府県の担当者は、国の担当者(建設省)から流域面積が約五平方キロメートル以下の谷を土石流発生の虞れのある谷とみなすとの具体的指示を得て、そのような谷の下流に集落の存する谷だけを選び出して調査対象地としたものである。

また、右のような方法で選び出された各調査対象地について具体的な対策を講ずるためには、右各地域の地理的、自然的特性等を明らかにする必要があった。そこで、右調査対象地毎に、当時の学問的、技術的知見の下で土石流の発生に関与すると思われた地形、地質、植生等に関する事項も調べ、その結果を調査表に記入して整理することとした。しかし、右調査の際に示された調査項目や調査表記載要領の各記載事項は、日本の山地が有する一般的特性を示しているに過ぎず、また、調査項目の中には、その判定基準が抽象的で、調査者の主観によるところが大きく、客観的で統一的な選別が不可能であるものがあった。

更に、右調査が実施された期間は約三か月間と極めて短期間であり、調査時期も我国の約半分の地域が積雪期に当たっていたため、これらの地域では現地踏査を伴う項目を殆ど調査できず、地形図や記憶に頼るなどという方法で行われたのが殆どであった。

結局、このような調査により整理された結果からは、各調査対象地に我国の山地が有する一般的特色がどの程度存するかは分かっても、土石流の発生し易さに関与する因子がどの程度あるのかという点を具体的に知ることはできず、従って、各調査対象地毎に土石流の発生し易さを知ることはできなかったものである。

なお、右調査においては、土石流発生と降雨との関係についての調査は行われなかったが、それは、当時、雨と土石流の関係について系統立った調査や研究が行われておらず、実際問題として調査を行うことができなかったからである。

ウ 調査結果の分類

右調査が一通り終了したところに、その結果を分類する作業が追加された。この分類は、右調査で抽出した渓流が全国で一万五六四五という数に上り、これらの地域で実際の事業を同時に開始することはできないので、主に、工事着手の優先順位を決める観点から行われたもので、調査対象地の渓流状況、地形、地質、植生等のいわゆる素因的な事項に着目したものと調査対象地の人家戸数によるものの二通りの分類を組合わせたものであった。そして、素因的な面からの分類では、調査対象地のうち全体の五九パーセントが最も土石流発生の危険度の高い甲型、三九パーセントが乙型となり、丙型は僅か二パーセントという結果になった。しかし、右分類は、前記イ記載の調査項目につき、客観的基準がないまま、極めて短時間に、積雪地帯では現地調査を殆どせずに行われた調査結果に基づいてなされたものであり、結局、右型式分類は、土石流の発生し易さを表したものと認められないものであった。

エ 従って、右の土石流発生危険区域調査で明らかにされたことは、全ての谷で土石流が発生したと仮定した場合に土石流災害が発生する虞れのある集落が日本のどこにどれくらい存在するかということであり、右調査結果では、各調査対象地毎に日本の山地の持つ一般的特徴がどの程度認められるかについては整理されたが、土石流発生の危険性を具体的に把握することはできなかったといわざるを得ない。また、右調査には容観的な指標が殆どなかったことから、調査結果の客観性も乏しく、土石流発生の重要な因子である雨に関する調査も行われなかったことなどの理由により、土石流発生の危険性を見い出すような成果も得られなかった。

(4) 土石流施設計画について

前記3(二)(3)記載の四一年調査により土石流発生危険区域とされる渓流が把握されたことから、右渓流に土石流の助長を抑制するため、とりあえず原則として一基の砂防ダムを築造することとした。その築造順序は、人家、公共施設等の保全対象数及び自然的条件を総合的に勘案して決定することとし、また、築造する砂防ダムは、土石流対策としての有効な施設、工法が開発されていないため、従来の砂防ダムを参考にして、当該渓流の地形、地質及び経済的効果等を総合的に勘案し、経験上最も有効と考えられる位置と規模を定めることとされ、概ね谷の出口付近に高堰堤を築造するのが相当であるとして事業に着手した。

このような、砂防ダムを一渓流に原則として一基築造するという土石流対策は、科学的に土石流の発生場所、時期、発生機構、規模、氾濫区域、衝撃力等の予知予測が全く不可能であり、かつ、現に土石流災害が発生しており、しかも全国に一万五六四五か所もの危険区域が存在している状況に鑑みると、最も効果的で合理性の有する対策であるといえる。

(三) 被告青森県の砂防行政について

(1) 被告青森県における土石流対策の開始について

被告青森県の砂防行政の中に土石流対策が取り込まれた経緯は、昭和四一年に実施された土石流発生危険区域調査がその端緒となった。

被告青森県における土石流発生危険区域調査は、昭和四一年一〇月から前記土石流発生危険区域の調査要領に基づいて行われたが、調査を進めるに当たって不明な点は、被告国(建設省)の担当官に問い合わせ、流域面積が約五平方キロメートル以下の谷を調査対象とするとか、人家戸数五戸以上が渓流の下に存する箇所を調査対象とするなどの指示を得ながら実施した。

右調査の結果、青森県では、最初一〇五か所の土石流発生危険区域が抽出され、その後、追加調査の指示を受け、更に九か所が追加され、合計一一四か所を土石流発生危険区域として抽出した。そして、被告青森県は、右土石流発生危険区域を型式分類し、昭和四二年春に最終的調査表を被告国(建設省)に提出した。

ところで、右調査が実施された当時、被告青森県の砂防職員らは土石流について殆ど知識がなく、また、当時は全国的にも土石流に関する調査や研究が殆ど行われていなかったことから、被告青森県が右調査を実施したからといって、県内の谷の土石流発生の危険性を個々の谷毎に具体的に把握できたわけではなく、人家五戸以上の集落で付近に渓流が流れている場所を把握したに過ぎない。更に、被告青森県が右調査を行った時期は、積雪期であり、調査期間も三か月と極めて短かかったため、現地調査は殆ど行えず、机の上の作業が中心であったことから、右調査によって、青森県内の谷について、土石流発生の危険性を具体的に把握したとは到底いえなかった。

(2) 被告青森県における土石流対策工事の実施について

右土石流発生危険区域のうち人家戸数の多い箇所から谷の出口付近にとりあえず砂防設備を一基ずつ築造するとの被告国(建設省)の対処方針に基づき、被告青森県においても検討の結果、昭和四三年八月末以降に土石流対策事業五箇年計画をまとめ、右計画書を作成し被告国(建設省)に提出した。ただし、冬季間は積雪のため砂防工事の実施は困難であったことから、実際に土石流対策事業が開始されたのは昭和四四年度からであった。

そして、具体的な工事の進め方は、右調査により抽出された谷が無施設のままにあるという状態をなくすという方針の下に、仮に土石流が発生した場合に被害が大きくなると予想される人家の多い場所から、順次、規模の大きな砂防堰堤を築造するものとした。

(四) 蔵助沢の砂防設備について

(1) 一般砂防と土石流対策砂防

ア 一般砂防の基本的考え方

一般砂防は、水系における土砂生産の抑制と流送土砂の貯留及び調節によって河状を安定させ、流水を安全に流下させることによって、河川における土砂による災害を防止軽減することを目的とする。一般的には、河川、渓流の荒廃の状況を観察し、その荒廃原因がいかなる自然現象に基づくものであるかを把握したうえ、水源山地からの土砂の流出が考えられるときは、水源山地の土砂生産を直接扞止するほか、流出土砂の貯留と調節を図り、渓床、渓岸の縦横侵食に対しては侵食の防止を、下流堆積地の侵食に対しては流路の固定を目的とし、それぞれ砂防設備を設置する。しかし、実際の河川、渓流の荒廃は、右の諸原因が相互に関連している場合が普通であるため、砂防設備を設置後も、長時間にわたって河川、渓流の状況の変貌を観察しつつ、必要に応じ新たに砂防設備を増設するなどの修正を加えていく方法がとられる。

イ 一般砂防の砂防施設

一般砂防の砂防施設としては、砂防堰堤と床固工が代表的なものである。

砂防堰堤(砂防ダム)は、まずその貯砂機能により上流から流下する土砂を貯留して渓床の拡大と勾配の緩和を図り、次いで満砂後は大洪水に伴う流出土砂を一時的に堆砂面に貯留させ、その後の中小洪水によりこれを徐々に長期間にわたって下流に流下させる調節機能を有するものである。

これに対して、床固工は、砂防堰堤と異なり貯砂を目的とするものではなく、渓床の人工岩盤として現在の渓床及び渓岸の侵食を防止し、これを安定させることを目的とするものである。

ウ 土石流対策砂防の基本的考え方

土石流対策砂防は、一般砂防と異なり、突発的に発生する土石流により直接受ける人命被害を防止軽減することを目的とし、その主眼は瞬時ともいえる土砂、石礫等の流下をいかにして阻止するかにある。しかし、現在の科学的水準では、未だ効果的な土石流対策を講ずる方法を見い出すには至っていないため、一般砂防の工法を応用させながら実施している段階にある。

(2) 蔵助沢砂防指定地

被告青森県は、昭和四一年度の新規事業箇所の抽出作業のため、昭和四〇年度に蔵助沢の調査を実施したところ、鬱蒼たる森林に覆われていて荒廃は見られず、現に土砂害も発生していなかったが、同渓流の下流域(標高二七五メートル付近から上流へ延長一七〇〇メートルまでの区域)に局所的に侵食状況を呈する箇所がみられ、このまま放置しておくとこの状況が更に進行する虞れがあって治水砂防上好ましくなく、これらの箇所を砂防設備で対処するのが相当と認められたので、国に対して上申し、昭和四一年六月一〇日、建設大臣から右下流一帯について、砂防指定地の指定を受けた。

この砂防指定地制度は、建設大臣が砂防法二条に基づき、治水上砂防の目的(水源山地における土砂生産の抑制と流送土砂の貯留及び調節によって下流の河川における河道埋そく、河床上昇など土砂による災害を防止軽減し、流水を安全に流下させること)のため、堰堤や床固工等の砂防施設を設置する区域として、或は、立木の伐採や土石の採取等の土砂の生産流下を促す砂防上有害な行為を禁止制限する区域として一定の区画の土地を指定するものである。従って、砂防指定地に指定されたことが、直ちに土石流発生の危険性を公示したものとはいえない。

(3) 蔵助沢一号及び三号床固工について

前記3(四)(1)記載のとおり、蔵助沢の現地調査の結果、荒廃状況は認められなかったが、後に一号床固工が築造された場所付近に一部侵食が認められたことや、地元岩木町でも公共事業の着手を要望していた事情もあり、青森県知事は、右局所的侵食が更に拡大するのを防止するため、床固工による渓床の固定を計画し、昭和四一年九月標高三五三メートルの地点に一号床固工を築造した。

また、右現地調査の結果、現在の三号床固工付近が、幅が狭く、V字型をしていて、一部侵食が見られたため、これを防止するため、昭和四五年二月標高二九〇メートルの地点に三号床固工を築造した。

このように、一号及び三号床固工は、渓流の侵食防止のために計画された一般砂防の砂防設備であり、貯砂機能に着目して規模の大きな砂防堰堤を谷の出口付近に、とりあえず一基ずつ築造することとした土石流対策のための砂防設備ではないのである。

(4) 蔵助沢二号堰堤について

蔵助沢二号堰堤は、四一年調査の結果把握された土石流発生危険区域の谷に原則として一基ずつ砂防堰堤を築造していくこととする土石流対策の一環として、青森県知事により、昭和四四年一一月標高四三五メートルの地点に築造されたものである。

また、二号堰堤の築造場所として選定された場所は、谷の出口付近で岩盤が露出している箇所であり、右地点より下流には堰堤を築造できるような岩盤が露出している場所はなかったことから、堰堤の築造場所としては妥当な地点であったものである。

更に、二号堰堤の規模についても、昭和四四年当時の学問的、技術的な研究成果の水準では、あらかじめ発生する土石流の規模や破壊力を知ることは不可能であったことから、当時の全国的な施工技術の限界や実際の土石流の流下に堰堤が有効に機能した例などを参考にし、また、被告国(建設省)が全国の都道府県に示した目安が「高さ一〇メートル程度」であったことから、被告国(建設省)と協議したうえ、高さ約一一メートルとしたものであり、十分な合理性を有するものである。

なお、本件土石流が流下する前の二号堰堤の上流側には、今日見られるような土砂の推積はなく、上流から見ても、渓谷を横断している衝立てのような状況であったものである。

(5) 蔵助沢の砂防設備の本件土石流に対して果した効果

蔵助沢の砂防設備は、本件土石流に対してそれぞれの設置目的及び機能に応じて期待された効果を発揮したものである。

まず、二号堰堤は、倒壊を免れ、本件土石流による流送土砂を堰堤天端の上限一杯に抑止し、かつ、そのエネルギーを減殺し、十分にその効果を発揮した。

また、一号床固工及び三号床固工は、本来土石流を対象として設置されたものではないが、それぞれの築造されている場所一帯の渓床の低下を防ぎ、本件土石流の通過に伴う侵食を防止し、渓岸の崩壊を最小限度に止めたものと認められる。

従って、蔵助沢の砂防設備には不備はなかったといえる。

(五) 気象観測について

(1) 気象業務の適法性について

被告国(建設省)は、気象、地象、水象等の観測、調査及び研究を行い、気象、地象(地震及び火山現象を除く)及び水象を予報し及び警報する業務を管掌し、これらの業務は気象庁を置いて実施しているところである(運輸省設置法四条、六〇条、六一条、六五条、六六条、七八条等)が、現行法の建前上、気象、水象等について、いかなる観測をどこに観測点を置いてどのような方法で行い、その観測の成果に基づいて、どのような地域範囲でどのような予報、警報をどのような形で発表するかは、全くの行政裁量に属し、かつまた国民は、行政主体に対し、気象、水象等について予報、警報等を要求しうる地位にはないのであり、のみならず、本件災害の前から津軽地方における気象予報並びに注意報が発表されているのであるから、たまたま岩木山に降水観測施設が設置されていなかったからといって、そのことが、行政庁の国民に対する義務違反とすることはできないし、国家賠償法上の違法行為となることはない。

(2) 本件災害当時の青森県下における気象観測網について

青森地方気象台管内においては、逐次気象観測施設網の整備がなされ充実化され、本件災害発生当時岩木山周辺における雨量観測施設は、鰺ヶ沢、五所川原、黒石、大鰐、碇ヶ関の各アメダスの外、東目屋に地区農業気象観測所、弘前に気象観測所、深浦に測候所、その他、毛無山、四兵衛森、空岱山に無線ロボット雨量計が各設置され、正常にそれぞれ機能していた。

(3) 本件災害発生当時の青森県下における大雨注意報等の発表について

本件災害当時、青森県下に設置していた雨量観測用の各気象施設により、また、秋田地方気象台と函館海洋気象台に設置してある気象用レーダーによって得られた各資料により、青森県下における本件災害発生当時青森地方気象台が発表した注意報、警報及び情報は次のとおりである。

昭和五〇年八月五日一一時一五分 雷雨注意報発表

一四時一五分 同右解除

一八時三〇分 雷雨注意報発表

二一時四〇分 大雨・雷雨注意報切替

同月六日一時三五分 大雨警報・雷雨注意報・洪水注意報(津軽下北地方)切替

五時四〇分 大雨・洪水警報、雷雨注意報切替

六時二〇分 大雨に関する情報第一号発表

一〇時一〇分 同右第二号発表

一四時一五分 洪水注意報(津軽)切替

同月七日五時三五分 大雨・雷雨注意報、洪水注意報(津軽)切替

一〇時〇〇分 同右解除

(4) 岩木山の降水量観測について

昭和三三年から昭和四四年まで岩木山の西麓の黒森山に設置していた雨量計は、長期自記雨量計であって、あくまでも調査用の観測器であり、一定期間の降雨量を収集してその一定期間内での目的を達すれば、他の地域の雨量の調査のため移設するものであり、構造も簡単に移動設置できるよう設計されている。また、その機能も無人で約一〇〇日間稼働できるようになっており、職員が自動的に記録された雨量についての自記紙(記録紙)を交換して、気象官署にもち帰り、過去一定期間の観測期間における雨量を読み取るものである。従って、右雨量計自身に通報性は全くないほか予報、警報に直ちに利用できるものではなく、後日の調査、統計用などに主に利用するものである。

かかることから、岩木山の西麓の黒森山に設置した長期自記雨量計は、昭和三三年から昭和四四年までの一二年間右地域での雨量を観測し、その目的である雨量分布の地域調査と無線ロボット雨量計の捕捉雨量の検討等の目的を達したので、昭和四五年からは別の細域雨量調査地域である仙台空港周辺の雨量調査のため移設した。

(5) 以上のとおり、本件災害発生当時は、青森地方気象台管内の気象観測網は整備されており、これらの観測の成果に基づいて、青森地方気象台は、注意報、警報等を発表していたものであるから、被告国は行政裁量上においても、違法ないしは不当と評価される余地はない。

(六) 避難措置による土石流対策について

(1) 避難措置による土石流対策が具備すべき要件

一般に、防災対策が具体的に意味を持ち有効性を発揮するためには、防災の対象とする現象について、少なくとも、その現象の起こる場所、時期、規模(被災の範囲、被災の程度等)を相当の精度で把握し、或は、把握し得ることが必要であり、これらの情報が不十分であれば防災対策の樹立は困難なものとならざるを得ない。仮に、一応の対策が講じられたとしても、情報の不十分さ故に防災対策の具体性、有効性が希薄なものとなる場合が多い。特に、避難措置により防災対策を実行あらしめんとする場合にこの傾向は顕著である。

(2) 避難措置による土石流対策の困難さについて

土石流については、発生、流動、停止の機序が殆ど解明されていないため、避難措置についても実際に行おうとする数々の障害がある。特に決定的なことは、具体的な災害発生の虞れのある「場所」(土石流がどの渓流で発生し、どこまで到達するかということ。)と「時」(土石流がどのような状況のときに発生し、どこまで到達するかということ。)を防災行政の観点に立って特定することが殆ど不可能に近いということである。いうまでもなく、防災行政は、対象とする現象の機序が科学的に十分解明されていなくても、その当時到達し得た知見の範囲で最善の努力をすべきことは当然であるが、土石流に関しては、学問的、技術的研究の成果の水準が未だ実用的な段階に至っておらず、具体的な方策を見い出せない状況にある。

ア 「場所」の特定について

土石流の発生に関与する要因のうち、素因としては、谷の勾配と推積物の量及び質が考えられているが、本件土石流災害発生当時は、土石流が渓床勾配一五度程度以上の場所から発生し易いということのみが明らかにされていただけである。ところが、我国は地形急峻で山地を刻む谷の殆ど全てが渓床勾配一五度程度以上の場所を有するものであり、渓床勾配をもって土石流発生の虞れのある谷を具体的に特定することはできないのである。また、仮に、何らかに方法で防災対策の対象とすべき谷を特定し得たとしても、どこまで災害が及ぶかという問題を解決しなければならないが、これの解決法は確立されていないのであり、結局、どの谷の、どの範囲までが危険なのかということを知る手法はない。

イ 「時」の特定について

行政が行う避難措置は、災害直前まで日常生活が営まれている場所から住民を一時的にもせよ隔離し日常生活のサイクルを中断させてしまうことになるから、どのようなときに避難させるかについては極めて慎重な配慮がなされなければならず、土石流の発生を具体的に予測できない限り、行政庁が軽々にこれを行うことは許されない。

ところで、地形的、地質的要件を備えている谷で、どのような状況のときに土石流が発生するかは降雨水の土石流発生流域への集まり方で決まるといわれているが、それを知る手法は今日でも確立されていない。例えば、これまで降雨の推移を目安にして土石流の発生を予知しようとの試みがいくつか行われているが、降雨の推移自体が事前に把握できないのであるから、これらの手法を土石流発生の事前予知に応用することはできないし、これら以外の研究はいずれも未完成のままである。結局、どのような状況のときに、どの時点で避難させればよいか決めることはできない。

ウ 気象官署の発する気象情報を避難の契機とすることについて

仮に、気象官署の発する気象情報を目安にして土石流災害を防止するため住民を避難させるべきであるとすれば、毎年のように大雨警報が出される機会の多い梅雨や台風の季節には、渓床勾配一五度程度以上の全ての谷沿いの住民を避難させなければならないことになってしまう。しかし、これは非現実的で実行不可能な方法である。

エ 避難措置により土石流災害を回避することができた事例について

避難措置により土石流災害を回避することができた事例は、過去に数度にわたり土石流災害に見舞われ、その体験を生かし、住民が自発的な避難体制を組織している、特殊例外的な場合である。しかも、その詳しい実情分析によると、土石流発生時に自宅に止まって避難しなかった住民は五四パーセント以上もあり、また、避難した住民も自主的な判断に基づいて決めたものが六五パーセント以上に及んでいる。このように、土石流災害を身近に体験し、土石流災害に対する認識が高く、自発的な避難が成功した事例についても、その実情は右のとおりであることから、土石流災害の体験のない地域住民の場合は、防災意識も低いため、避難措置による土石流災害の防止は極めて困難な状況にある。

(3) 被告国が都道府県に対して行った通達等について

確かに、昭和四一年の西湖災害以後、被告国は全国の都道府県に対し、避難体制の整備について通達等で指示してきたが、これは、土石流に有効適切に対処し得る手法は全く開発されていないながらも、続発する土石流災害により多数の人命が失われていく状況を看過し得ず、手探り状態ながらも極力災害を減少させたいとの切実な願いから、重大な注意を喚起し、行政の方針を示すために発したものであり、避難体制の整備が直ちに実行可能なものと認識していたわけではない。

(4) 結局、土石流発生の危険が切迫していることを予知する手法については今日でも実用に供し得るものではなく、防災対策上不可欠な要件が欠落しているため、警戒避難措置により土石流災害を防止することは極めて困難であるというほかないのである。

4  被告らの法的責任について

(一) 蔵助沢における土石流発生の予見可能性について

前述の如く、土石流災害を防止するためには、「いつ」「どこで」「どのくらいの」土石流が発生するかについて、具体的に予見できなければならないが、前記1(三)(四)記載のとおり、今日においても、土石流発生の機序は解明されておらず、また、発生する土石流の規模や堆積範囲を推定する手法も確立されていないことから、およそ土石流の発生を予見することは不可能である。また、前記3(二)(3)記載のとおり、四一年調査で明らかにされたことは、全ての谷で土石流が発生したと仮定した場合に土石流災害が発生する虞れのある渓流がどこにどのくらいあるかということであり、各調査対象地毎に土石流発生の危険性を具体的に把握することはできなかった。従って、蔵助沢における土石流の発生を予見することは不可能であった。

原告らは、土石流災害対策としての土石流発生の予見可能性を考える場合には、具体的な予見可能性は必要でなく、土石流発生の危険が蓋然的に認められることで足りると主張しているが、そこにいう「蓋然的危険」の意味が、地形的、地質的に土石流発生の要件を備えている谷という意味であるならば、日本国中の谷の殆どはその要件を備えていることから、この程度の予見可能性は何ら法的な意味を持たないといわざるを得ない。蓋し、予見可能性とは、少なくとも具体的な内容を有する回避義務を導き出す程度の具体性が必要というべきであり、日本国中の殆どの谷で土石流発生の予見可能性があるとするならば、それを回避する具体的な措置としては、谷沿いの住民を全て立ち退かせるという荒唐無稽な事態になってしまうからである。

(二) 砂防に関する行政上の指導監督義務及び砂防指定地の管理義務違反について

(1) 砂防指定地について

前記3(四)(2)記載のとおり、蔵助沢の一部が砂防指定地であることをもって、直ちに土砂害の虞れのある地域と見ることはできず、ましてや、土石流発生の危険性を示すものと解することは到底できないものである。

(2) 砂防指定地の監督義務について

原告らは、砂防指定地は土砂害発生の危険性のある地域なのであるから、被告国(建設省)は砂防指定地に関して都道府県知事を指導、監督する権限を有し、義務もあるとし、また、被告青森県は、砂防指定地である蔵助沢を監視し砂防設備を維持管理する義務があり、そのために吏員をおかなければならないと主張する。

しかし、渓流の状況が肉眼で捉えられるように時々刻々と変化するということはなく、また、渓流の状況を調査しても、地下の堆積物の蓄積状況を知る手法が今日でも見い出されていないことから、土石流が発生するかどうか知ることはできないのである。また、土石流はいつ発生するのか分からない現象であり、しかも、どの渓流で発生するのかも分からない状態であることを考えると、吏員が常時監視することは到底不可能である。更に、蔵助沢は、前記2(一)記載のとおり、土石流災害の発生を予測させるような荒廃状況のない平穏な場所であったのであり、日々の蔵助沢の状態や土砂の動きを監視したとしても、土石流の発生を予見でき、土石流災害を防止できたと考えることはできない。

(3) 砂防設備についての管理義務違反について

蔵助沢二号堰堤については、前記3(四)(4)記載のとおり、昭和四四年一一月に青森県初の土石流対策ダムとして築造されたのであるが、その際、谷の出口付近で岩盤が露出している箇所に高堰堤として築造することとされたのであり、それは当時の技術的知見に照らしても、位置的、地形的、場所的にも妥当といえるものであった。

ただ、本件土石流災害に際して二号堰堤が破損する結果となったが、土石流という現象が殆ど解明されていない昭和四四年の築造当時、二号堰堤が土石流に対してどれだけ抑止力があるのか予測すらできないような状況の中では、むしろ当時の学問的水準、技術的知見が及ぶ限りの力を尽くして、二号堰堤を築造したものであり、前記3(四)(5)記載のとおり、二号堰堤のみならず一号及び三号床固工も、それぞれの設置目的及び機能に応じた効果を発揮したといえる。

従って、蔵助沢の砂防設備の管理義務違反はない。

(三) 蔵助沢流域周辺保安林及び蔵助沢の管理義務違反について

(1) 保安林について

保安林制度は森林のもつ公益的機能に着目して設けられた制度であり、保安林とは災害の防止、水源かん養その他の公共の目的を達成するため、農林水産大臣又は都道府県知事によって指定され、森林法上特定の制限ないし義務を課せられる森林である。つまり、保安林は、森林所有者等がその権原に基づき森林の育成並びに使用収益を行うことを全く否定するものではなく、それを前提としつつ適切な森林施業を遵守させ、もって森林の公益的機能を確保し、公共の目的達成を図ろうとするものである。

ところで、国家賠償法二条にいう「公の営造物」とは、国、地方公共団体の行政主体により、直接、公の目的のために供用される有体物ないし物的設備、あるいは、国又は公共団体等の行政主体により特定の公の目的に供用される建設物又は物的設備を指すものであるから、これによれば、保安林は森林を直接行政主体自身の使用に供するものではなく、かつ、保安林として指定された森林を一般公衆の共同使用に供するものではないから、保安林は公の営造物に当たらない。

(2) 蔵助沢流域周辺保安林の管理義務違反について

本件保安林解除は、岩木山スキー場の指定に伴い、森林法二六条一項(指定理由の消滅)を適用して、昭和三九年八月一八日農林省告示を以て解除したものであるが、右条項を適用して保安林を解除する場合の要件としては、①受益の対象が消滅したとき、②自然現象等により保安林が破壊され、かつ森林に復旧することが著しく困難と認められるとき、③当該保安林の機能に代替する機能を果たすべき施設等が設置されたとき又はその設置が極めて確実と認められるとき、④その他森林施業を制限しなくても受益の対象を害す虞れがないときなどに該当する場合であるところ、本件保安林解除区域の状況等は、山腹崩壊等の痕跡は全く認められず、更に、森林伐採地は萌芽更新が行われ、既に約一〇年生の広葉樹の森林になっており、しかも表土は安定し崩壊地の発生も全くないものであったことから、右④を適用して解除したものであり、違法ではない。

また、前記2(二)(6)記載のとおり、本件保安林の解除ないしは森林伐採が、本件土石流に関与した事実は全くない。

以上のとおり、本件保安林の解除は違法ではなく、保安林の管理に落度はなかった

(3) 蔵助沢の管理義務違反について

原告らは、被告らが蔵助沢の所有者、管理者であり、同沢の流水の安全流下を維持すべきであったにも拘わらず、右義務を果たさずスキー場開設に伴う整備等による有害な行為を放任し、また被告国が被告青森県及び同岩木町に適正な管理を指導・助言・勧告することもなかったとして、災害対策基本法を挙げて被告国の不作為を違法と主張している。

しかし、本件土石流発生前の蔵助沢の状況は、前記2記載のとおり、渓床の掘削や谷腹の崩壊等により土石が流路に堆積したり、例木等により流路が遮断されたりして、渓流の本来なすべき機能を阻害していた事実は全く認められず、蔵助沢の水流の安全は確保されていたものである。従って、原告らの主張は、そもそも前提事実を誤認しているものであり、失当である。

(四) 降水量観測の不実施について

(1) 降水量の観測と土石流発生予測との関係

原告らは、土石流は多量の水がその最たる要因であるから、被告らが、蔵助沢において、降水量観測施設を設置して間断なく降水量を観測していれば、本件土石流を予知でき、災害も防げたと主張する。

しかし、そもそも降雨はもとより、その他の原因でもたらされた水が土石流発生に関与していく過程については、今日でもこれを調べる方法は全く開発されておらず、また、土石流は必ずしも雨のみによって発生するものではなく、地形、地質、植生等といった素因的事項も関与するのであるから、単に継続的な降雨観測によって土石流発生を予知でき、これを前提として避難による防災対策が適切に行えるとは到底考えられない。

また、個々具体的な気象業務につき、被告らが特定の個人に対し作為義務を負担するものではないから、岩木山に限らず、特定の個々人のために、特定の地点において降水量を観測していないことが行政庁の国民に対する作為義務違反になるとは到底いえない。

(2) 気象業務について

本件土石流災害当時の降水量観測網については、青森地方気象台管内にはアメダス観測所及び無線ロボット雨量計、更には、仙台管区気象台、秋田地方気象台、函館海洋気象台に気象レーダーが整備されており、東北全域をカバーする観測体制を敷き、気象業務を遂行していた。

また、昭和三三年から昭和四四年まで岩木山の西麓、黒森山に設置していた長期自記雨量計については、前記3(五)(4)記載のとおり、あくまで調査用気象観測器であり、一定期間降水量を収集し、一定期間内での目的を達すれば、他の地域の雨量調査のために移設する性質のものであり、雨量計自身に通報性は全くないのみならず、予報、警報の発表には直ちに利用できなかった。従って、右長期自記雨量計が、本件災害時まで岩木山に設置してあったとしても、本件土石流発生の予知には役立たなかったものである。

(3) 気象観測不実施の違法性について

以上のとおり、本件災害当時は、青森地方気象台管内のアメダス観測所、無線ロボット雨量計及び気象官署並びに秋田地方気象台、函館海洋気象台に設置されている気象レーダーから得られた観測成果により予報・警報を発表するなど、青森地方気象台は適正に気象業務を遂行していたのであり、気象観測の不実施があるとして、不作為の義務違反ないし不当としての非難される余地は全く存しない。

(五) 百沢スキー場の設置、管理義務違反について

(1) スキー場について

国家賠償法二条にいう「公の営造物」の意義は、前記4(三)(1)記載のとおりであるが、同法二条が民法七一七条の特別法であって、行政主体の管理する物的設備の瑕疵に起因する被害につき行政主体に民法と同様の責任を認めた立法趣旨に照らすと、国家賠償法二条の営造物は「土地ノ工作物」との対比上何らかに人工を加えた物的設備を指し、天然自然のままに利用されているいわゆる自然公物はこれに該当しないというべきである。

そうすると、スキー場は、自然の地形を利用し、冬期間スキーの滑走が可能になったとき、スキーヤーが滑走する場所であって、特に作設された物的設備はなく、自然そのものであって、自然公物と同視すべきものであるから、公の営造物には当たらない。

また、百沢スキー場のような国有林野内のスキー場については、周囲の森と一体的に「レクリェーションの森」に指定され、森林の公益的機能を高度に発揮するような適切な森林経営を行うこととしているところであり、従って、直接公の目的に供する「公の営造物」に当たると解することはできない。

(2) 百沢スキー場の設置、管理の瑕疵について

仮に、百沢スキー場が「公の営造物」に該当するものとしても、被告国(林野庁)及びその借受人たる被告岩木町には、その設置及び管理において瑕疵はなかったものである。

即ち、被告国(林野庁)は、百沢スキー場の設置に当たり慎重な事前調査を行い、スキー場に指定しているものであり、本件スキー場の設置又は管理について通常有すべき安全性を欠いていたものとは言えず、むしろ国土保全上支障のないよう十分な配慮の下に行われていたものである。

また、百沢スキー場の開設、整備のために、被告岩木町が行ったゲレンデ整備工事についても、前記2(三)(2)記載のとおり、スキーヤーの安全、利用の便宜を図ると共に、地形の特性や蔵助沢の流れを阻害しないように考慮しながら行ってきたものであり、このことが本件土石流の発生又は拡大助長要因となったものとはいえず、百沢スキー場の設置又は管理につき被告岩木町には瑕疵はなかった。

(六) 防災対策の不実施について

(1) 災害対策基本法に基づく作為義務について

ア 原告らは、被告らが本件土石流災害を防ぐため、災害対策基本法三条ないし五条の趣旨に添った有効適切な防災対策上の措置を採らなかったこと、即ち、被告らの不作為を違法であると主張する。

ところで、国家賠償法上不作為を違法と評価するためには、その前提として公務員が国民に対して負担する具体的な法的作為義務の存在が必要であり、このような法的作為義務違反をもってはじめて国家賠償法上の違法性の要件が満たされると解すべきである。

そこで、以下被告らが災害対策基本法に基づき法律上の作為義務を負担しているかについて述べる。

イ 災害対策基本法は、以前の災害対策関係法規を総合的体系的に位置付け、国、地方公共団体、公共機関及び住民の各々の責任を明確にして、中央及び地方の機関に防災計画の作成を義務付け、これに基づいて計画的な災害対策を期し、災害が我国の経済及び社会の秩序の維持に重大な影響を及ぼす異常かつ激甚な場合に、これに対処する体制を定めることを内容とし、国及び地方公共団体等の責務と権限について規定している。特に、同法は、地方公共団体に対し、現場主義の考え方に立って、災害時に住民を守るために講じるべき措置についての権限を付与しているが、これは、地方公共団体の施策の中で、住民の生命に直接関係する防災の重要性に鑑み、都道府県及び市町村の任務分担を明確にしたものである。

ウ 同法三条一項において、国は、防災に関し万全の措置を講ずる責務を有する旨定め、その責務を遂行するため「災害予防、災害応急対策及び災害復旧の基本となるべき計画を作成し、及び法令に基づきこれを実施すると共に、地方公共団体、指定公共機関、指定地方公共機関等が処理する防災に関する事務又は業務の実施の推進とその総合調整を行い、及び災害に係る経費負担の適正化を図らなければならない。」(同条二項)とし、同法四条及び五条においては、都道府県及び市町村につき、それぞれ防災計画を作成し、これを実施するなどの責務を課して当該地域の防災に万全を期している。

ところで、右の責務は、国民全体に対して負うべき抽象的、一般的なものであり、いわば国の施策上の指針について定めた政治的責務と解すべきであるから、国及び地方公共団体が個々の国民に対して具体的な災害発生について法律上の義務を負うものではない。

エ 災害対策基本法三条ないし五条は、国及び地方公共団体に対し政治的責務を負担させているに過ぎないものであるが、これが法律上の義務に転化し、国及び地方公共団体の不作為が違法となる場合があるとしても、それは特殊例外的な場合で、少なくとも、国及び地方公共団体が政治的責務に著しく違反し、又はその有する行政権限不行使が法秩序全体の見地からみて、国家賠償責任を負わせるのが正義公平に合致し、相当であると解される場合である。

そして、一般的には、権限不行使が違法となる要件としては、①行政庁が具体的危険の切迫を知り又は容易に予見し得る状況であること(予見条件)、②行政庁が権限を行使すれば損害の発生を回避することができること(回避条件)、③国民の側では損害の発生を回避することができず、行政庁の権限行使を期待し信頼することが当然と思われる状況にあること(期待条件)などが挙げられているので、以下に、右要件の有無についても検討する。

(2) 避難措置を講じる義務の懈怠について

ア 原告らは、本件土石流災害に関し、被告らにおいて、住民を安全な場所に避難させる措置を講じなかった不作為をもって違法である旨主張し、その根拠として、災害対策基本法三条ないし五条及び六〇条を挙げているものと解される。このうち、同法三条ないし五条に基づく法的作為義務については前記4(六)(1)記載のとおりであるので、以下同法六〇条に基づく法的作為義務について検討する。

同法六〇条は、市町村長に、居住者らに対する避難のための指示等をする権限を付与しているが、これは、災害による危険をできるだけ防止しようとする政策的見地から設けられた法的拘束力のない訓示的な権限規定である。同条は、「発生するおそれ」、「特に必要があると認められるとき」、「急を要すると認めるとき」という不確定概念を用いており、かつ、この認定は極めて行政の専門的判断を要する事項であり、更に「指示することができる」と規定しているのであって、指示を発する要件を認め得るかどうか、要件を認め得た場合においても指示を発するかどうかは、市町村長の広範な裁量に委ねられているものと解すべきである。従って、同条は、避難の指示を発することについて市町村長に権限を付与したもので、義務を課したものではなく、また、この権限を行使するか否かも市町村長の裁量に委ねられているのであるから、右指示を発しなかったことについては、当不当の問題を生ずるにとどまり、法律上の作為義務違反を問責される性質のものではない。

このように、被告らについては、災害対策基本法三条ないし五条及び六〇条に基づく法的作為義務は認められない。

イ 次に、法的作為義務がない場合でも、例外的に、その権限不行使が国家賠償法上違法と評価されるかについて検討するに、本件の場合は、以下に述べるように、前記4(六)(1)エ記載の各要件がいずれも欠けているものであり、被告らの不作為は違法とは認められない。

まず、第一の予見条件、即ち、本件土石流災害発生の具体的危険性の切迫と被告らの予見可能性について見るに、土石流発生の予測については今日の学問水準をもってしても不可能であることから、本件土石流が発生した昭和五〇年当時においては、被告らは、本件土石流の発生を予見することは不可能であった。なお、原告らは、四一年調査の結果により蔵助沢が甲型に分類されたことから、本件土石流の発生を予見することは可能であったと主張するが、前記3(二)(3)、(三)(1)記載のとおり、右調査は、土石流発生の具体的危険性あるいは危険性の程度を把握し得る性格のものではなかったのであるから、これによって本件土石流発生、ひいてはその具体的危険性が切迫していることを予見できたものとは到底いえないのである。

このように、土石流は現在でも不可解な現象とされ、その発生を予見することは殆ど不可能といわざるを得ないのであるから、権限不行使の違法性を構成する第二の回避条件の要件についても、土石流災害という結果を回避する防災対策、とりわけ有効な避難措置を確立し得ない状況にある。

更に、権限不行使の違法を構成する第三の期待条件の要件も、本件のような土石流災害には該当しない。蓋し、医薬品や食品行政の分野においては、国民自らの回避措置には困難な面があり、行政庁の権限行使に期待し信頼することが社会的にも是認されているかもしれないが、本件のような自然災害の場合においては、全て行政の管理に委ねるのが当然であるとすることが社会的にも是認されているとは、到底思われないからである。

(3) 情報提供義務の懈怠について

原告らは、被告らにおいて、平素からの土石流に関する情報伝達や避難体制の整備を怠った不作為をもって違法と主張しているが、以下に述べるように、この点についての被告らの不作為も違法とはいえない。

ア まず第一に、前記4(六)(1)記載のとおり、被告らが個々の住民に対し、土石流に対する情報伝達等を行わなければならないとする具体的法的義務は認められず、また、権限不行使が違法と認められるかどうかについても、その成立要件である予見条件が欠けていることは前記4(六)(2)記載のとおりである。

イ また、住民に対して土石流に関する情報伝達を行おうとしても、前記3(一)(4)記載のとおり、そもそも土石流発生の具体的危険性を知る情報は得られないのであるから、住民に対して避難の基準となる程度の情報を与えること自体が不可能なのである。

原告らは、本件蔵助沢の土石流発生の危険性を住民に知らせていたら、本件災害当日の豪雨に際し、住民は自主的に避難できた旨の主張をしている。確かに、住民が自ら災害に見舞われる虞れの高い場所に居住していることや災害の原因となる現象について知識を有していることは、防災対策が有効に機能するために必要な要件であろう。しかしながら、住民が、自主的に住居を離れて避難行動を採るためには、日常的な意味での災害体験、或はそれに近い程度にまで生活と密着した知識となっていなければならない。ところが、本件災害当時は、具体的な土石流の発生を予測することは不可能であり、更に、蔵助沢周辺の住民は、これまで土石流災害に見舞われたことはなく、自己の居住する場所が危険な場所であるという認識は全く持っていなかったのであるから、本件災害当時、得られていた土石流に関する情報や知見を蔵助沢周辺住民に伝達していたとしても、本件災害時に、住民らが自主的に避難行動を採り、本件災害を防止できたとは到底考えられない。

従って、土石流に関する情報伝達や避難体制の整備の不作為と本件土石流災害の発生との間には法的因果関係は認められないというべきである。

5  結論

以上述べたとおり、被告らは、本件土石流災害について、いかなる面においても、国家賠償法上の責任を負うものではない。

四  被告らの主張に対する原告らの認否

被告らの主張は争う。

第三  証拠<省略>

理由

第一本件災害の概要

請求原因1(一)の事実は当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、<証拠>を総合すると、昭和五〇年八月六日未明、前日夜半来の豪雨により、青森県南西部に位置する岩木山南麓一帯の後長根沢等六渓流で大規模な土石流が発生し、そのうちの一渓流である蔵助沢で発生した土石流は、同日午前三時三〇分ころ、同沢中流部に当たる同県中津軽郡岩木町百沢地区を襲い、県道「弘前・岳・鰺ヶ沢線」が同沢を横断している付近の人家一七棟を押し流して全壊させ、住民ら二二名を死亡させるという本件災害を発生させた事実が認められる。

そこで、本件災害に対する被告らの法的責任の有無を判断するに当たり、その前提事実となる、本件土石流発生当時の蔵助沢及びその周辺の状況、本件土石流の状況、土石流の特性等と本件土石流の原因及び土石流の予知、予防に関する研究について並びに行政の土石流対策について順次検討する。

第二本件土石流発生当時の蔵助沢及びその周辺の状況

一蔵助沢の状況

請求原因2(一)(1)アのうち、岩木山が津軽平野の南西に位置し、標高一六二五メートル、東西約一二キロメートル、南北約一三キロメートルの複式成層火山であること、南部山麓には扇状地が発達していること、同2(一)(1)イのうち、蔵助沢が岩木山の南斜面を流下する一渓流であること、蔵助沢は標高一一〇〇メートル付近で二つに分岐し、標高九〇〇メートル付近で再び合流していること、標高四三五メートル付近に昭和四四年一一月築造の二号堰堤が築設されていること、蔵助沢の下流に蔵助沢扇状地が形成され、スキー場内の駐車場よりやや上流を扇頂として南方に広がり、「弘前・岳・鰺ヶ沢線」の県道付近が扇端部となっていること、蔵助沢は右扇頂部で東に流れを変え、スキー場を横断していること、県道を経て岩木川に流入していること、同2(一)(3)アの事実、同2(一)(4)アの事実、同2(一)(4)イのうち、スキー場敷地は、裸地ないしススキ、ハギ、クマイザサ、チシマザサ等の草生地となっていること、同2(一)(4)ウの事実及び同2(一)(5)の事実は、いずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、<証拠>を総合すれば、以下の各事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

1  位置

蔵助沢は、津軽平野の南西縁に位置する孤立峰である岩木山の南斜面を流下する一渓流である。

岩木山は、青森県弘前市、中津軽郡及び西津軽郡の一市二郡に跨がる標高一六二五メートル、東西約一二キロメートル、南北約一三キロメートルの複式成層火山(約一万年ないし三万年前に原形ができた若い火山で、最後の爆発は一八六三年にあった。)であり、弘前市の西方約一五キロメートルに位置している。岩木山の山頂部は三つの峰に分かたれ、中央部が狭義の岩木山(標高一六二五メートル)、南側の峰が鳥海山(一五〇二メートル)、北側の峰が巖鬼山(岩鬼山、一四五六メートル)と呼ばれている。岩木山の山腹には長短二四の狭い放射谷が刻まれており、その南側には、西から主なものとして、柴柄沢、平沢、滝ノ沢、毒蛇沢、蔵助沢、後長相沢等があり、これらの大部分は傾斜一五度前後の中腹斜面で、深くて広い谷を形成している。

蔵助沢は、別紙図1「蔵助沢及び土石流流下経路概要図」のとおり、岩木山の標高約一四五〇メートル付近の鳥海爆裂火口に近接する種蒔苗代と呼ばれる小池付近に源を発し、標高約一一〇〇メートル付近で東側の蔵助畑沢と西側の畑ケ沢に分岐し、標高九〇〇メートル付近で再び合流してほぼ南東方向に斜面を流下し、一号床固工(後記三2(一)(3)のとおり、床固工と認める。)の設置されている標高約三五〇メートル付近でやや東側に向きを変え、百沢スキー場を横断し、三号床固工(後記三2(一)(3)のとおり、床固工と認める。)の設置されている標高約二九〇メートル付近で東の谷と合流し、更に、標高約一七〇メートル付近で県道「弘前・岳・鰺ヶ沢線」(以下、「県道」という。)を横断して百沢地区を通過して流下し、標高七〇メートル付近で岩木川に流入している。その流下距離は約七キロメートルで、流域(雨雪の集水区域)面積は約一二〇ヘクタールであるが、下流の百沢地区付近における川幅は約二メートル位、普段の水流は少ない山間の一渓流である。

2  地形

(一) 岩木山の山腹斜面の傾斜は山頂部から標高一〇〇〇メートル付近までは、三〇度以上の急傾斜で、標高一〇〇メートルないし五〇〇メートルの中腹部では一五度ないし三〇度、それ以下の標高では八度以下の山麓地に移行している。

岩木山の山体を開析する放射谷は多数形成されてはいるが、その発達は若く、各放射谷の間にある尾根は平坦で、熔岩から成る山頂部の開析も比較的小さい。右放射谷は概ね侵食によって刻まれたもので、そのうちには、隣の谷との間に原地形面を残さないところもあるが、火山体としては、地形学的に幼年期の地形を示している。

岩木山の南・東及び北部山麓には、右の放射谷からの岩屑によって形成された山麓扇状地が発達し、南麓の扇状地としては西から柴柄沢〜毒蛇沢、石切沢〜蔵助沢などの複合扇状地、頭無沢扇状地、後長相沢扇状地及び弥生扇状地等がある。これらの各扇状地は、後記一3(二)認定のとおり、主として地質時代における度重なる土石流堆積物等の供給により形成されたもので、扇状地には表流水の伏没や湧水等が多数みられる。

蔵助沢の河床勾配は、谷頭から標高約四三五メートルの二号堰堤付近に至る間と、二号堰堤下流とでは著しく異なり、前者は一五度から三〇度であるのに、後者は平均五度程度である。蔵助沢の河床勾配を岩木山南麓を流下する他の沢の河床勾配と比較すると、蔵助沢が凸型であるのに比して、他の沢は凹型であること、柴柄沢、平沢では中流部に急変部、滝の沢では上流部に急変部が認められるのに対し、蔵助沢は全体的には他の沢に比して傾斜が緩く、特にどの区間で急になるという状況にはないことなどの特徴がみられる。

二号堰堤下流の谷形は、一部を除くと、谷壁の傾斜が二〇度から二五度の広く浅いV字形を呈しているが、一号床固工から上流約一〇〇メートルの間と、百沢スキー場東端から三号床固工までの約二四〇メートルの二か所では、谷壁の傾斜が四五度以上の狭く深いV字谷となっており、河床勾配は八.二度から八.五度と右二号堰堤下流の平均勾配よりもかなりきつくなっている。

(二) 次に、蔵助沢の地形についての、主な争点について検討する。

(1) 蔵助沢が開析谷かどうかについて

蔵助沢の成因について、原告らは開析されてできた谷である旨の主張をするのに対し、被告らは開析谷ではない旨の主張をしている。

開析谷とは、地形学の専門家である証人水野裕の証言によると、地表原面が侵食作用により開析されてできた侵食谷の一種であり、厳密(狭義)には、円錐形の火山原面が、侵食作用により下から上の方に刻まれてできた谷を指すとされている。

そこで、検討するのに、地質学の専門家であり岩木山の火山発達史を研究している証人松山力は、岩木山の南側にある蔵助沢を除いた他の沢は一つの山体部分にできた沢であるのに対し、蔵助沢は地質が全く異なる二つの山体が交じりあった部分にできた沢であり、他の沢とは開析される原因が異なっている旨の証言をしており、同じく地質学の専門家である宮城一男が岩木山の地形について著した「火山のカルテ津軽の岩木山」(乙第二四四号証の五)も、開析谷の例として蔵助沢を挙げていないことが認められる。しかし、証人松山力の証言は、全体としては、沢の形成の仕方が蔵助沢と他の沢では異なっていること、即ち最初に開析される原因が異なっていることを証言したに止まり、その後の沢の侵食作用が開析谷である他の沢と異なっていることまでをも証言したものとは認められず、また、証人水野裕は、岩木山の斜面にある谷は全て開析谷である旨の証言をし、証人宮城一男も、蔵助沢は、円錐形の火山原面が開析されてできた典型的な開析谷ではなく、二つの山体が接する境目部分が徐々に開析されてできた谷であるが、このことから蔵助沢が開析谷ではないとはいえない旨の証言をしていることが認められる。更に、乙第二四四号証の五も、主な開析谷を例示しているに止まり、蔵助沢が開析谷に含まれない趣旨であるとは思われない。

以上のことを総合すると、蔵助沢は二つの山体が接する境目部分に沿って下から上に開析されてできた谷であることが認められ、侵食谷の一種である開析谷であり、従って、往古から侵食による土砂石が沢に堆積し、流出することを繰り返してきた谷であることを否定することはできないものと思われる。

(2) 土石供給源としての爆裂火口及び副次崩壊部の有無について

証人水野裕の証言によると、爆裂火口とは、水蒸気爆発を含めた火山の爆発によってできた火口であり、爆裂火口壁は風化作用や硫化作用により崩れ易くなっており、土石の供給源となりやすいものであり、副次崩壊部とは中流部の谷壁の崩壊部を指すものとされている。

そこで、爆裂火口の有無について検討するのに、日本科学者会議青森県支部百沢土石流災害調査団作成の「百沢土石流」の調査報告書(上)(以下、「科学者会議調査報告書(上)」という。甲第三四号証)によると、岩木山南側の開析谷の谷頭部には規模の大きな比較的形成の新しい爆裂火口が例外なく存在し、爆裂火口壁が土石の大きな供給源となっており、蔵助沢も同様である旨の記載があり、右記載部分の執筆担当者である証人水野裕の証言中にも、蔵助沢の谷頭付近には爆裂火口があり、土石の供給源となっている旨の供述部分がある。しかし、同証人は、同時に、蔵助沢の谷頭付近にある爆裂火口は爆裂火口壁が植生に覆われている古いものであり、現在も崩落が繰り返されているような新しい爆裂火口ではないこと、蔵助沢の谷頭付近には鳥の海爆裂火口や種蒔苗代の爆裂火口があるが、これらはいずれも蔵助沢の谷頭ではないことなどを証言していること、また、蔵助沢の谷頭部には、山体が爆発で破砕され山腹斜面の勾配が急変するという爆裂火口の地形的特徴が認められず、植生に覆われていること(<証拠>)、岩木山の地形について書かれた研究者の著書にも、蔵助沢の谷頭部に爆裂火口が存在するとの記載がないことなどが認められる。

次に、副次崩壊部の有無について、証人水野裕の証言中には、二号堰堤付近から上流標高一〇〇〇メートル付近にかけて小規模な副次崩壊部が断続的にあり、これが蔵助沢の主たる土石供給源になっている旨の供述部分があるが、同証人は本件災害前には蔵助沢を上流部から下流部まで現地調査したことがないこと、科学者会議調査報告書(上)の図表―1の蔵助沢のところには他の沢には明確に記入されている副次崩壊部の記載がないこと、本件災害前に蔵助沢を撮影した航空写真(<証拠>)によれば、二号堰堤から上流部の蔵助沢両岸には、他の沢には認められる副次崩壊部とみられる崩壊地が見当たらないことなどが認められる。

以上のことに照らすと、蔵助沢の谷頭部及び中流部に土石供給源となり易い新しい爆裂火口や副次崩壊部が存在していた旨の前記科学者会議調査報告書(上)の記載及び前記証人水野裕の前記供述部分は俄かに措信できず、他に新しい爆裂火口や副次崩壊部の存在を認めるに足りる証拠もなく、結局、本件災害以前に蔵助沢に土石の供給源となり易い新しい爆裂火口や副次崩壊部が存在していたとは認められない。

(3) 蔵助沢の河床縦断曲線の特徴について

蔵助沢の河床縦断曲線について、原告らは、岩木山南側の他の沢と異なり、谷頭付近の勾配は緩いが、中流域の勾配は急であることから、一旦土石流が発生すると他の沢よりも加速、侵食されやすい旨の主張をしているのに対し、被告らは、蔵助沢の縦断形状には、原告ら主張のような他の沢と異なる特徴は認められないと主張している。

そこで検討するのに、科学者会議調査報告書(上)には、蔵助沢の上流部は他の沢よりも傾斜は緩やかであるのに対し、中流部になると急になっている旨の記載や、それを示す図表―4が掲載されている。しかし、右図表―4は、同表の作成者である証人水野裕の証言や、岩木山百沢土石流災害調査委員会作成の岩木山百沢土石流災害調査報告書(以下、「県調査報告書」と言う。甲第三六号証)の図―13や科学者会議調査報告書(上)の図表―6との対比によると、作図にあたって蔵助沢の基点を誤ったのではないかという疑問があり、その正確性には問題があることが認められ、そのまま措信することはできない。

もっとも、昭和五八年九月作成の岩木山南麓の渓流調査業務委託報告書(乙第二五四号証)によると、岩木山南麓を流下する柴柄沢、平沢、滝の沢、毒蛇沢、蔵助沢、後長根沢の河床縦断曲線を比較した場合、蔵助沢が凸型であるのに比して他の五沢は凹型であること、蔵助沢は全体的には他の沢に比して傾斜が緩く特にどの区間で急になるという状況にはないこと、柴柄沢、平沢では中流部に急変部、滝の沢では上流部に急変部が認められることなどが認められる。

以上のように、蔵助沢は、岩木山南麓の他の沢に比べて凸型であること、全体的に傾斜が緩やかで特に傾斜が急になる区間がないことが特徴であると認められるものの、原告ら主張のように、土石流が発生すると他の沢よりも特に加速、侵食されやすい河床縦断曲線の特徴を示しているとまで認められない。

3  地質

(一) 岩木山を構成する岩石は、山頂部の中央火口丘(狭義の岩木山)が石英安山岩、外輪山の鳥海山、巖鬼山が複輝石安山岩等の熔岩であり、中腹部では安山岩熔岩と同質集塊岩との互層、山麓部では種々な火山砕屑岩となっている。

蔵助沢流域の各所に分布する地質は下位より、安山岩熔岩と集塊岩の互層、集塊泥流、火山泥流、降下軽石、旧土石流堆積物(扇状地堆積物を含む)に区分され、本件災害後は、更に本件土石流による新土石流堆積物及び崖錐堆積物が分布し、その状況は別紙図2「蔵助沢地質図」のようになっている。

(1) 安山岩熔岩と集塊岩の互層

安山岩熔岩は二号堰堤から上流に厚く発達し、集塊岩は一〇ないし二〇メートル程度と比較的薄く、安山岩と互層をなしている。安山岩は青灰色を呈する緻密堅硬なものと赤褐色を呈する粗鬆軟質のものとがある。集塊岩はいずれも安山岩の角礫及び火山弾を多量に含み、全体に組鬆である。蔵助沢では五層の集塊岩が認められる。

(2) 集塊泥流

集塊泥流は砂質火山灰に軽石層及び安山岩礫を多量に含んだもので、集塊岩より火山灰質物が多く、一部では粘土化が進んでいる。集塊泥流は二号堰堤より下流の谷底に露出しており、山麓部に広く分布している。集塊泥流に含まれる安山岩礫は甚だ巨大な物があり、その量も多い。膠結物となっている砂質火山灰は一部粘土化した部分もあるが、全体に新鮮でかなり締まった状態となっている。

(3) 火山泥流

岩木山の放射谷の間には、平坦面が比較的良好に残されており、この平坦面にはローム質火山灰を主体とし、安山岩の巨礫を含むいわゆる火山泥流が分布している。百沢地区においても、百沢スキー場、岩木山神社、蔵助沢東部尾根等に広く分布している。

(4) 降下軽石

蔵助沢の標高一一〇〇ないし七〇〇メートル地点の尾根部に大豆大ないし胡桃大の軽石層が一ないし三メートルの厚さで堆積している。これは岩木山最後の火山爆発によって供給されたものと考えられる。一部粘土化したものもあるが、全体的に未風化で新鮮である。

(5) 旧土石流堆積物

旧土石流堆積物(本件土石流以外の先史時代をも含めた過去の土石流堆積物)は二号堰堤から県道の間に広く分布し、いわゆる山麓扇状地及び谷底平野を形成する。二号堰堤から百沢スキー場に至る間では堆積物の層厚は最大三メートル、三号床固工から岩木山神社に至る間では最大五メートルに達し、挟在する黒色土及び礫の級化等から前者では三回、後者では六回以上にわたって堆積したものと推定されている。しかし、下位の地層が堆積してから次の層がその上に堆積するまでの間に、多少侵食を受けてはいるが、その侵食量は比較的少ない。また、岩木山神社の西部では温泉ボーリング試掘により数十メートルに及ぶ礫層が知られており、この礫層は過去における土石流堆積物と見做される。キャンプ場東部の扇状地には安山岩の岩塊を多量に含む礫層が分布している。

(二) ところで、岩木山南麓の地形及び地質について、原告らは過去の土石流堆積物により形成されたものであると主張しているのに対し、被告らはこれを否定している。

そこで検討するのに、県調査報告書には、前記3(一)(5)記載のとおり、蔵助沢には、二号堰堤から県道にかけて先史時代からの旧土石流堆積物が広く分布している旨の記載及び写真⑫があり、科学者会議調査報告書(上)にも、三号床固工から岩木山神社付近の区間には有史時代の旧土石流堆積物の層(県調査報告書写真⑫に記入してある旧土石流堆積物のうち上部のⅤ層に当たるもの)が一層確認でき、右旧土石流堆積物のうちⅠ層からⅣ層は、土石流と考えられるほどの規模を示していないが、仮に土石流であるとしても、その時期は洪積世のもの、即ち先史時代の旧土石流堆積物と考えられる旨の記載があることが認められる。また、証人水野裕は、岩木山の山体は、洪積世のころ噴火に伴う第一次泥流や熔岩流等で円錐形の第一次的地形が形成され、沖積世以降に右地形が侵食され開析谷が形成され、その開析谷の出口付近に火山泥流の一種である土石流が何度も発生し山麓扇状地(ないしは火山扇状地)という第二次的地形が形成されたものである旨の証言をし、証人宮城一男も、岩木山南麓に有史時代の旧土石流堆積物が観察される旨の証言をしていることが認められる。

これに対して、被告らは、第一に、岩木山に関する文献等によると、岩木山の南麓に広く分布しているのは、火山泥流堆積物であること(<証拠>)、第二に、岩木山の南西麓及び東南麓におけるボーリング調査の結果に基づいて作成された地質柱状図によると、百沢地区、三本柳地区、岳温泉地区のいずれの場所でも、土石流の存在を窺わせるような礫層が、岩木山の南麓の地形を形成する程の厚さはおろか、殆ど認められないこと、第三に、土石流によって形成される地形は、「土石円錐」と呼ぶ特徴的な地形となるのであるが、岩木山の南麓にはこのような地形が認められないこと、第四に、百沢地区の住民の間に土石流災害についての伝承がないことなどを論拠に、百沢地区を含む岩木山南麓の地形は過去の土石流により形成されたものではないと主張している。

しかし、第一の点は、土石流という用語が一般化する昭和四一年ころ以前は、主に火山泥流という用語が使われていたことから、広義の火山泥流には土石流も含まれていると解されるところ(証人水野裕の証言)、前記文献は乙二四四号証の四(同号証の著者である宮城一男は、前記のとおり旧土石流堆積物の存在を認めている。)を除き、いずれも土石流の用語が一般化する以前に刊行されたものであることから、前記文献にいう火山泥流には、県調査報告書にいう狭義の火山泥流と区別された土石流が含まれていないとは断定できないこと、また、第二の点は、前記ボーリング調査は必ずしも蔵助沢の流域で行われたものではないこと、また、証人宮城一男の証言によると岳温泉地区の地質柱状図には土石流堆積物の存在が窺われることからして、岩木山南麓一帯に土石流堆積物が広く存在するとまでは認められないとしても、このことから蔵助沢流域の土石流堆積物の存在を否定することはできないものと思われること、第三の点も、県調査報告書にいう旧土石流堆積物は先史時代からのものを含めていることから、地質的に極めて新しい土石流堆積物によって形成されると考えられている「土石円錐」地形が認められないとしてもさして不合理とは思われないこと、更に、第四の点も、古文書である御国日記によると、宝永元年(一七〇四年)八月に現在の蔵助沢と思われる地域から百沢地区付近にかけてなんらかの土砂災害が発生したことを窺わせる記載があり(科学者会議調査報告書(下)(甲第三五号証))、被告らの根拠は、本件土石流災害のような多数の死傷者や家屋倒壊を含む大規模な災害が発生したことはなかったことを示すに止まり、土砂災害が全くなかったとまではいえないことなどに照らすと、百沢地区周辺に過去土石流が発生しなかったと断定することはできないことなどの諸事由に鑑みると、被告ら主張の論拠は、いずれも県調査報告書の記載内容や証人水野裕及び同宮城一男の前記各証言を覆すに足りるものとは認められない。

以上によれば、岩木山南麓一帯に土石流堆積物が広く存在するかどうかはともかくとして、蔵助沢流域には先史時代からの旧土石流堆積物が広く存在すると認めざるを得ない。

4  植生

蔵助沢流域の植生は、広域的植生区分によると、殆どミズナラ―ブナクラス域(夏緑広葉樹林域)であらわされ、これを分類すると、上流から、①ダケカンバ―ミヤマハンノキ―ミネヤナギ―チシマザサ群落、②ブナ点在―チシマザサ群落、③ブナ―チシマザサ、クマイザサ、落葉広葉樹群落、④ブナ―ミズナラ―チシマザサ群落、⑤ミズナラ壮齢群落、⑥ミズナラ二次林、⑦ススキ、ハギ、チシマザサ、クマイザサ草地群落、⑧シバ草地、サクラ植栽林、⑨アカマツ林、⑩カラマツ植栽林、⑪スギ幼、壮齢植栽林、⑫スギ老齢植栽林のようになる。

5  降雨状況

岩木山の降雨観測施設は、昭和三三年から昭和四三年ころまでの間に、岩木山西麓の黒森山に長期自記雨量計が設置されていたことがあったが、それ以降は雨量観測は実施されていなかった。従って、右期間以外の岩木山の降水状況は不明であるが、右期間中の観測記録によると、昭和三三年八月二一日に最大時間降水量約三三ミリメートル、昭和三五年八月二日に最大時間降水量約四七ミリメートル、昭和四三年八月一一日には最大時間降水量約六四ミリメートルを記録している。従って、過去何度か、八月中に岩木山にいわゆる集中豪雨が発生していたことが認められる。

6  沢の堆積状況

本件災害発生以前の蔵助沢の土石の堆積状況については、前記2(二)(1)ないし(3)記載のとおり、蔵助沢は、開析谷ではあるが、特に土石供給源となり易い新しい爆裂火口や副次崩壊部が認められず、勾配の急変もないこと、本件災害前の昭和四九年に撮影された岩木山南麓部の航空写真によると蔵助沢の流路周辺は森林や植生に覆われており、二号堰堤(一万立方メートルの貯砂能力を有する。)も満砂状態ではなく、その堆砂量は県調査報告書によれば約二〇〇〇立方メートル、科学者会議調査報告書(下)によっても三分の一から四分の一であること、昭和四八年撮影の写真(乙第一九九号証の四、五)によると二号堰堤の上流側に堆積している土砂の量は少なく(堰堤中央部付近にある二つの水抜用の穴よりもかなり下に川底が見えている。)、多量の土石が堆積している状況も認められないこと、証人竹谷兄一の証言によると、昭和四六年当時の二号堰堤の状態は昭和四四年に同堰堤が完成したときの状態と殆ど変わっていなかったこと、昭和四四年撮影の写真(乙第二五二号証)によると、二号堰堤建築工事当時、同堰堤付近の山腹には崩壊は見られず、渓床も植生で覆われ、谷底に土石が堆積していないことが窺われること、などに鑑みると、本件災害前に蔵助沢が特に山体の侵食が激しく、荒廃が進み、河床には多量の土砂や土石が蓄積されているという状況ではなかったものと推認せざるを得ない。

なお、原告吉川由太郎本人尋問の結果中には、昭和四九年ころの二号堰堤の上流側の状況は、土砂が水抜用の穴の上まで堆積しており、堰堤の上まで約三メートル位しかなかった旨の供述部分があるが、前記昭和四八年撮影の二号堰堤の写真に照らして、俄かに措信できない。

また、原告らは、火山体の侵食比からみると岩木山は壮年期に該当し、山体の侵食作用が最も盛んな時期であることから、本件災害前の蔵助沢は、山体の侵食により剥離された土砂が運搬され谷底には旧土石流堆積物である岩塊をはじめ多量の土石が蓄積されていたと主張するが、山体全体に対する侵食部分の比率を示す侵食比は、どの程度の期間に侵食が進んだかを示さないため、その数値から渓流の荒廃状況を直ちに推定することはできず、また、前記のとおり災害前の写真から認められる蔵助沢の状況にも合致しないことから、右主張は採用できない。

二百沢スキー場及びその周辺の森林の状況

請求原因2(二)(1)アの事実、同2(二)(1)イの事実、同2(二)(1)ウのうち、スキー場設置に伴い、昭和三九年一〇月ころからゲレンデの造成、整備、平坦化作業が行われたこと、同2(二)(1)エの事実、同2(二)(2)のうち、百沢スキー場開設に伴い、土砂流出防備保安林の解除がなされ、山林伐採が行われたこと、蔵助沢流域内のスキー場敷地のうち三一.〇八ヘクタールが保残帯として残されていたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、<証拠>を総合すれば、以下の各事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

1  蔵助沢流域の国有林野の特色及び薪炭共用林野について

蔵助沢を含む岩木山一帯の森林は、旧津軽藩時代から、いわば入会権的な権利に基づき、岩木山山麓一帯の各地域住民が、一定の区域を占有管理し、生活の用に供するために林産物(主として薪炭共用材)を採取する場所であった。明治維新後、国有林制度が確立した後も、住民の入会権的な権利はそのまま維持継続され、第二次世界大戦後は薪炭共用林野として引き継がれ、今日まで継続している。即ち、第二次大戦後、昭和二八年ころ、国と百沢薪炭共用林組合(共用者一一四名)との間で、蔵助沢流域を含む東岩木山国有林約一一六.七一ヘクタールを対象に薪炭共用林野設定契約が締結され、その後も契約が更新され、昭和六二年三月まで、同組合(共用者一三九名)との間で、東岩木山国有林一〇七.〇三〇〇ヘクタール(蔵助沢流域内国有林は対象外)を薪炭共用林野として契約している。

なお、百沢スキー場設置当時の百沢薪炭共用林野は、昭和三八年に継続設定契約されたもので、その範囲は、蔵助沢流域を含む一五二.三三ヘクタールであった。

2  百沢スキー場の設置について

(一) 我国の経済発展に伴う国民生活水準の向上、都市への人口集中、社会生活の複雑多様化等種々の原因により、自然に対する国民の利用が累年増加の一途をたどり、その結果として自然風景の保護は勿論、安全かつ容易に国民が利用することのできるレクリェーション施設の設置を図ることが林野行政上の極めて緊急な課題として要請されるようになってきたため、国としても、これに対して適切な措置を講じることとした。

即ち、国有林野内のスキー場についても、従来、自然のままにスキーの用に供し得る国有林野を、そのまま市町村等に貸付けたり、一般大衆が利用しているのを放任していたのを改め、国が、スキー場設置のための適正な条件を充たす箇所を選定し、スキー場設置箇所として指定することにより、国有林野の適正な管理経営を図りつつ、一般大衆のスキー利用に積極的に供することとした。

(二) 岩木山においては、昭和三七年以前から、岩木町が、国から百沢地区に約一〇ヘクタール、岳地区に約九ヘクタールの国有林野を借り受けて、岩木山弾丸滑降スキー大会を開催してきており、また、蔵助沢流域では、一般の人達が、薪炭共用林野の伐採跡地約二〇ヘクタールを天然のスキー場として利用していた。

このような状況の中で、昭和三七年六月二九日、岩木町議会は、第二二回国民体育大会冬季大会を岩木町に誘致する決議をし、次いで岩木町、弘前市等の関係者が岩木山国定スキー場建設協議会を作り、同月三〇日付けで同協議会長鳴海弥一郎らは、青森営林局長宛に、岩木山スキー場の指定について陳情書を提出した。

そこで、青森営林局長及び弘前営林署は、右陳情されたスキー場区域が土砂流出防備保安林を含むものであったこともあり、地勢、地形、植生、土壌等を現地調査し、その結果、地形はスキー場に適しており、地床は笹が密生し、地盤も安定しており崩壊地もなかったことから、適宜保残帯を設けるなどの条件をつけることにより、スキー場を設置しても土砂流出防備機能を損なうなどの林地保全上の支障は生じないものと判断した。

そして、昭和三九年二月一九日、青森営林局長は林野庁長官の承認を得て、百沢地区五六.九八ヘクタール(東岩木山国有林三一林班及び三二林班の一部)、岳地区三二.四二ヘクタール、ツアーコース四.〇〇ヘクタール、総面積九三.四〇ヘクタールを岩木山スキー場に指定した。

3  蔵助沢流域の国有林内の保安林指定・解除及び薪炭共用林野の解約について

(一) 蔵助沢を含む一帯の山林は、青森営林局管下の弘前営林署が管理する国有林野であり、そのうち蔵助沢流域国有林は別紙図3「蔵助沢流域国有林図」の赤色点線で区画した区域内で、その面積は約一二〇ヘクタールである。

(二) 蔵助沢の標高約八〇〇メートル以上の区域の森林は、旧森林法により、明治三一年保安林(風致林)と指定され、その後、土砂扞止林と名称が変更され、更に、森林法(昭和二六年制定)により、原則として伐採が禁止される保安林の一種である土砂流出防備保安林と改められ、現在に至っている。

(三) 百沢スキー場の指定に伴い、青森営林局長は、スキー場敷地内の土砂流出防備保安林解除の申請を行い、同保安林は、昭和三九年八月一八日、六.九二ヘクタールが指定解除された。そのうち蔵助沢流域内の解除範囲は、別紙図3「蔵助沢流域国有林図」の、の各点を直線で結んだ線の上流部分四.一四ヘクタールである。

また、右スキー場指定に先立ち、百沢薪炭共用林組合は臨時総会を開催し、薪炭共用林野内にスキー場を設置することに異議はない旨を全員一致で決議し、右スキー場区域内の薪炭共用林野を解約することに同意した。

(四) また、保安林整備臨時措置法に基づく第二次保安林整備計画により、前記土砂流出防備保安林の下部国有林のうち、スキー場区域の大部分及びキャンプ場等を除いた区域が、昭和四六年、水源かん養保安林に指定された。そのうち、蔵助沢流域内の指定範囲は一八.五四ヘクタールである。

(五) その後、初心者用のゲレンデ、スキーヤーの安全確保等から、スキー場の指定区域を拡張する必要が生じ、青森営林局長は、昭和四七年二月七日岩木山スキー場区域を百沢地区について四一.五一ヘクタール拡張する一部変更指定をした。これにより百沢地区のスキー場面積は九八.四九ヘクタールとなり、そのうち蔵助沢流域内の面積は六一.五八ヘクタールであり、右流域内には三一.〇八ヘクタールの保残帯が設けられた。

このスキー場区域の一部変更指定に伴い、右一部変更指定区域内の薪炭共用林野を百沢薪炭共用組合の代表者の承諾を得て解約した。これにより、蔵助沢流域内の薪炭共用林野は消滅した。

4  蔵助沢流域の国有林内の森林伐採状況について

原則的に伐採の禁止される土砂流出防備保安林及び水源かん養保安林に指定されていない蔵助沢流域国有林内の広葉樹等の伐採関係は次のとおりである。

(一) スキー場指定以前の伐採関係

百沢地区が岩木山スキー場の一部に指定される以前である、昭和三八年度までの間における、蔵助沢流域の国有林内の立木伐採状況は、百沢薪炭共用林野の区域内から百沢薪炭共用組合員の自家用薪炭材として及びスキー場駐車場用地として、弘前営林署は、別紙図3「蔵助沢流域国有林図」の赤色で塗潰した範囲一九.四一ヘクタールの広葉樹等の立木八六七立方メートルを売り払い、買受人において伐採した。

(二) スキー場指定以後の伐採関係

(1) 百沢スキー場の指定に伴い、前記二3(三)記載のとおり昭和三九年八月に土砂流出防備保安林の一部を解除したが、昭和四二年度に、右解除区域の蔵助沢流域内四.一四ヘクタールのうち、三.八七ヘクタール(別紙図3「蔵助沢流域国有林図」の線より上流の青色で塗潰した部分)の広葉樹等の立木一二六立方メートルを伐採(皆伐)した。

(2) 右(1)記載の伐採を除き、百沢スキー場に指定された後における、スキー場開設のため及び百沢薪炭共用組合員の自家用薪炭材に供するために、蔵助沢流域国有林内の立木を伐採した状況は、以下のとおりである。

ア 昭和三九年度及び昭和四〇年度においては、別紙図3「蔵助沢流域国有林図」の橙色で塗潰した範囲一一.二五ヘクタールの広葉樹等七一二立方メートルを伐採した。

なお、右範囲のうち、蔵助沢スキー場のゲレンデ部分下部を横断しているところ周辺の森林の伐採当時(昭和三九年ころ)の林相は、林齢一五、六年生くらいの杉と唐松を主とする針葉樹であり、その直径は、せいぜい稲掛棒程度のものであり(この点は、一ヘクタール当たりの伐採材積が約六三立方メートルにすぎないことからも容易に推認できる。)、良好な林相とは言えなかった。従って、仮に、一〇年後の本件災害時ころまで伐採せずにおいたとしても、右地域の土壌が非常に浅いことから成長は良くなく、太さで三センチメートル前後、高さで二、三メートル位の成長しか予測できないものであった。

これに対して、右ゲレンデ部分東側の現在キャンプ場になっているところ森林の昭和四〇年当時の林相は、ミズナラを主とする広葉樹であり、胸高直径平均約三〇センチメートル、高さ平均約一四、五メートルの良好な森林であった。

イ 昭和四一年度から昭和四七年度までの広葉樹等の伐採状況は次のとおりである(別紙図3の線より下流の青色で塗潰した範囲内)。

A 皆伐

昭和四一年度ないし昭和四三年度の間に、面積八.五ヘクタールの森林から七五三立方メートルの材積の木材を皆伐した。

B 間伐

昭和四二年度ないし昭和四七年度の間に、面積六.五ヘクタールの森林から三八九立方メートルの材積の木材を間伐した。

なお、間伐は、若い森林の手入れのために行う伐採と、伐採立木の搬出路を設置するためや小量の売り払いのためにごく小範囲にわたって伐採されるものであり、伐採跡地の再生行為を必要としないものであった。

ウ 前記二2記載の百沢スキー場に設けられた保残帯三一.〇八ヘクタールについては、森林を伐採した事実は認められない。

(三) 以上を総合すると、蔵助沢流域の国有林野の面積は約一二〇ヘクタールであり、そのうち百沢スキー場区域(九八.四九ヘクタール)のうち蔵助沢流域内の面積は六一.五八ヘクタールであり、内三一.〇八ヘクタール(約五〇パーセント)は保残帯となっていたことが認められる。

そして、蔵助沢流域国有林野について、スキー場開設前の昭和三八年度までに伐採された面積は一九.四一ヘクタール(百沢スキー場区域外も含む)、スキー場開設後の皆伐面積は二三.七一ヘクタール(昭和三九年度及び昭和四〇年度の伐採面積一一.二五ヘクタール、昭和四一年度から昭和四三年度までの伐採面積八.五九ヘクタール及び昭和四二年度に伐採した土砂流出防備保安林解除区域内の面積三.八七ヘクタールの合計で、百沢スキー場区域外も含む)であり、百沢スキー場付近では、スキー場開設前を含め合計四三.一二ヘクタールの森林から二四五八立方メートルの材積の木材(一ヘクタール当たり約五七立方メートル)が皆伐されたことが認められる。

5  伐採跡地のその後の状況

前記4記載のとおり、百沢薪炭共用組合員の薪炭材とするため、及び、百沢スキー場の開設のために、蔵助沢流域国有林内の広葉樹等を伐採したが、その伐採跡地は、右スキー場のゲレンデ、スキーリフト、ロープトウ、ヒュッテ、駐車場敷地等の立木の存置を必要としない地域を除いて、伐採翌年から萌芽更新(切り株からの自然の芽出しにより再生を図る方法。)により、森林の再生を図り、本件災害当時は、概ね一〇年生程度の天然の広葉樹林となっていた。結局、本件災害前に右スキー場のゲレンデ等敷地として、森林の再生が図られず完全な無立木地帯として存置された地域は、別紙図3「蔵助沢流域国有林図」の斜線部分のみであり、その面積は一六.〇九ヘクタールであり、しかも本件災害当時の状況は、笹等の草本類に覆われている部分も多く、全てが裸地ではなかった。

6  百沢スキー場の設備及び管理の状況

(一) 岩木町は、青森営林局長が岩木山スキー場を指定したのを受け、百沢スキー場指定区域内にスキーリフト、ヒュッテ、ロープトウを、右指定区域外であるが右スキー場入口付近に駐車場の各付帯施設を設置することを計画し、弘前営林署と東岩木山国有林三一林班及び三二林班の一部を借り受ける契約を締結し、昭和三九年一〇月に百沢スキー場が設置された以降、順次右付帯施設を設置し、借受地とともにこれら付帯施設の管理運営を行ってきた。

また、右契約には、岩木町が百沢スキー場の管理運営にあたる旨定められており、具体的にはスキー場の供用期間中、利用者の安全を図るため気象、積雪等の状況、ゲレンデ標識類の整備状況、危険物の有無等に注意し、必要な標識等を整備するとともに危険物を除去し、状況に応じて危険箇所の滑降禁止、スキー場の全面的使用禁止等を行い利用者に周知させること、スキー場における災害及び事故の防止等を図るため必要な注意事項を利用者の見やすい場所に掲示すること、スキー場のパトロールを行うこと、救急体制を整備することなどが定められ、その定めに基づいて岩木町等の借受人は連名で弘前営林署長に岩木山スキー場管理運営計画書を提出し、その承認を得ている。

(二) 百沢スキー場の実際の運営管理は、国民宿舎いわき荘勤務の岩木町職員が行っており、その主な管理行為としては、夏から秋にかけては、スキーリフトの整備点検、スキーリフト及びロープトウ敷地の雑草の刈り払い、冬は、リフト券の販売等の営業、スキー場内のパトロール、雪上に出ているブッシュの刈り払いなどであった。

(三) ゲレンデの整備状況

百沢スキー場のゲレンデ部分には、森林を伐採した伐根や潅木類が茂っており、スキーヤーにとって危険であったことから、昭和四四年ころから、ブルドーザーを使用して、伐根や潅木類が生えている部分を押土してゲレンデの平坦化作業を行った。このゲレンデ平坦化作業によりゲレンデ表面の表土約四〜五ヘクタールが剥ぎ取られたようになったため、その部分を約二年間にわたり牧草やクローバーを植えるなどして緑化作業を実施した。その結果、緩斜面や土壌が肥えている箇所は比較的良く緑化されたが、赤土やローム層の土壌の箇所は十分緑化されなかった。

(四) 蔵助沢の一部埋立て状況

(1) 蔵助沢は、一号床固工付近から約一五〇メートルから二〇〇メートルにわたり百沢スキー場を横断しているが、下部約三〇メートルの部分は、深さ約一メートルから約七メートルの深い谷状となっており、スキーヤーが転落する危険のある状態となっていた。そこで、岩木町は、蔵助沢の深くなっている部分にスキーヤーが転落するのを防止するために赤旗を立てるなどして事故防止に努めてきた。そのため、同スキー場は、ゲレンデ下部が急に狭くなる形状となっていた。しかし、昭和四六、四七年ころになると、スキーヤーも増加し、蔵助沢を横切るゲレンデ部分が狭く感じられてきたことから、当時、国民宿舎に勤務していた岩木町職員の判断により、蔵助沢の一部を埋め立ててゲレンデ部分の範囲を拡張することにした。そこで、当時スキー場内に散在していた伐根、礫(径約三〇〜五〇センチメートル)、土砂等をブルドーザーで集め、蔵助沢の深くなっていた部分に投棄して埋め立てた。埋め立てた箇所は、蔵助沢がスキー場を横断している部分のうち、最下流部に近い部分であり、その範囲は、長さ約一五メートル、深さ約一.五メートルから三.五メートル、幅約二.五メートルから五.五メートルであり、埋立て土石量は推定約一六五.五立方メートル程度であった。当時のスキー場部分の蔵助沢の流量は、雪解け時を除いては少なかったことから、埋立てにあたり完全に埋め立てるのではなく、川底を浅くして川筋は残したものの、特に流路を確保するなどの手当を講じることは全くせず杜撰な工事であった。なお、蔵助沢が急に深くなっていたスキー場横断部分の最下流部部分については埋立ては行われなかった。また、右埋立ては、後記の如く、砂防指定地に指定されていることを知らずに行われた違法なものであった。

(2) この蔵助沢の埋立て状況について、科学者会議調査報告書(下)には、蔵助沢が百沢スキー場を横断する約二〇〇メートルにわたって埋立てが行われ、その埋立て土砂礫は数百立方メートルである旨の記載があり、右記載部分を執筆した証人松山力も、少なくとも約五〇メートルは埋め立てられており、その埋立て土砂量は約六二五立方メートルになる旨の証言をしている。しかし、同証人は、同時に、右埋立ての距離は本件災害後のゲレンデ部分の侵食状況から推測したに過ぎず、本件災害前に埋立て部分を調査しているわけではないこと、また、右埋立て土砂量も右距離を基準にした概算に過ぎないことを証言しており、その正確性には疑問が残ること、更に、実際に埋立て作業を実施した証人五十嵐重城は長さ約一五メートル位しか埋立てを行っていない旨を証言していることなどに照らすと、前記調査報告書(下)の記載内容や前記松山供述は前記(1)記載の認定事実を左右するに足りない。

(五) アップルロード残土によるゲレンデ整備状況

昭和四九年春ころ、中南土地改良事務所から岩木町にアップルロード残土を利用するところはないかという話があったため、岩木町は、検討のうえ、スキーヤーの安全を確保するため、百沢スキー場のゲレンデ部分の凹凸の激しい部分を整地するため及び初心者用ゲレンデの整備拡充のためにアップルロード残土を利用することとした。そして、昭和四九年度に、蔵助沢が横断しているゲレンデ部分に、アップルロード残土二万八一四六立方メートル(蔵助沢より上部の部分に二万一九六四立方メートル、蔵助沢より下部の部分に六一八二立方メートル)を搬入してゲレンデ平坦化作業を行い、昭和五〇年度は本件災害時までに、同残土をスキーリフト東側の部分に四二九〇立方メートル搬入してゲレンデ整備を行い、ロープトウ西側に四四〇〇立方メートル搬入して初心者用スロープを造成し、更に、今後のスロープ造成に使用するためロープトウ北側に八五〇〇立方メートルを山積みにしておいた。このアップルロード残土の搬入固所は別紙図4「スキー場平面図」のとおりである。

また、このゲレンデ整備作業に際し、アップルロード残土を運搬するため、蔵助沢を横断していた既設の作業道を利用したが、蔵助沢を横断する部分には直径八〇〇ミリメートル、長さ二.四三メートルのヒューム管二本をつないで埋設して水路を確保し、更に、右ヒューム管に接続させて、下流約一五メートルにコンクリート製U字溝を敷設した。

なお、原告らは、アップルロード残土が、蔵助沢の埋立てにも利用された疑いがある旨の主張をしているが、本件全証拠によっても、これを認めるに足りる証拠はない。

三蔵助沢の砂防施設の状況

請求原因2(三)(1)の事実は当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、<証拠>を総合すれば、以下の各事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

1  蔵助沢の砂防指定地

昭和四一年六月一〇日建設省告示第一八五四号により、蔵助沢流域の標高二七五メートル付近(三号床固工から約一五メートル下流付近)から上流の国有林地内の、延長一七〇〇メートル、幅二〇メートル、面積三四〇〇ヘクタールの区域が、砂防指定地に指定された。砂防指定地とは、砂防法二条に基づき、水源山地における土砂生産の抑制と流送土砂の貯留及び調節によって下流の河川における河道埋そく、河床上昇など土砂による災害を防止軽減し、流水を安全に流下させるという治水上砂防の目的のため、山腹や渓流に堰堤等の砂防設備を設置する区域として、また、立木の伐採や土石の採取等の土砂の生産流下を促す砂防上有害と考えられる行為を禁止制限する区域として、建設大臣により指定された一定の区画の土地である。砂防指定地については、地方公共団体も規則により一定の行為を規制することができ、青森県においては、青森県砂防指定地管理規則により、①土地の掘さく、盛土、切土その他土地の形状を変更すること、②土石(砂を含む)の採取、堆積又は投棄をすること、③竹木の伐採又は栽植をすること、④樹根又は芝草の採取をすること、⑤竹木の滑下し、又は地引きによる搬出をすること、⑥施設又は工作物の新築、改築又は除去をすること、⑦牛馬その他の畜類の継続的に放牧又はけい留をすること、⑧火入れをすることなどの行為を行う場合には、知事の許可を受けなければならないと定めている。

2  蔵助沢の砂防設備

(一) 一号床固工及び三号床固工について

(1) 一号床固工の設置について

青森県は、蔵助沢の現地調査の結果、渓床を固定し、侵食が拡大するのを防止するために、標高約三五三メートルの地点に幅約一六メートル、高さ約六.五メートルのコンクリート製一号床固工を築造することとし、昭和四一年六月に工事着工し、同年九月に竣工した。

この一号床固工の築造当時は、土石流災害が一般的に注目される前であり、後記土石流発生危険区域の全国調査(昭和四一年一一月から昭和四二年一月末にかけて実施)の実施前でもあったことから、右一号床固工は、土石流対策を直接の目的とした施設ではなく、河川における土砂による災害を防止軽減する一般砂防目的の砂防施設であった。

(2) 三号床固工について

青森県は、更に一号床固工と同様に渓流の侵食防止の目的で、標高約二九〇メートルの地点に幅約一三.五メートル、高さ約七.五メートルのコンクリート製三号床固工を築造することとし、昭和四四年一二月工事着工し、昭和四五年二月竣工した。

この三号床固工も、前記一号床固工と同様の一般砂防目的の砂防施設であり、土石流対策を目的としたものではなかった。

(3) ところで、一号床固工及び三号床固工について、原告らは、床固工ではなく砂防堰堤である旨の主張をしているので検討する。

砂防堰堤も床固工も一般砂防目的の砂防施設であるが、砂防用語上は、砂防堰堤は、まずその貯砂機能により上流から流下する土砂を貯留して渓床の拡大と勾配の緩和を図り、次いで満砂後は大洪水に伴う流出土砂を一時的に堆砂面に貯留させ、その後の中小洪水によりこれを徐々に長期間にわたって下流に流下させる調節機能を有するものであるとされているのに対し、床固工は、貯砂を目的とするものではなく、渓床の人工岩盤として現在の渓床及び渓岸の侵食を防止し、これを安定させる機能を有するものであるとされているところ、一号床固工及び三号床固工の設計諸元には後記二号堰堤と異なりそもそも貯砂量が計算されておらず、貯砂機能に着目した施設ではないと考えられることに照らすと、一号床固工及び三号床固工とも、機能的には床固工であると認めるのが相当である。

確かに、三号床固工に付けられていたプレート板には三号堰堤と記されていたこと、一号床固工及び三号床固工とも渓床からの本体の高さ(水通しの天端まで)は約四.五メートルあり貯砂機能がないとはいえないことが認められる。しかし、青森県砂防課作成の昭和四〇年度砂防設計計画要項(乙第三三号証)によると、砂防施設のプレート板には砂防学上の堰堤、床固工の用語にかかわらず堰堤と表示されるようになっていたことが窺われること、また、証人竹谷兄一の証言によると、当時青森県の砂防課では堰堤と床固工の区別を厳密にしていなかったことが認められること(このことは証人川越信清も認めている。)、更に、証人松下忠洋の証言によると、床固工は、貯砂機能については、その構造上貯砂機能が全くないわけではないという程度のものであることが認められることなどに照らすと、一号床固工及び三号床固工は、少なくとも貯砂を直接の目的とする砂防施設と認めることはできず、床固工と呼称するのが正確であると思われる。

(二) 二号堰堤について

後記第六の三における認定のとおり、昭和四一年一一月から昭和四二年一月末にかけて実施された土石流危険区域全国調査の結果、青森県においては一〇五か所の土石流発生危険区域が抽出され、そのうち、保全対象人家戸数五〇戸以上の区域は、蔵助沢など四か所が把握された。当時、右調査により把握された土石流発生危険区域について、保全対象人家戸数の多い順に、一渓流に一基の砂防堰堤を築造して行くことが、国の方針として示されていたことから、青森県は、昭和四四年度に、蔵助沢流域に土石流対策の一環として堰堤を築造することとした。築造場所としては、谷の出口付近に高さ一〇メートル程度の砂防堰堤を作るという方針が国から示されていたことから、谷の出口付近で、岩盤が露出し基礎がしっかりしている標高約四三五メートルの地点が選ばれ、幅約五〇メートル、高さ約一四.五メートル(本体の高さ約一一.六メートル)のコンクリート製二号堰堤が昭和四四年六月に工事着工し、同年一一月に竣工した。

3  本件土石流発生前の各砂防設備の状況

青森県は、前記一号床固工、三号床固工及び二号堰堤について、築造後、定期的な点検はしておらず、降雨量が多かったとき、下流部で河川が氾濫したりして災害が発生したようなときに、渓流の荒廃状況や堰堤の堆砂状況を調査していたに過ぎなかった。

そのため、本件土石流発生時の一号床固工及び三号床固工の状況についての証拠は全くなく不明である。

二号堰堤については、前記第二の一6記載のとおり、昭和四九年当時は、蔵助沢の流路周辺は森林や植生に覆われており荒廃箇所は見当たらず、二号堰堤も満砂状態ではなく、その堆砂量は約五分の一から三分の一と認められ、昭和四八年当時も、二号堰堤上流部側は中央部の水抜用の穴のかなり下のところまでしか土砂が堆積していないことが認められ、これらのことに照らすと、本件土石流発生前の二号堰堤の状況は、満砂状態にはなかったものと推定される。

四気象観測施設の状況

<証拠>を総合すれば次の各事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

1  気象庁は、防災面、産業面に必要な情報、資料を提供するために、気象観測、農業気象業務、水害対策等の目的別観測網を整備し、特に、降水量に対する予報業務の充実強化を図るため、全国の各地方気象台ができるだけ早く、降水量の状況を把握し得るよう、雨及び雪の予報に主眼をおいた水理水害気象業務を導入し、逐次全国に観測網を拡大してきた。

2  しかし、昭和四〇年代後半になり、国土開発、産業の発展等社会の急激な変化に伴う気象災害の形態の変化に、従来の観測体制では適切な対応ができなくなりつつあるとの認識に基づき、気象庁は、従来の各種気象観測網を一元化して多目的利用に供し得る効用の高い観測網の整備を目指し、また、委託観測方式を自動遠隔観測方式に変え確実迅速なデータ入手によって異常気象観測体制を強化するとともに、地域開発その他社会の利用のために気象資料を適切に提供し得るような地域気象観測網の整備を計画した。そして、電電公社回線を利用したオンライン、リアルタイム自動集配信を行う地域気象観測システム(アメダス)整備の検討を進め、雨量観測点については合計四六〇点(一七キロメートル四方に一点)、気温・風向・風速・日照(天気)の四要素観測点は合計八四〇点(二一キロメートル四方に一点)を全国に配置する計画を立て、昭和四八年度から全国的にその整備を推進し、雨量観測点については、昭和四九年から運用を開始した。青森地方気象台管内の青森県下には、右計画に従い昭和四九年に地域気象観測システムであるアメダス施設を一五か所設置し、以後雨量観測を実施してきた。

3  本件災害が発生した昭和五〇年八月当時の青森県下における気象観測施設は、地方気象台一か所、測候所三か所、気象通報所一か所、アメダス雨量観測所一五か所、乙種観測所六か所、地区農業気象観測所一〇か所、局地農業気象観測所六か所、無線ロボット雨量計六か所であり、右の全ての施設で雨量観測業務を行っていた。また、本件災害発生当時、右各種気象観測施設から得られた情報の外に、秋田地方気象台及び函館海洋気象台に設置してある気象用レーダー(探知距離四〇〇キロメートル程度)により得られた各資料に基づいて、青森地方気象台は各種注意報、警報等を発表していた。

なお、本件災害発生当時、岩木山周辺における雨量観測施設は、鰺ヶ沢、五所川原、黒石、大鰐、碇ヶ関の各アメダスの外、東目屋に地区農業気象観測所、弘前に気象通報所、深浦に測候所、その他、毛無山、四兵衛森、空岱山に無線ロボット雨量計が、各設置され、それぞれ機能していた。

4 岩木山における降水量観測施設については、前記第二の一5において認定したとおり、昭和三三年から昭和四三年ころまで、岩木山の西麓の黒森山に長期自記雨量計が設置されていた。この雨量計は、巻取記録紙に約三か月間連続的に自動記録する機構になっており、職員が一定期間経過後自動的に記録された雨量についての自記紙(記録紙)を交換して、気象官署にもち帰り、過去一定期間における雨量を読み取るという調査用の観測器であった。従って、右雨量計自身には通報性はなく、毎日の予報、警報等に直ちに利用できるものではなく、後日の調査、統計用に利用されたものである。

第三本件土石流の状況

請求原因3(一)の事実、同3(三)(1)のうち、昭和五〇年八月六日未明、岩木山の標高一四六〇メートルの地点において、崩壊面積約一九〇〇平方メートルの山腹崩壊が発生したこと、同3(三)(2)のうち、山腹崩壊地点から崩壊土砂が蔵助沢に沿って二号堰堤まで流下したこと、同3(三)(3)のうち、土石流が二号堰堤を越流するとともに同堰堤の袖部を破壊し、同堰堤下流約五〇〇メートルの地点で蔵助沢の現流路と旧流路に別れて流下したこと、蔵助沢現流路を流下した土石流は一号床固工を越流するとともに同床固工の袖部と本体部分を破壊したこと、蔵助沢本流ルートを流下した土石流は三号床固工を直撃しその一部を破壊したこと、同3(三)(4)のうち、三号床固工を越流した蔵助沢本流ルートの土石流、道路ルート及びキャンプ場ルートを流下した土石流並びに駐車場から町道に沿って流下した土石流は合流して流下し、県道の上流約五〇〇メートル付近から土石を堆積しつつ同県道を横断し、その付近において本件被災地を襲い、更に、水田地帯に流入して拡散、堆積し、その後は洪水流となって岩木川に流入したこと、同3(四)(1)の事実並びに同3(四)(2)のうち、木原アグリ及び木原康雄を除く死亡者の死因が原告ら主張のとおりであることは、いずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実及び前記第一で認定した事実に、<証拠>を総合すれば、次の各事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

一本件土石流発生当時の青森県の気象概況

青森地方気象台の気象概況によると、昭和五〇年八月五日寒冷前線がオホーツク海から津軽海峡付近を通って日本海に伸びていたが、夕刻には青森県に到達し、このため青森県内の所々で雷雲が発生した。一方、沿海州方面の上空にあった寒気は、北日本に近付き、大気の層が不安定となり、雷雨の起き易い気象状態となった。上空の寒気が入るに従って、雷雲の発達は著しく、夜半ころから青森県の北部を除いて全般に雷を伴った大雨が降り始め、同月六日午前〇時以降の最大時間降水量は、碇ヶ関五七ミリメートル、弘前三九ミリメートル、黒石六五ミリメートルとなった。秋田地方気象台、函館海洋気象台による同日午前一時三〇分のレーダーでは、津軽地方から十和田湖方面にかけて強い雷雲が観測された。この雷雲は朝まで衰えを見せず停滞し、同日午前九時ころにようやく南の方へ下がって雨も止んだ。同日午前九時までの降水量は、黒石の一五二ミリメートルを最高に、休屋一一四ミリメートル、碇ヶ関九七ミリメートル、弘前九〇ミリメートルと観測された。

このような状況の下で青森地方気象台からは次のような注意報、警報及び気象情報が発表され、青森県消防防災課にもその都度伝達され、同課は防災無線で県下各市町村に連絡、伝達した。

・昭和五〇年八月五日一一時一五分雷雨注意報

気象情報(以下、同じ。)

「大気の状態が不安定になっていますので、県内所々に雷雲が発生し、局地的に強い雨や、落雷の恐れもありますので、ご注意下さい。」

・一四時一五分 雷雨注意報解除

・一八時三〇分 雷雨注意報

「青森県の所々で強い雷雲が現れています。今夜一杯は局地的に強い雨や落雷の恐れがありますので、注意して下さい。」

・二一時四〇分 大雨・雷雨注意報に切替え

「青森県では、夕方過ぎから所々で雷を伴った強い雨が降っていますが、今夜一杯はまだ局地的に強い雨が降る見込みです。このため、中小河川は増水し、低い土地の浸水、崖崩れの起こる恐れがありますので、注意して下さい。雨量は三〇〜五〇ミリ、多い所で五〇〜七〇ミリ位でしょう。なお、雷雨注意報は継続中です。」

・八月六日一時三五分 大雨警報、洪水・雷雨(津軽・下北)注意報に切替え

「昨日の夕方頃から津軽地方を中心に強い雨が継続的に降り続いていますが、一時頃から津軽南部で局地的に強く降りだし、この強い雨は今日昼前まではまだ続く見込みです。このため河川は増水氾濫、低い土地の浸水や崖崩れの起こる恐れがありますので、各方面共厳重に警戒して下さい。降り始めからの雨量は多いところで六〇ミリ前後となっています。今後の雨量は、五〇〜七〇ミリ、多いところで七〇〜一〇〇ミリ、降り始めからの雨量は一〇〇ミリを超える見込みです。なお、雷雨注意報は継続中です。」

・五時四〇分 大雨・洪水警報、雷雨注意報に切替え

「気圧の谷の通過に伴い、夜半過ぎから津軽地方を中心に激しい雷を伴った強い雨が降り続いています。この雨は、まだ今日昼前までは断続的に降り、多いところでは今後五〇〜一〇〇ミリ、降り始めからの雨量は一〇〇〜一五〇ミリに達する見込みです。このため、河川の増水氾濫、低地の浸水や崖崩れ、落雷の恐れがありますから各方面とも警戒して下さい。」

・六時二〇分 大雨に関する情報第一号発表

「青森県の上空には発達した雷雲が停滞しております。このため、夜半過ぎから津軽地方で激しい雷を伴った非常に強い雨が降っています。降り始めから六時までの雨量は、黒石一五二ミリ、碇ヶ関九五ミリ、弘前八八ミリ、休屋一〇八ミリ、鰺ヶ沢七七ミリ、青森六九ミリに達しています。この雨は、今日日中はまだ時々局地的に強く降る見込みですから各方面とも引き続き警戒して下さい。現在、大雨・洪水警報が出されています。」

・一〇時一〇分 大雨に関する情報第二号発表

「昨夜半から津軽地方に大雨を降らせた雷雲はその後南に下がって、青森県内は現在雨はほとんど止んでおり、晴間のでている所もあります。しかし、青森県の西海上には新たな強い雨雲が発生して青森県に近付いており、今日日中は再び雷を伴った強い雨の降り出す恐れがありますので、なおしばらくは厳重な警戒が必要です。なお、降り始めから九時までの各地の雨量は次の通りです。黒石一五二ミリ、弘前八八ミリ、碇ヶ関九七ミリ、大鰐六三ミリ、休屋一一四ミリ、鰺ヶ沢七八ミリ、青森六九ミリ。現在、大雨・洪水警報、雷雨注意報が出されています。」

・一四時一五分 洪水注意報(津軽)に切替え

「大雨警報、雷雨注意報を解除し、洪水警報を津軽地方に対する洪水注意報に切り替えます。昨夜半から大雨を降らせた雷雨はその後ゆっくり南下して青森県から遠ざかり大雨の心配はなくなりました。しかし、この大雨で津軽地方の各河川は増水しておりますので引き続き氾濫する恐れがまだありますので十分注意して下さい。」

・八月七日五時三五分 大雨・雷雨注意報、洪水注意報に切替え

「青森県の西海上には強い雷雲が現れています。今日日中は県内所々で雷が発生し局地的に大雨となり、河川の増水氾濫、低い土地の浸水や崖崩れの恐れがあり、又落雷の恐れもありますのでご注意下さい。雨量は三〇〜五〇ミリ、多い所で五〇〜七〇ミリの見込み。津軽地方、洪水注意報は継続中です。」

・一〇時〇〇分 大雨・雷雨注意報、洪水注意報解除

二本件土石流発生当時の岩木山周辺の降雨状況

岩木山南麓の百沢地区では、昭和五〇年八月五日の夕方、一時小雨が降ったがすぐに止み、その午後一〇時過ぎころから次第に雨が降り始め、同月六日午前〇時過ぎころから雷を伴った強い雨となり、午前三時ころには、雷鳴と雨音で寝ている者が起きる程の激しい雷雨となった。

本件災害当時、岩木山及び百沢地区には降水量観測施設がなかったことから、土石流が発生した区域の降水量を直接知ることはできないが、①同年八月五日から同月七日にかけての岩木山に比較的近い観測地点における降水量記録及びレーダーによる雨雲の動きをみると、蔵助沢では午前三時ころに最も強く降ったものと推定されること、②岩木山西麓の黒森山に設置されていた長期自記雨量計による過去の観測記録と岩木山周辺の各観測施設の最大時間降水量の記録からは、本件災害時の黒森山付近における時間降水量は約六〇ミリメートルと推定されること、③秋田及び函館レーダーの記録写真からは、八月六日午前二時半から午前四時前までの岩木山の降水量は約一一〇ミリメートルであり、午前三時ころを中心に極めて短時間に強く(一時的には一〇分間に二〇〜三〇ミリメートル)降ったことが推定されること、④岩木山頂上付近の「種蒔苗代」の増水痕跡と山麓にある渓流の洪水痕跡との比較によると、山麓地帯の時間当たりの降水強度は、山頂部の半分程度であると推定されること、⑤崩壊が標高八〇〇メートル以上に集中し、土石流の始点も標高八〇〇メートル以下には見られないこと及び百沢スキー場内の急傾斜面にある雨裂溝に松の稚苗や雑草が侵食されずに残存していたことから、百沢スキー場中下流部の降雨は、著しい侵食を起こすほど大きなものではなかったと推定されることの各事実から、岩木山の降水量に関しては、①最強の雨が降ったのは標高八〇〇メートル以上の山頂付近の岩木山南斜面で、上流と下流で降水の分布に差が認められること、②雨は雷を伴ったもので、八月五日夜半から断続的な降雨がみられるが、同月六日午前三時を中心に最も強く、午前二時三〇分から午前四時までの降水量は約一一〇ミリメートルと推定され、引き続いて断続的な降雨が約一時間二〇分続いており、午前三時前後の降雨が土石流発生の直接の原因となったと考えられること、③山頂付近の最大時間降水量は約七〇ミリメートルと推定されることが認められ、右各事実を左右するに足りる証拠はない。

三本件土石流の発生と流下状況

1  山腹の新規崩壊と本件土石流の発生

昭和五〇年八月六日未明、岩木山の標高一四六〇メートル付近の蔵助沢谷頭付近の右岸山腹斜面において長三角形型の新規崩壊(別紙図1「蔵助沢及び土石流流下経路概要図」の①地点)が発生した。この崩壊の規模は、青森営林局及び青森県砂防課が本件土石流発生後間もなく実施した実測調査の結果によれば、崩壊面積約〇.一九ヘクタール、平均崩壊深〇.三五メートル、崩壊土砂量四五九.八立方メートル、平均傾斜角二八度(下部は三五度)であった。

崩壊は山腹の崖錐に発生しており、地被状態は、上部がハイマツ、ミヤマハンノキ、ミネカエデ、ダケカンバ等の潅木帯、下部がミヤマノガリヤス等を主体とする草生地で、両者の境界部分を上端として崩壊した。

崩壊部分上部の地形は、崩壊上部で多少くぼんでいて、降水が浸透すれば地下水となって集まり易い状態となっていた。地質的には、地表部が透水性に富む腐植層で、その下に多孔質な人頭大の礫を含んだ礫層があり、地表から三〇ないし四〇センチメートル下部には部分的にかなり固結した不透水層が認められた。また、崩壊頭部には、二か所(径三〇センチメートル位、奥行一メートル程度)の空洞が見られ、頭部近くの左右側にも地下水の噴出したと思われる箇所が見られた。

崩壊の原因については、県調査報告書は、短時間の強雨で、雨水が容易に地下に浸透し、地下水集中を引き起こし、崩壊上端と上端近くの左右側で地下水圧が加わって腐植層を上端及び側面から押し出し、連鎖的に崩壊したいわゆるパイピング現象(浸透水により土粒子が流出して地盤内にパイプ状の水道ができる現象)によるものと説明し、科学者会議の調査報告書(上)は、多量の降水が透水性に富む崩落土層中に浸透し、短時間のうちに飽和状態に達したため、崩落土層中の砂泥が洗い出されて、根毛層下にいくつもの小水路ができ、小水路を流れる流水によって更に回りの砂泥が洗い出され、取り残された大小の礫は密生する根毛層によって辛うじて支えられる状態になり、巨大礫のいくつかも宙に浮いた状態となるなど不安定な状態になったところに、そのうちのあるものが根毛層による支持をも失って動揺し、これを契機に崩壊が発生したものと説明しているが、いずれの説明が正確かは、崩壊現象そのものが十分解明されていないこともあって、判断するに足りる資料がない。

いずれにせよ、こうして発生した山腹崩壊による崩壊土砂は、一時対岸に乗り上げた後、渓流を流下する降雨水と一体化しつつ、渓床、渓岸を侵食し、その規模を拡大しつつ次第に土石流へと発達して流下していった。

2  本件土石流の流下状況

(一) 発生から蔵助沢二号堰堤まで

(1) 前記1記載の経緯により発生し流下し始めた本件土石流(どの地点で土石流となったのかは不明である。)は、標高約一一〇〇メートル付近の蔵助沢が畑ケ沢と蔵助畑沢に分岐している地点で、畑ケ沢と蔵助畑沢の両方に分かれて渓流を流下し、標高九〇〇メートル付近の右二つの沢の合流点で、それぞれの沢を流下した土石流が一つに合流している蔵助沢を流下し続け(それぞれの沢を流下した土石流が一体となって流下したのか、別々に同じ流路を流下したのかは不明である。)、その渓床、渓岸を侵食しながら土砂量を増加させつつ流下し、蔵助沢二号堰堤(別紙図1の②地点)に至った。

(2) 本件土石流流下後の蔵助沢の荒廃状況は、次のとおりである。

前記山腹の新規崩壊が発生した付近は、急勾配であるため、谷底に崩土を残さず、その殆どが流下しており、この崩土の流下により、谷底が洗掘され、谷底にあった泥質物及び崖錐が運搬された。

標高一〇〇〇メートル付近の通称「焼止まり」付近から二号堰堤までは、いわゆる谷底堆積物が残っておらず、谷底には岩木山体を構成している安山岩熔岩と同質集塊岩とが露出していた。しかし、この区間は、全体的に急勾配をなしているため、元々谷底堆積物は多量には存在していなかったものとみられる。谷壁には、一部小規模崩壊が見られる。また、硬質な安山岩熔岩と軟質な集塊岩とが互層していることから、集塊岩の部分は深くえぐられ滝壺となっている。この区間の土石流は、前記谷壁崩壊による崩土に滝壺部の集塊岩が加わり流下したものと思われ、最上部の滝壺の洗掘量は少ないが、それより下部の三個の滝壺の洗掘量は多いものと認められる。

(二) 蔵助沢二号堰堤から蔵助沢三号床固工まで

(1) 二号堰堤に到達した土石流は、同堰堤によって一部流下を阻止されたが、その余は同堰堤を越流するとともに、同堰堤の袖の一部を破壊し、更に同堰堤下流の渓床、渓岸を大きく侵食して流下している。同堰堤の下流約五〇〇メートルの地点で、現在の蔵助沢の流路と旧流路(別紙図1の③地点)の二方向に分かれて流下した。

ア まず、現在の蔵助沢の流路を流下した土石流は、蔵助沢一号床固工(別紙図1の④地点)に至り、同床固工を越流する際に、同床固工の袖部と本体を破壊し、百沢スキー場ゲレンデ部分(別紙図1の⑤地点)に流入し、その相当部分が同スキー場ゲレンデ部分で拡散堆積したが、その余の部分は、蔵助沢や同スキー場表面に敷設してあった礫、土砂、アップルロード残土等を侵食しながら、次の三方向に分かれて同スキー場を流下した。

a 蔵助沢本流ルート

百沢スキー場ゲレンデ部分に流入した後も、ほぼ蔵助沢の流路に沿って流下した土石流は、同スキー場下流端付近で深い谷を形成していた蔵助沢の現流路に流入し、蔵助沢三号床固工(別紙図1の⑥地点)に至り、同床固工の袖部を破壊し、更に、蔵助沢を流下し本件被災地へと至った。

b キャンプ場ルート

百沢スキー場に流入した後、蔵助沢左岸のキャンプ場(別紙図1の⑦地点)を流下した土石流は、三号床固工下流で蔵助沢の現流路に流入して流下している(蔵助沢本流ルートの土石流と合流し一体となって流下したかどうかは不明である。)。

c 道路ルート

百沢スキー場に流入した後、同スキー場に通ずる町道(別紙図1の⑧地点)に沿って流下した土石流は、三号堰堤の下流約二〇〇メートルの地点で蔵助沢の現流路に流入して流下している(蔵助沢本流ルートの土石流及び旧流路を流下した土石流と合流し一体となって流下したかどうかは不明である。)。

ところで、右三メートルのうち、いずれのルートが本件土石流の主流であったかについては、本件全証拠によってもこれを確定することができない。

イ 他方、旧流路に向かった土石流は、拡散しながら石切沢方向と百沢スキー場場西側の駐車場を経て通称桜林方向に向かった。その際、右の土石流の大部分は旧流路と駐車場(別紙図1の⑨地点)付近に堆積したが、一部は石切沢に流入し、他の一部は同スキー場に通ずる町道に沿って流下し、三号床固工の下流約二〇〇メートルの地点で蔵助沢の現流路に流入し流下している(蔵助沢本流ルートの土石流及び道路ルートの土石流と合流し一体となって流下したかどうかは不明である。)。

(2) 二号堰堤の下流部には百沢スキー場付近を除き、約三メートルに達する谷底堆積物(旧土石流堆積物)が堆積していたが、本件土石流により部分的にかなり洗掘され、谷底に基盤の集塊泥流が露出する部分がみられた。

同スキー場の緩傾斜面に接する上、下流部には谷底堆積物がなく、火山泥流のローム質粘土が露出する狭いV字谷になっており、谷底侵食、谷壁の側方侵食が進行中であったが、本件土石流によってもかなり激しく侵食された。また、本件土石流は三号床固工直下流を横断する町道部分を完全に破壊している。

(三) 蔵助沢三号床固工から下流

(1) 三号床固工を越流した蔵助沢本流ルートの土石流、同床固工下流において蔵助沢現流路に流入したキャンプ場ルートの土石流並びに同床固工の下流約二〇〇メートルの地点で蔵助沢現流路に流入した道路ルートの土石流及び旧流路を通った土石流は、同床固工の下流を大きく侵食し、その破壊力を増しながら、蔵助沢を流下した。また、同床固工の直ぐ下流で蔵助沢に合流しているいわゆる東の谷(別紙図1の「東の谷」と記載されている渓流)の洪水流も、本件土石流に合流して流下したものと思われる。そして、本件土石流は県道の上流約五〇〇メートル付近から土石を堆積し始め、県道を横断する付近で本件被災地を直撃し、県道の下流で水田地区(別紙図面1の⑩地点)に流入拡散して堆積し、その後は洪水流となって岩木川に流入した。

(2) 三号床固工下流部の谷は、本件土石流通過後、比較的浅く、広いV字谷になっているが、谷底には、旧土石流堆積物が多量に侵食され、その基盤をなしている集塊泥流が露出している。

堆積の始まる県道上流約五〇〇メートル付近の礫は比較的小さく、殆どが人頭大程度である。礫の径は下流方向に約一五〇メートルの間で次第に大きくなり、県道付近で径約三メートルの巨礫がみられ、これより下流では所々に大きい礫も見られるが、全体的には人頭大ないし牛頭大のものが多く、泥質物も多くなる。

氾濫幅は県道付近で約一〇〇メートルであり、その後、水田地区に入って拡散分流し、三本柳部落付近で一応の堆積を終えている。

このような土石流(フロントの厚さ三〜四メートル、幅二〇メートルから一〇〇メートルと推定される。)が数回にわたって流下したと推定される。

(3) ところで、科学者会議調査報告書(上)によると、本件土石流発生当時、東の谷にも小土石流が発生し、この東の谷からの土石流及び洪水流が本件蔵助沢の土石流にも大きな影響を与えた旨の記載があり、右記載部分の執筆者である証人川越信清及び同宮城一男の各証言中にも同趣旨の供述部分のあることが認められる。

そして、その論拠としては、地形的に見て、百沢スキー場地域に降った雨は殆ど東の谷を流下すること、本件土石流発生時に東の谷を横断している町道が、東の谷の洪水流により盛土部が決壊し、それが原因で小土石流が発生したこと、本件土石流発生の一年後に行った現地調査の結果、右決壊した町道の下流部分に大規模な洪水痕跡が確認されたことなどが挙げられている。

しかし、本件土石流発生当日撮影された航空写真の拡大写真(乙第一九一号証)及び本件土石流発生後である昭和五一年四月二〇日撮影の写真(乙第一八七ないし第一九〇号証)によると、東の谷を横断している前記町道の盛土部分は決壊していないことが認められ、また、川越証人、宮城証人とも、反対尋問の中で、東の谷の前記洪水痕跡は、本件土石流発生時のものではなく、その後の洪水流によるものである可能性もあることを認める旨の証言をするに至っていることなどに照らすと、右記載及び供述部分は明確な根拠に欠けるものとなり、本件土石流発生時に東の谷で小土石流が発生した事実は否定せざるを得ない。

3  本件土石流の土砂収支について

本件土石流により移動した土砂量は、航空写真と現地調査を基礎として計算した県調査報告書によれば、次のようになり、これを覆すに足りる資料はない。

本件土石流発生の契機となった源頭部の新規崩壊地から発生した土砂量は約四六〇立方メートルであった。ここから二号堰堤までは渓床、渓岸の洗掘が約三.二キロメートルにわたって行われ、土石流となって移動したが、この間における洗掘土砂量は約一万二三〇〇立方メートルであったと推定される。一般に洗掘された地山の土量は、移動中の空気等の混入や、流下距離によって、約二〇パーセントの容積増加が生ずることから、ほぐれた土量は約一万四八〇〇立方メートルとなると推定される。

二号堰堤では、本件災害前に約二〇〇〇立方メートルの土砂が堆積していたと推定されるので、本件土石流のうち約八〇〇〇立方メートルが推砂し、残り約六八〇〇立方メートルの土砂が流下したと推定される。

二号堰堤から一号床固工までの渓床では約九一〇〇立方メートルの土砂が洗掘されたと推定されることから、一号床固工及び旧流路に向かった土砂量は約一万七八〇〇立方メートルと推定される。

本件土石流は、一号床固工の上流約二〇〇メートルのところで二つに分かれ、一方は一号床固工を経て百沢スキー場に向かい、他の一方は旧流路に向かっている。同スキー場及び旧流路には、約一万七八〇〇立方メートルのうち約八五〇〇立方メートルが堆積したが、同スキー場に敷設してあったアップルロード残土のうち約五〇〇立方メートルが洗掘されたと推定されるので、同スキー場を通過して流下した土砂量は差引約九八〇〇立方メートルと推定される。

同スキー場下端と、ここから約一五〇メートル下流にある三号床固工の間の渓床及び町道沿いの凹地が洗掘されたが、その洗掘土砂量は約三五〇〇立方メートルでほぐれた土量は約四二〇〇立方メートルと推定され、三号床固工下流で分かれた旧流路ルートの土石流が合流しているから、合流点での土砂流下量は約一万四〇〇〇立方メートルと推定される。

三号床固工から下流、県道の上流約五〇〇メートル地点までの間では、約一万六二〇〇立方メートル(ほぐれた土量約一万九四〇〇立方メートル)の土砂が洗掘されたと推定されるので、この地点を流下した土砂量は約三万三四〇〇立方メートルと推定される。ここから下流三本柳部落までに約三万一〇〇〇立方メートルが堆積し、残り約二四〇〇立方メートルが下流に流下したと推定される。

以上の推定結果から、本件土石流によって移動した土砂量は合計約五万立方メートルで、三号床固工の下流から最大量となり、百沢地区に対しては、合計約三万三四〇〇立方メートルもの土砂が流入したと考えられる。

なお、科学者会議調査報告書(上)によれば、本件土石流で移動した土砂量は約七万立方メートル以上となる旨の前記推定と異なる記載があるが、その算出方法は堆積土砂量から移動量を推定したもので、計算過程が明確ではなく、証人宮城一男も県調査報告書の数字の方が正確である旨を証言していることなどに照らし、科学者会議調査報告書記載の右数値は措信できない。

4  洪水流量等について

本件土石流の洪水流量について、県調査報告書は、昭和五〇年八月五日から同月七日にかけての岩木山周辺地域の降水量記録から、蔵助沢流域において降水強度が最も強かったのは、同月六日午前三時ころで、その降水強度は2.22×10-2㎜/secと推定されるとし、この最高降水強度が蔵助沢流域に一様に降り、しかも蒸発や浸透がなかったと仮定した場合の洪水量は、標高四三五メートルの二号堰堤付近で毎秒一七.四立方メートル、標高三六五メートルの一号床固工上流付近で毎秒二二.三立方メートル、標高二九〇メートルのスキー場下端の三号床固工付近で毎秒二七.一立方メートル、標高二一五メートルの岩木山神社横付近で毎秒三三立方メートル、標高一八〇メートルの百沢地区(県道)付近で毎秒三五.六立方メートル、標高一六五メートルの三本柳地区上流で毎秒三八.六立方メートルと推定している。

他方、科学者会議調査報告書(上)も、蔵助沢流域の全域で100㎜/hrの降水強度があったとすると、最大洪水量は二号堰堤付近で毎秒一八.八立方メートル、県道付近で毎秒三七.三立方メートルとなると、ほぼ同じ程度の推定をしているので、県道付近では、毎秒約三五〜三七立方メートルの洪水量があったと推定するのが相当である。

そうすると、土石流フロントの規模については、土石流痕跡、洪水速度及び各砂防施設での越流跡等から概算して、二号堰堤付近では毎秒四〇〇〜六〇〇立方メートル、一号床固工通過時には毎秒一五〇立方メートル、三号床固工通過時には毎秒二〇〇立方メートル、百沢地区付近では毎秒四〇〇立方メートル程度と推定される。

四本件土石流による被害の状況

本件土石流は、二号堰堤の袖の一部、一号床固工の袖部と本体及び三号床固工の袖部をそれぞれ破壊し、百沢スキー場においては、鋼鉄製スキーリフトの支柱を剪断し、百沢地区付近では、県道の両側約一〇〇メートルの幅の家屋を一挙に押し流し、県道から下流約一キロメートル地点までの水田を、幅約一五〇メートルにわたって土砂、流木等で埋め尽くした。本件土石流による百沢地区の被害は死者二二名、重軽傷者三一名、人家全壊一七戸、半壊九戸、床上浸水五戸、床下浸水三一戸、農地一六ヘクタールに及んだ。

第四土石流の特性等と本件土石流の原因

請求原因4(一)(3)(4)の各主張及び同4(二)(1)のうち、土石流の先端部には直進性があること、土石流ははっきりした前兆現象もなく突発的に発生するために発生後の避難は極めて困難であることの事実は当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、<証拠>を総合すれば次の各事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

一土石流の特性等

1  土石流の定義

土石流の厳密な定義は未だ確立されていないが、おおよその概念としては、主として渓谷に堆積していた土石が多量の水を含んで流動化し、水・土・石が混じり合って一体となって流動する現象と言われている。また、土木学会監修の土木用語辞典によると、土石流とは「山間のけい流において、多量の土砂・石れき、ときにはこれに木材等の破片を混じたものが、それ自身の重量と水の潤滑作用とによって流下する現象をいう。通常強大なエネルギーと破壊力を持つ。急こう配のけい流に多量の不安定な砂れきの沈積がある所に豪雨が降り、あるいはこれに伴って上流部で山くずれがある場合に起こりやすい。土石流においては、水が固形物を運ぶのではなく固形物の集合体が水を含んで流動する、いわゆる集合運搬が行われる。速度は構成物質や河床の条件によって毎秒二〜二〇メートル前後の間で、種々ある。主として火山灰沈積地域に起こりやすいでい流も土石流の一種とみなしうることがある。」とされている。

2  土石流の発生形態

土石流の発生形態は一般に次の三つの型に分類されている。①崩壊土砂が、そのまま渓流に直進し、土石流に発展する場合、②渓床の堆積土砂が移動し、土石流に発展する場合、③天然ダムの欠壊による場合である。

①の場合の現象は、渓谷の谷頭部分に崩壊が発生し、崩土が崩壊直下に止まることなく常時の湧水点より下に直進し、渓床堆積物を洗掘しながら雪だるま式に体積を増加しながら流下するもので、土石流全体の体積は谷頭崩壊土量の数十倍にも達する。我国で災害を起こした土石流の中ではこのタイプに属する事例が最も多いと思われている。土石流の発生機構については、いずれもよく判っていないが、このタイプについては、谷頭崩壊が起こるような状況下では渓谷にも多量の降水供給があって渓床堆積物が十分飽和されて流動化し易くなっているところへ崩土が急激に加重するので一挙に流動化が起こると考察する研究者もある。

②の場合は、異常豪雨により渓流が増水すると、これらの流水は急勾配の渓流を猛烈な勢いで流下し、渓床、渓岸を侵食しながら次第に土石の量を増やし、土石流に発展するものであり、谷頭の侵食が常に行われて渓床堆積物の形成が進行する渓谷では豪雨によって年に数回というような頻度で土石流が起こる場合もある。

③の場合は、渓岸崩壊等が起こって崩壊土砂が多量に渓流に落下するとそこに天然ダムを形成し(いわゆるダムアップ)、しばらく上流の流水をせき止めるが、せき止められた水量が次第に増加するにしたがって、水圧が増加すると同時に天然ダムの下に浸透した水の揚圧力も加わって天然ダムが決壊し、猛烈な勢いで渓流を破壊拡大しながら突進し、集合運搬が生じ土石流となるものである。

これら土石流は、その発生原因は異なっていても、いずれも下流に行くにしたがって、渓床、渓岸を侵食して益々その規模を大きくすることは共通している。

3  土石流発生の要因

(一) 土石流の発生に関与する因子

土石流の発生を支配する因子は種々あるが、決定的なものとして、①渓谷の勾配、②堆積物の蓄積、③多量の水の供給の三つが挙げられる。

①渓谷の勾配について

渓谷の勾配については、大体土石流の発生地点は一五度から四〇度までくらいの傾斜斜面に多いが、既往の調査結果からは、一般的に、谷頭崩壊の発生するのは二五度以上、渓床堆積物が洗掘されて土石量が体積増加しつつ流下するのは一〇度以上、土石流が停止して再び堆積するのは一〇度以下で、五度より緩やかな勾配に大礫を含んだ土石流が流入することはまずないといわれている。

②堆積物の蓄積

渓谷での土石の蓄積については、その谷の流域から水流によって運び込まれ、普通の降雨では下流まで押し流すことのできないものが次第に谷底に溜まってくる。特に風化の激しいところでは、降水と乾燥の繰返しや、凍結と融解の繰返しによって、渓岸表面の岩塊・土塊が剥離し易くなっており、僅かな降雨で小崩壊が起こって多量の土石が蓄積される。谷底への土石の堆積は現地踏査で容易に確認されるが、谷底の岩盤までの深さを直接に測りにくいので、堆積量の定量的把握は非常に難しいとされている。

③多量の水の供給について

最も直接的に土石流の発生を支配する多量の水の供給については、土石流の発生源のような山間で、異常な降雨のときの水の収支状態を正確に観測したような例が殆どないため、定量的な予察は極めて難しい。焼岳東斜面で土石流の発生機構を究明するため行われている現地調査の結果によると、土石流は雨量が一〇分間にわたり七〜八ミリメートル(時間雨量五〇ミリメートル程度)を超えると非常に発生し易くなることが確認されたが、この数値が一般的に他の谷に適用できるとは限らず、雨の降り方と土石流の発生を単純な因果関係で定量的に表現することは極めて困難である。

(二) 土石流発生因子相互間の関係

以上のように、土石流の発生を支配する主たる因子は、渓谷の勾配と堆積物の蓄積と多量の水の供給であるが、各因子、殊に堆積物の蓄積と多量の水の供給の定量的予察は極めて難しく、また、実際の土石流は、右各因子が複雑に関係していることに加えて、他の因子、例えば地形、地質、土砂の堆積状態、植生状態、降雨状況等とも複雑に絡み合っているため、各々の因子相互の関係がどのようになったときに土石流が発生するのかという土石流の発生機構は未だ十分に解明されていない。

4  土石流の流動形態の特徴

(一) 土石流の流動状態は、前記第四の一1記載の如く、河川の洪水流のように水が砂や小石をばらばらにして押し流して行く「各個運搬」と異なり、水・土・石が一体に混じり合って一塊になって流れる「集合運搬」である。集合運搬とは、流水という外力によって移動するのではなく、大小様々な土石と水との混合物がそれ自体の重力の作用で一体となって運搬されるものである。つまり、流水が土石を押し流すのではなく、土石と水の混合物が一体となって斜面を流下するものと説明されている。

(二) 土石流の先端には通常大きな岩塊や流木等が集まってフロントと呼ばれる大きな盛り上がりが形成されるが、その高さは数メートルから十数メートルにも達することがある。このフロントの後に大量の土石が続いて流れるが、先頭から後に行くほど粒子が小さくなり、礫・砂・泥となって、終りの方は殆ど泥を含んだ普通の水になる。

(三) 大量の土石を含んだ土石流の先頭部は、縦の渦状に回転しながら一塊の固体のような運動をする。そのため、巨大な洗掘力あるいは削剥力をもち、流下後の渓床は深くえぐられて、U字形の谷を形成し、平常は谷底の中で少量の水が蛇行しながら流れているところでも、土石流となると殆ど一直線に流下し、特に谷の曲がっているところでは凹側(外側)下流斜面へ乗り上げながら進み、平常時の谷底から数十メートルの高さまで土石が跳ね上がってくることがある。

(四) 土石流が流下してくる速さは、谷の形状と土石流の規模及び構成物(土・石・水の相互の割合)によって異なるが、谷の中の勾配の急なところでは秒速一〇メートルから数十メートルに達し、谷の下流の勾配の緩いところで秒速数メートルに減速し、更に谷を出て横に拡がると急激に減速して停止する。但し、土石流先頭の土石塊が停止しても、後続の泥流はその上を乗り越えたり、側方に回ったりして流下を続け、河川の本流にまで到達する。

(五) 一般に、土石流がどのくらいの距離まで流れ得るかについては、多くの力学的因子が入っているために定量的表現が難しいが、中規模の土石流では、谷に沿って数キロメートル流下し、谷を出て扇状地に拡がってもなお数百メートルから一キロメートル程度流下することが多い。これは多くの「山崩れ」の崩壊土砂が、平地に達してからは殆どが数十メートルからたかだか一〇〇メートル位で停止するのに比べると、遥かに流走距離が長い。

5  土石流災害の特徴

土石流の流動形態の特徴に関連して、土石流による災害の特徴は、一般に次のように言われている。

(一) 土石流が谷の出口である居住地を襲う場合を想定すると、直径数メートル重さ数トンの岩塊の群が先頭に立って秒速一〇メートル以上の速度で動いてくることから、その正面流路に当たるところでは、普通の住宅はひとたまりもなく押し潰され、次いで後続の礫・砂・泥を含む大量の水が流れ込んで、その通過後には数メートルの厚さの堆積物が残される。

(二) 但し、土石流先頭部は直線的に進むから、その正面から少し横にそれたところでは、岩塊群は到達せず、後続の泥流が横に拡がって流れてきても家の中を通り抜けるだけで、倒壊はせずに済むといった状態が生じる。これは、洪水氾濫時のように、ある一定標高以下の地域が広く水没するという現象とは全く異なっていて、土石流の流下範囲からわずかの距離でも離れていれば生命を全うする可能性が高いことになる。

(三) 土石流は、洪水のように徐々に水位が上がってくるというある程度の時間の経過を伴う現象ではなく、はっきりとした前兆現象もなく、突発的に発生するものであり、危険が差し迫っていることを容易に知ることができず、また極めて急速に流下するため避難するための時間を確保することは極めて難しい。

二土石流と森林

1  森林の公益的機能

森林は、炭酸ガスやチリを吸収する一方、酸素を供給し、空気を浄化し、気候を温和にし、生物を豊富にする等の機能のほかに、次のような防災治水上の公益的機能を持っている。

2  森林の治山機能について

(一) 出水量の調節機能(理水機能)

森林は、雨水の地表流出を緩和し、出水量を調節する機能を持つ。

即ち、森林に降った雨の一部は直接地表に到達するが、他は樹木の表面や枝葉に付着して一時保留され、その後、一時保留雨量の一部は枝から幹を伝って流下して地表に達し、また、他の一部は水滴となって地表に落ち、残りは蒸発して地表に達しないため、地表に達する雨量はそれだけ減少することになる。この降雨の遮断量については、樹種・森林の構造・林齢等の森林条件と総量・強度・継続時間等の降雨条件や風・気温等の諸条件によって大きく異なるため、一般的に言うことは難しいが、おおよそのめどとしては、一連続雨量が一〇〇ミリメートル以上の大雨ではおおよそ雨量の五〜一〇パーセント程度を遮断するといわれている。

また、森林土壌は、根が枯死・腐敗した後にできる管状孔隙、地中の小動物が作る通路の孔隙や土壌構造による孔隙等様々な大きさの非毛管孔隙に富んでいるが、これらを林木が豊富な根量や有機物の多量の供給を通じて増強・維持し、これによって、森林は孔隙を通過する水の移動量を多く容易にして土層の浸透能を増強・維持することになる。林地の浸透能については、土壌の種類・地被・地表傾斜・降雨条件等によって随分異なるが、一般的には、毎時一〇〇ミリメートル程度が最終浸透能と考えられている。

しかし、この森林の出水調節機能にも限界が認められる。即ち、洪水調節機能としてみた場合、多くの研究結果から、約五〇〜七〇ミリメートル以下の降雨については効果をもつが、七〇ミリメートルを超えるような降雨に対しては十分な調節機能はなく、治水が問題にする二〇〇ミリメートルとか三〇〇ミリメートルの豪雨に対しては森林の有効性がないという見解もある。

(二) 表土の侵食防止機能

森林は、雨滴による表土の直接侵食や、表流水による侵食防止機能を持ち、この機能は次のような作用によって発現される。

①樹冠、下草、落葉落枝、苔等が雨の落下エネルギーを減殺する。②樹幹下部、地上根、下草、落葉落枝等が、雨裂の発生による表土の流出を防ぐ。③落葉落枝枯木等が養分の供給源となって土壌微生物が豊富となり、微生物が有機物を分解して蘇類の発生や下種の発芽による森林の再生を促進するとともに団粒土を形成して表土の流出抵抗性を増す。④植物被覆や土壌微生物が熱を発生保温して、冬期地表温の氷点下降下を妨げ、凍土(霜柱)による表土の物理的風化等を防ぐ。⑤落葉落枝・団粒土等が、水を分散吸収する作用等によって、表土層の水の過飽和を妨げ土砂の流動性を減らす。

以上、森林の侵食防止作用は極めて大きく、落葉と微生物の存在がその機能の主役であり、③の作用が最も重要である。従って、皆伐、全幹集材等は、山林の落葉落枝と微生物を減らし、侵食を著しく増大するのみならず、侵食による崩壊をも誘発して、山地を荒廃させる要因となる。

(三) 崩壊防止機能

森林は、一般的に、斜面崩壊を防止し、渓床への土砂の流出を減少させることから土石流量を減らす機能を持つといわれている。しかし、この崩壊防止機能をどの程度認めるかについては学説上一致していない。

森林の崩壊防止機能を重視する説は、①森林植生、落葉落枝、有機質土壌等による被覆は侵食や流水の集中を妨げるだけではなく、地表水の地下浸透量を減少させること、②根系の貫入は、風化土層と基盤の境界をつないで土を緊縛し、表層の剪断抵抗を増すとともに、パイピングを防止すること、③多数の樹幹が崩壊する土石や積雪を支えたり分散誘導することによって、斜面への衝撃を緩和し、崩壊の誘発を防ぐことなどを根拠にしている。

しかし、これに対しては、①強風の場合、森林の樹幹が根系を揺り動かし、地盤を緩めたり風倒木を生

増すこと、③森林の存在はその重量や腐植土の重量だけ表土にかかる荷重を増し、斜面を不安定にすることなどを根拠にして、森林の崩壊防止機能をあまり重視せず、むしろ森林は崩壊を助長する場合があるとする説がある。

更に、樹木根系の崩壊防止機能については、通常樹木の根系が到達する深さは約一メートルから一.五メートルであるが、災害を引き起こすような崩壊は、たいてい根系の及ぶ範囲よりも下にある硬い岩盤(基岩)とその上の土壌層との境界で起きることから、樹木根系の崩壊防止機能は期待できないとする土石流研究専門家の見解もある。

これらのことを総合すると、結局、森林の崩壊防止機能を否定することはできないが、その範囲は、樹木の根系の及ぶ範囲内で発生する崩壊に限られ、樹木の根系の及ぶ範囲より下で発生する崩壊に対しては崩壊防止機能は認められず、森林の崩壊防止機能には限界があり、林地上の樹木群の態様よりも林地そのものの地学的条件(岩質、地形、土壌等)の方がより直接的な影響を持ち、樹根が地表を固定する力は限られた範囲のものであると考えるのが相当である。

3  森林の土石流抑止機能

森林の土石流抑止機能は、前記第四の二2(三)記載の森林の崩壊防止機能と同様であると思われるが、その他に、特に森林と土石流の関係にして崩壊の危険流を極めて大きなエネルギーを持って流下するので、その流下区間においては、渓床に侵入した植生(林木、雑草等)は根こそぎ持ち去られ、土石流通過後の渓床には殆ど植生根系の残留は認められないのが一般であり、また、土石流が森林の木にぶつかることによるエネルギーの損失効果は数字で表すことができるほど大きくなく、逆に、土石流がある程度の流速で流れているところに木があると、折れるか若しくは根から侵食されて流木になり、この流木が災害を大きくするマイナス効果をもたらす結果になるとする説もある。

この点については、森林の崩壊防止機能を重視する立場に立つ証人木村春彦も、森林の土石流抑止機能について、樹齢一五年以下の幼齢林の場合は根が非常に弱いので殆ど効果がなく、杉のような針葉樹の場合は広葉樹と異なり根系が浅いことから倒れ込んだりダムアップの原因になるなどの逆効果になる場合がある旨の証言をしている。

以上のことから、森林のもつ土石流抑止機能にも限界がありそれほど大きいものではなく、森林の種類、樹齢等によっては逆に被害を拡大する効果をもたらす可能性もあることが認められる。

三本件土石流の原因

以上、第二、第三及び第四の一、二によって認定した事実を前提に、本件土石流の発生原因等を検討する。

1  発生原因

本件土石流は、岩木山の標高一四六〇メートル付近の山腹斜面において発生した新規崩壊を契機として発生したものである。即ち、右山腹崩壊による崩壊土砂が渓流を流下する降雨水と一体となって土石流となり、蔵助沢に沿って流下し続け、その間に渓床、渓岸を侵食して土石を雪だるま式に増加させ、本件被災地下流にまで至ったものである。本件土石流の発生形態は、崩壊部分にダムアップの形跡がないことから、前記第四の一2記載の①のタイプ、即ち、時間雨量約七〇ミリメートルの豪雨を誘因として発生した谷頭崩壊が引金になった最も多いタイプの土石流に属するものと思われる。

なお、本件土石流の発生源である新規崩壊地付近は、潅木と草地のみで、本件土石流の発生前後を通じて森林伐採等の森林施業は全く行われておらず、他に人為的手段が加えられた証拠もないことから、右崩壊の発生は、全くの自然現象と認められる。

2  蔵助沢流域の森林伐採と本件土石流との関係

原告らは、蔵助沢流域の森林伐採は、森林の持つ理水機能、山地荒廃防止機能、土石流抑止機能を低下させ、本件土石流の発生ないしは拡大原因となった旨の主張をしているので検討する。

前記第二の二において認定したとおり、蔵助沢流域の国有林野の面積は約一二〇ヘクタールであり、右流域内の百沢スキー場区域は六一.五八ヘクタール(蔵助沢流域外をも含めると九八.四九ヘクタール)であること、蔵助沢流域内の国有林野の伐採については、百沢スキー場開設前から昭和四三年度までの間に合計四三.一二ヘクタールが皆伐されていたこと、昭和四二年度から昭和四七年度までに六.五〇ヘクタールが間伐されたこと、右皆伐された跡地のうち蔵助沢東側の標高約五三〇メートルから標高約三二〇メートルにかけての一部分一六.〇九ヘクタールがスキー場ゲレンデ等の施設として使用されるために無立木地帯として残されたこと、右無立木地帯以外の皆伐跡地は伐採翌年から萌芽更新により森林の再生が図られ、本件土石流発生当時は七年生から一〇年生程度の天然の広葉樹林(幼齢林)となっていたこと、蔵助沢流域内の百沢スキー場区域内には三一.〇八ヘクタールの保残帯が設けられこの部分は伐採されていないことなどが認められ、これらによれば、百沢スキー場区域で全くの無立木地帯は一六.〇九ヘクタール(蔵助沢流域の約一三.四パーセント)に過ぎず、しかも右無立木地帯(別紙図3の斜線部分)への降雨は、殆ど蔵助沢に流入せず、いわゆる東の谷へ流れる地形となっていること、第二の一6及び三3によると、スキー場区域内の蔵助沢の流路周辺は森林や植生に覆われており、土石流の発生原因となるような崩壊地は本件土石流発生前にはみあたらなかったことが認められる。これらの諸事実に照らすと、蔵助沢流域の森林伐採が、森林の持つ前記第四の二2記載の侵食防止機能等の治水機能を著しく低下させ、本件土石流の発生原因または土石供給源となるなどの拡大要因となったものとは認められない(無立木地帯の洪水流出量に与えた影響については後述する。)。

また、証人川越信清及び同宮城一男の各証言中には、蔵助沢が百沢スキー場を横断している同スキー場ゲレンデ部分下部の伐採された森林は、現存しているキャンプ場付近の斜面とほぼ同じ良好な広葉樹の林相であったもので、本件土石流発生時に右森林が存在していれば、本件災害時に百沢スキー場部分に堆積した量よりも遥かに多くの土石を堆積させることができ、本件土石流災害の拡大を防止できたものと考えられるから、右森林の伐採は本件土石流の拡大要因となっている旨の供述部分があり、科学者会議調査報告書(上)にも同旨の記載がある。

しかし、前記第四の二3において認定した如く、森林の持つ土石流抑止機能については定説がなく、ある程度以上の流速で流動している土石流は木を倒壊させて逆に被害を拡大させる場合があると指摘する説もあること、また、百沢スキー場ゲレンデ下部の伐採前の森林は、キャンプ場付近の良好な広葉樹林とは異なり、根系の浅い針葉樹林であり、伐採時はせいぜい稲掛棒位の太さしかない林相の良くない森林であったこと(第二の一4(二))、百沢スキー場付近における本件土石流は三基のコンクリート製砂防施設の袖部等を破壊したり、スキー場の鋼鉄製リフトの支柱を剪断するほどの強力なエネルギーを持っていたこと(第三の三及び四)などの諸事実に照らすと、右ゲレンデ部分下部の森林が本件土石流発生時に残っていたとしても、土石流抑止効果はさほど期待できないと考えられ、右ゲレンデ部分下部の森林の伐採が、本件土石流の拡大要因となったものと認めることはできない。

3  百沢スキー場と本件土石流との関係

また、原告らは、百沢スキー場との関係で、同スキー場の開設に伴う蔵助沢流域の森林伐採は、森林の持つ理水機能、侵食防止機能、崩壊防止ないし土石流抑止機能を低下させ、その結果、多量の降水が直接蔵助沢に流れ込むなどして本件土石流の拡大要因となった旨及び同スキー場整備のために行われた蔵助沢の埋立てやアップルロード残土によるゲレンデ平坦化工事は、蔵助沢の流水の円滑な流下を阻害し、埋立てやゲレンデ平坦化工事に用いられた土砂礫等が本件土石流の拡大要因となった旨の主張をしているので検討する。

(一) 森林伐採による東の谷からの洪水流量の増大の影響

証人川越信清及び同宮城一男の各証言中には、標高約三八〇メートル以上の百沢スキー場での降雨は殆ど東の谷を流下することから、本件土石流発生時には東の谷において洪水流が発生し、これが三号床固工下流で蔵助沢本流と合流することにより、本件土石流に大きな影響を与えた旨の供述部分があり、科学者会議調査報告書(上)にも同旨の記載がある。

確かに、前記第四の三2において認定したとおり、蔵助沢が百沢スキー場のゲレンデ部分を横断しているところにより上部の同スキー場ゲレンデ部分(無立木地帯)に降った雨は、地形的に見て大部分が東の谷に流入し、三号床固工下流で蔵助沢本流に合流するので、東の谷の洪水流量が本件土石流に与えた影響について検討することとする。

科学者会議調査報告書(上)に記載されている数値に従い、降雨強度を毎時一〇〇ミリメートル、東の谷の流域面積を約〇.二三平方キロメートルとし、百沢スキー場区域の森林伐採跡地(無立木地帯)の降雨水が全て表面流水となって東の谷を流れたものと仮定し、洪水流量を計算するために一般的に使用されている合理式を用いて東の谷の洪水流量の伐採による影響を最大限二〇パーセントとみて、その増加分を計算すると、その増加分は毎秒約一.二八立方メートルとなる。そして、更に東の谷の洪水流量のピークと蔵助沢本流の洪水流量のピークが重なったと仮定した場合、東の谷の洪水流量の増加分が県道(百沢地区)付近での最大洪水流量(毎秒三七.三立方メートルとする。)に占める割合は約三.四パーセントであり、土石流のフロントの規模(毎秒約四〇〇立方メートル)に占める割合では約〇.三二パーセントに過ぎないことが認められる。

また、県調査報告書によれば、森林伐採を伴うスキー場造成による洪水流量の増大分は、降雨強度を毎時四〇ミリメートル、流域面積を〇.三〇五平方キロメートル(スキー場裸地と伐採跡地の合計)、森林伐採による降雨流出率の増加を二〇パーセントとして合理式で計算すると、毎秒〇.六八立方メートルとなるとされている。

これらによれば、百沢スキー場区域の森林伐採跡地による洪水流量の増加は、最大限にみても、被災地付近の本件土石流の最大洪水流量のせいぜい四パーセント程度に過ぎないことになり、他に右洪水流量の増加が本件土石流に大きな影響を与えたことを認めるに足りる証拠もないことに照らすと、百沢スキー場のゲレンデ部分の森林伐採が本件土石流の拡大要因になったとは認められない。

なお、証人宮城一男の証言中には、百沢スキー場のゲレンデ部分の森林伐採による洪水流量の増加は本件土石流全体に対しては約四パーセントに過ぎないかもしれないが、伐採跡地部分に限定して見ると約四〇パーセントにも及び、本件土石流にも大きな影響を与えた旨の供述部分があるが、右部分は、同証人の専門外の領域で伝聞にわたるところも多く、俄かに措信することはできない。

(二) スキー場ゲレンデ部分の一部埋立て土砂の影響

科学者会議調査報告書(下)は、百沢スキー場のゲレンデ整備のために行われた蔵助沢の埋立ては無造作なものであり、本件土石流の流下時には、数百立方メートル(証人松山力の証言によると約六二五立方メートル)の埋立て土砂礫が洗掘された土砂礫をも加えて下流に運搬されたため、同スキー場下部の土石流を拡大させる要因となった旨の記載がある。

確かに、前記第二の二6(四)において認定した如く、昭和四六、四七年ころに、岩木町職員が行った百沢スキー場ゲレンデの一部埋立ては、砂防指定地であることを知らずに、しかもスキー場内に散在していた伐根、礫、土砂等をブルドーザーで集めて、流路を確保するなどの手当を講じることなく無造作に蔵助沢に投棄した違法かつ甚だ粗末な工事であったこと、本件土石流通過後、右埋立て部分の下部にかなり大きな深掘れが生じたことから見て、埋立て土砂礫のかなりの部分が本件土石流により押し流されたことの各事実が認められる。なお、県調査報告書は、右深掘れは主として、本件土石流が百沢スキー場に拡散、堆積し、あるいはその一部が流下した後の流水によるものと推定しているが、深掘れの状態(甲第三五号証の写真―1)、深掘れ部から下流の三号床固工に至るまでの谷底がきれいに洗掘されていて、あまり礫等が残っていなかったことなどに鑑みると、右深掘れのかなりの部分は本件土石流により生じたものというべきである。

しかし、蔵助沢に埋立てた土砂礫等の量は、前記第二の二6(四)(1)において認定したとおり約一六五.五立方メートルであり、これが本件土石流により全部流出し百沢地区まで流下して本件災害に関与したとしても、百沢地区付近を通過した土砂量約三万三四〇〇立方メートル(第三の三3)の中に占める割合は約〇.五パーセントに過ぎないことが認められる。

従って、スキー場ゲレンデ部分の一部を埋立てた土砂礫等が本件土石流に与えた影響は、その量を最大限に見ても、全体に占める割合は極めて僅かであり、他に埋立て土砂礫等が本件土石流に大きな影響を与えたことを示す証拠もないことに鑑みると、百沢スキー場下部の土石流の拡大要因になったものとは認められない。

(三) スキー場ゲレンデの平坦化作業に使用したアップルロード残土の影響

証人宮城一男の証言中には、百沢スキー場のゲレンデ平坦化作業に使用されたアップルロード残土は、本件土石流の流下に際し、かなりの量が流出し、土石流を構成する石の潤滑油的役割を果すなどして、土石流の流動機構に大きな影響を与えた疑いがある旨の供述部分があり、科学者会議調査報告書(下)にも同旨の記載がある。

しかし、本件土石流により流出したアップルロード残土の量は、災害二日後に中南土木事務所が行った実地測量結果によると約五四六立方メートルであることが認められ、これは百沢スキー場を通過して流下した土砂量約九八〇〇立方メートル(第三の三の3)の約五.六パーセントに過ぎないことが認められる。そして、土石流の流動機構は未だに十分に解明されておらず、右アップルロード残土が土石流の流動にどのような影響を与えたかは不明であり、少なくとも右アップルロード残土が本件土石流に大きな影響を与えたとする科学的根拠は乏しく、本件土石流の拡大要因になったものと認めることはできない。

また、前記第二の二6(五)において認定したとおり、右ゲレンデ平坦化作業に際し、アップルロード残土を蔵助沢の埋立てに使用した事実は認められない。

第五土石流の予知・予防に関する研究について

<証拠>を総合すれば次の各事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

一土石流研究の経緯

土石流現象は昔から存在し、山村の住民の間では「山津波」、「山シオ」、「蛇抜け」、「鉄砲水」等といわれて恐れられてきたが、昭和三〇年代までは、特に意識して本格的な研究はなされていなかった。昭和四〇年代に入ると、全国各地で大規模な土石流災害が発生するようになったことから、その対策の必要性が強く意識されるようになり、学問的にもその科学的な解明が急務な課題となったことから、土石流に関する研究が本格的に開始された。

しかし、土石流は、発生の起点が人目に触れぬ奥深い山間部であることや、いつ起きるか予測がつかないことなどから、土石流現象を実際に直接確認し観測することが極めて困難であった。そのため、昭和四〇年代の研究は、土石流発生後に発生場所の状況、土石の堆積状況等を現地調査し、その結果から上石流の形状、発生要因、土石流の流動形態等を探っていくという研究が中心であった。昭和四五年九月には、長野県上高地焼岳において、偶然、建設省職員が実際の土石流に遭遇し、これを八ミリフィルムに撮影することに成功し、実際の土石流の流動状態を認識できたことから、研究も進み、昭和四〇年代後半から昭和五〇年代始めにかけて、土石流について系統立った研究が行われるようになった。

昭和五〇年代に入ると、それまでに集められた土石流災害の資料等を統計的に解析し、土石流の発生要因を見い出し、その要因を基に土石流発生の予測を行う研究が次第に進められて行った。昭和五二年ころから昭和五四年ころにかけては、実験室内で類似的な土石流を作り、それによって得られた理論的な成果も発表されるようになった。こうして、昭和五〇年代中ごろには、土石流発生跡の現地調査や、現地観測、実験と理論的解釈によって土石流の発生・流動・堆積過程についてある程度の認識が得られるようになった。

しかし、実際の土石流は発生・流動・再移動という動きを複雑に繰り返しているなど、実験室内での単純な土石流とは異なることから、得られた理論的成果と異なる実際の土石流も多く、理論の検証も困難な状況にある。最近は、土石流の複雑性が認識されるに伴い、土石流研究も細分化・複雑化してきている。

以下、現在までの土石流研究の状況について、項目別に概観してみる。

二土石流研究の現状

1  土石流の発生・流動・堆積現象の解明について

(一) 土石流の発生機序について

土石流の発生形態には、前記第四の一2記載のように、①山腹崩壊土砂がそのまま土石流に発展する場合、②渓床の堆積土砂が移動した土石流に発展する場合、③天然ダムの欠壊による場合の三つが考えられている。そのうち①②の土石流の発生機序は、急斜面ないしは急勾配の渓流に堆積している堆積物の破壊現象であるといえ、これに関与する因子は、前記第四の一3記載のように、一般的には、①相当な勾配の傾斜、②渓床堆積物の量と質、③多量の水の供給と考えられ、この三つの因子相互間の関係について研究されてきている。

①の勾配については、昭和五〇年当時から、一五度以上の勾配の谷に土石流が発生することが定説であったが、日本の谷は一般に勾配が急であることから、殆どの谷がこの条件に該当する。

②の渓床堆積物の状態については、堆積土砂等の量や構成状態(土砂、礫等の組み合わさり方や分布状態、剪断強度等)について知る手法が現在も確立されていない状況にある。勾配や降雨の条件が同じ場合でも、一部の谷にのみ土石流が発生し、他の谷には土石流が発生しないのは、谷毎に、堆積物の石の絡み合い方や分布の仕方が異なるためと考えられる。従って、土石流の発生機序を解明するためには、谷の堆積物の構成状態を知ることが重要となってくるが、現在までのところ、ボーリング等で点的に地下の状態を調べることはできても、面的に調べる手法が開発されていないことから、この点についての正確な情報を得ることができない状況にある。

この点について、証人水野裕及び同木村春彦の各証言中には、現地調査により、谷の荒廃状況や、渓床堆積物の状態を観測でき、土石流発生の危険性を判断できる旨の供述部分があるが、両証人とも土石流研究の専門家ではないうえ、土石流研究の専門家である証人水山高久の証言に照らすと、地表面上の荒廃状態や堆積物の状態を観察しただけで渓床堆積物が土石流となって流下しそうな状況になっているかどうかを知ることはかなり困難とみるのが相当であると思われる。

③の多量の水の供給については、土石流の発生を支配する重要な要素であるところ、土石流発生の契機となる崩壊現象は地下で起きることから、地下水の集水過程を知ることが重要となるが、現在のところ、降雨水の土石流発生域までの集水過程を知る手法はなく、その情報は現在でも殆どないという状況である。従って、現在でも土石流発生の時期については、これを知ることはできない状況にある。

以上のことから、現在も、土石流発生に関与する因子のうち、②③の因子については十分な情報は得られておらず、土石流発生の機序に関しては未だに十分解明できない状態である。

(二) 土石流の流動形態について

土石流の最も著しい特徴は、先端部が縦の渦状に回転して、渓流を流下していく流動形態にあり、この流動形態を解明するためには、運動を開始した砂礫と水の混合物がその運動を継続して行くための濃度、砂礫と水の混合物の力学的性質について明らかにしなければならないが、これは実験的な検討を加える以外に有効な手段はないであろうといわれている。

しかし、実験による土石流の流動機構に関する研究については、昭和五二年ころ、ある程度の理論はできていたものの、実際の土石流は発生・流動・再移動という動きを複雑に繰り返しているため、実験室内で作り出した擬似的な土石流から導き出した理論で、実際の土石流をどの程度説明できるかについての検証が十分できない状況であった。

また、土石流の流動形態においてみられる特徴の一つである巨礫の表面及び先端部への集積現象(フロントの形成)についても、現在までに定性的な説明が幾つかなされているが、研究者により異なった説明がなされている状況であり統一的な見解はなく、定量的な裏付けを行うには更に検討が必要な状況である。

以上のとおり、発生した土石流の挙動を明らかにすることは土石流災害の発生防止のために重要なことであるが、現在までのところ、土石流の流動形態の特性を理論的に説明できる研究成果はまだ得られていない状況である。

(三) 土石流の堆積過程について

土石流災害は主としてその堆積域で生じるから、その堆積量、堆積範囲を知ることも重要であり、堆積過程は流下過程の延長線上にあり、流下過程での力学的挙動、砂礫の濃度変化に関する諸条件を明らかにすることでおのずから解明されるといわれている。しかし、前記第五の二1(二)記載のとおり、現在でも、土石流の流動特性を理論的に説明できる研究成果はないことから、流下した土石流がどの範囲に氾濫し堆積するかを予め知る方法はない状況にある。

また、土石流氾濫区域を予測し、土石流危険区域を設定しようとする試みも行われているが、この場合は、過去の事例を基にするしかないという点に大きな制約があり、また、土石流が同一場所で何度も発生することが希であるため、この方法による研究成果の検証ができない状況にある。結局、土石流危険区域に関する研究はまだその緒についたばかりで、理論的な裏付けをもって氾濫区域を予測するという段階には至っていない。

(四) 以上、土石流の発生・流動・堆積現象についての研究成果を概観したが、土石流の科学的分析については、現在でも、ある程度系統立った道筋はおぼろげながら見いだされてきたものの、個々には未知な点が多く含まれていると評価せざるを得ない状況にあるといえよう。

2  土石流発生の予知について

土石流発生の予知には、発生場所、時間、その規模の予測が必要である。

(一) 土石流の発生場所の予測については、これまで、土石流の発生実態を統計的に処理し、関係の深い要因を見出し、その要因をもとに予測を行うという方式が各地で試行されてきたが、この方式はある地域での、ある災害についての実験式を作っており、その地域性が強く反映されているため、過去のある地域の災害について解析整理することには有用であっても、普遍的な予測基準にはそのまま転用し難いといわれている。

土石流の発生機構からみたより直接的な要因は、土石流発生限界勾配、そこでの渓床堆積物の量、後背山地からの崩壊土量、それらを流送すべき水量に絞られるが、この要因についての情報が直接的に得られる調査法が現在までのところ確立されていないことから、土石流の発生機構の要因から発生場所を実用的な確率をもって予測するのは難しい状況にある。

(二) 土石流被害域の予測(土石流の規模の予測)については、流出土砂量の推定が重要であるが、前記第五の二1(三)における認定の如く、この面での研究には殆どみるべきものがない状況である。即ち、実測資料が乏しく、実際に生じる現象の裏付けがとりにくいからである。

(三) 土石流の発生時期の予測は主としてその降雨条件の検討によるべきであるといわれている。

昭和四九年ころに、降雨強度比から土石流発生時期を予測し避難基準を見い出す研究が発表された(乙第七七号証の一ないし三)が、降雨強度比は、土石流を発生させる降雨の性質を示す一つの資料とはなるものの、降雨の最中に降雨強度が変わる変曲点を予め知ることができないことから、現在でも、土石流発生時期を予測し住民を避難させるための基準としては採用されていない状況である。

(四) 以上のことから、土石流の予知については、現在においても、土石流現象自体について、まだ解明すべき点が残され、また発生した土石流についての実地調査の解析についても、十分検証されていない仮説を含み、その調査事例も限られているため、予測しようとする地域にこれを適用しようとする場合、数量は基準を示し得る段階に達していないなど種々の問題が残されており、今後も、理論的、実験的研究あるいは現場調査等の層の厚い研究の蓄積が必要であると認めざるを得ない。

3  土石流対策の研究について

土石流の被害を防ぎ、軽減しようとする土石流対策には、土石流発生の虞れのある危険地での居住等の回避、または、発生予知に基づく避難という、いわゆる警戒避難の処置の外に、土石流発生の虞れのある渓流に構造物を設けて、土石流の発生を防止する方法と、発生した土石流を無害処理する方法の二つが考えられ、それぞれ具体化する手段が研究されている。

(一) 土石流の発生防止について

土石流の発生そのものを防止しようとすれば、土石流が発生する場所を特定し、その発生機構が明らかにならなければならないが、前記第五の二1記載のとおり、土石流の発生、機構についての定性的整理はある程度進んだものの、山腹や渓床堆積物の状態(石や土の絡み合いや大きな石の分布状態等)、崩壊現象を引き起こす地下水の集水過程等を知る手段がないことから、土石流発生の契機となる山腹崩壊現象が生じる場所とそこにおける機構を完全に知る段階に至っていない状況にある。この状況は現在でも殆ど変わっておらず、結局、土石流の発生そのものを防止する手法は現在でも開発されておらず、その発生そのものを防止することは不可能な状態である。

(二) 土石流の阻止あるいは無害処理について

土石流の阻止あるいは無害処理の手段としては、①土石流の流動阻止、②土石流の導流、③土石流材料の分別減勢の三つが考えられている。そして、土石流に有効適切に対抗し得る工法を開発するためには、土石流の発生、流下、停止に至る流動機構、特にその力学的構造が明らかにされなければならないが、前記第五の二1記載のとおり、土石流の流動機構には不明な点が多く十分に解明されていない状況にあることから、その対策工法も発展していない。

即ち、発生した土石流の流下を工作物によって阻止する方法を検討する際には、まず流動する土石流がどの程度の破壊力を持つか、つまり土石流対策工法としての構造物を考えた場合の設計荷重の算定のために、衝撃力算定の前提となる物体量、流速を知ることが必要となるが、現在までその方法は確立されておらず、実験的に幾つか測定した例があるに過ぎない状況である。また、土石流材料の分別減勢の方法についても、目の粗い鋼製ネットや柵状構造物を用いて土石流先端の大転石のみを阻止しようとの試みがなされているが、実験的な試みに止まっている。

(三) 結局、現在までのところ、土石流そのものの発生を防止する手法も、発生した土石流に有効適切に対処する手法も開発されていない状況にあると評せざるを得ない。

三本件土石流発生当時の土石流研究の状況

以上のとおり、土石流研究の歴史は浅いものであり、現在においては、土石流の発生・流動・堆積過程についてある程度の知識が得られるようになったものの、まだ解明すべき問題点が多々ある状態であり、土石流の発生場所、時期、規模等を予知することは非常に困難であり、また、土石流に有効適切に対処する工法も十分開発されていない状況にあることが認められる。従って、土石流研究の初期の終わりの段階のころである本件土石流発生当時(昭和五〇年)は、土石流の発生・流動・堆積過程についての知識もまだ不十分であり(土石流発生機構に関する因子のうち、勾配の点がようやく判明していた程度)、土石流の発生場所、時期、規模等を科学的に予知あるいは阻止することは殆ど不可能な状態であったことが認められる。

第六行政の土石流対策について

請求原因4(五)(1)の事実、同4(五)(2)の事実、同4(五)(3)のうち、昭和四一年九月二五日に西湖災害が発生し、右災害を契機として、被告国も土石流災害防止のための具体的対策を講じるに至ったこと及び同4(五)(4)のうち、昭和四一年一一月から昭和四二年一月末にかけて行われた全国土石流発生危険区域調査により、全国で一万五六四五渓流が土石流発生危険区域として摘示され、防災対策事業として、大きな被害の予想される地域に、差し当たりダムを一基ずつ整備していくこととしたことは、いずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、<証拠>を総合すると次の各事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

一我国における土砂災害対策の歴史

日本列島は、その幅が広いところでも三〇〇キロメートル程度にしか過ぎず、しかも、二〇〇〇メートルから三〇〇〇メートルにおよぶ山脈がその脊梁を縦走しているため、河川は一般に急勾配で流路が短く、また、多くの火山脈が走り、地質的に風化し易い火成岩地帯が多く、これらの地帯では崩壊や浸食が進んでいる。更に、気候的に見ると日本列島は、アジア大陸と太平洋の境に位置しているため、大陸性の気流と海洋性の気流が交じり、低気圧の経路となっているため、降雨には恵まれているが、反面集中豪雨が起こり易いという特性を有している。これらの地形的特性と気象的特性が相まって、我国は降雨による山崩れや洪水が起き易く、このため、水害や土砂災害対策が古くから行われていた。

我国の土砂害対策の歴史的経過を要約すると、藩政時代は農業を対象としたものが、明治時代以降は大河川の治水のためのものとなり、更に中小河川をも対象とした土砂害対策に拡大され、そして、第二次大戦後は、これらに加えて保全対象物をきめ細かく局所的なものにまで発展させてきたといえる。また、災害を及ぼす土砂の量から見ると、大量の土砂量もさることながら、少量の有害土砂も対策の対象となり、更には緩速度で移行する土砂害に加え、人命尊重と財産保全の要請に応え、急激に落下する移動土砂に対しても対策が講じられるようになってきた。

二国の土石流対策開始の契機

土石流は現象としては昔からあったが、土石流が災害として社会的に注目を集め、その対策が叫ばれるようになったのは、比較的最近のことであり、特に、砂防事業において土石流災害の対策を講ずるようになったのは昭和四〇年代になってからである。

昭和四一年九月二五日未明、山梨県の西湖周辺で発生した土石流は、山麓の扇状地にあった足和田村西湖、根場両地区を直撃し、その人家の殆どを流出させる潰滅的災害を与えるなど、死者、行方不明者九四名にも及ぶ大災害をもたらした。この災害を契機に、土石流災害が大きな社会問題化し、土石流対策の社会的要請が次第に高まってきたことから、国(建設省)において、土石流対策を砂防行政の中に取り入れて行くことにし、まず全国に土石流発生危険区域がどのくらいあるのかを知るために全国調査を行うことにした。

また、右西湖災害は、従来土石流等の発生が予想されなかった渓流で多数の人命を失う大災害であったことから、同年一〇月一五日付で、国は建設省河川局長名で各都道府県知事宛に「山津波等に対する警戒体制の確立について」と題する通達(乙第一九七号証)を出して、各都道府県に対し、山津波等の災害から人命の安全を図るために、「(1)地形上、地質上、山津波等が発生するおそれのある箇所について、可及的すみやかに調査を行い、当該箇所について附近住民に十分周知徹底を図ること。(2)山津波等の発生は、そのほとんどが異常豪雨によるものであるので、危険地帯の降雨状況をすみやかに把握する措置を講じ、事前に危険の切迫を察知するようにすること。(3)危険箇所については、あらかじめ防災計画等において当該箇所に係る集落ごとに、観測、警報伝達、避難場所等を定め、緊急時に際し適切な避難措置がとられるようにすること。(4)観測の実施、警報の伝達、避難の誘導等については、水防団又は消防団との連絡を密にし、あらかじめその体制の整備を図ること。」などを指示し、これにより、各都道府県に対して、従来安全と思われていた箇所についても災害が発生する危険があるので、危険箇所を調査し、警戒避難体制を整備する必要がある旨の注意喚起を促した。

三昭和四一年の土石流発生危険区域の全国調査について

1  調査の目的

土石流発生危険区域の全国調査は、昭和四一年一一月ころから昭和四二年一月末ころまで行われ(四一年調査)、その調査の目的は、過去に発生した豪雨による土石流や崩壊等の調査結果に基づき、地形、地質等類似の自然的条件下にある渓流を選び出し、仮に土石流が発生した場合の被害人家等の保全対象の多寡を明らかにして、これにより土石流対策を講ずべき区域を把握することにあった。即ち、人家等の保全対象の多い地区をできるだけ速やかに抽出し、これらの地区に仮に土石流が発生した場合、その被害を少しでも回避すべく、早期に砂防対策を施そうとするものであった。

2  調査の内容

(一) 昭和四一年一〇月二四日、建設省は、各都道府県の砂防担当者を東京の砂防会館に集め、土石流発生危険区域調査についての説明会を開催した。

(二) 右説明会の際に配布された調査要領(乙第三七号証)によると、目的、調査対象地、調査事項は、次のようであった。

「1 目的

最近における災害の一つの特徴として一見安定した河状、林相を呈している地域に異常豪雨による土石流が発生し、人家、集落が潰滅的被害を受け幾多の貴重な人命が失われる事例が多い。このような事態に対処するためには先ず人命の保護ということが大切であり、このために土石流発生のおそれのある地域について対策を樹立するために本調査を行うものである。

2  調査対象地

現在は荒廃していないが土石流発生のおそれのある渓流のうち土石流が発生した場合直接に被害をこうむる集落の存する渓流を対象とする。

3  調査事項

(ⅰ)地形について

集水区域、流路延長、最高標高、最低標高、起伏量比、山腹傾斜角、崖錐の有無、河道堆積の状況、扇状地の有無

(ⅱ)地質について

基岩の種類、風化状況、節理、断層、破砕帯の有無

(ⅲ)土壌について

土壌の種類、深さ

(ⅳ)保全対象区域の現況について

土石流により直接被害を受ける人家、公共施設等の種類及び数

(ⅴ)その他

植生、湧水の有無

3  調査の実際

右の調査要領によると、調査対象地とされたのは、一見安定した河状、林相を呈している地域で現在は荒廃していない渓流であったが、当時は土石流についての学問的知見が殆どなく、客観的判断基準が示されていなかったことから、実際に調査を行った各都道府県の調査担当者は、建設省の担当者に問い合わせるなどして、これまで調査をされることがなかった流域面積が小さい渓流で、下流に人家のある渓流を選び出して調査対象地とするなどしていた。

4  調査の結果

右調査の結果は、昭和四二年二月ころに各都道府県から建設省に送られ、同年五月ころまでに集計され、土石流発生危険区域として全国で一万五六四五か所が把握された。

そして、右集計に際しては、調査で把握された土石流発生危険区域について、主として土石流対策施設を整備して行くうえでの優先順位を決める目的で、形式分類が行われた。この分類作業は、調査対象地の渓流状況、地形、地質、植生等の素因的な事項に着目したものと調査対象地における人家戸数の数に着目したものの二種類の分類を組み合わせたものであった。

素因的な分類の基準は、渓床に堆積土砂が極めて多いもの、地質的にみた山地の状況が崩壊を起こし易く、かつ、その地形が急峻なものを甲型、渓床に堆積土砂が比較的多いもの、地質的にみた山地の状況が崩壊を起こし易いが、その地形が比較的緩やかなものを乙型、渓床に堆積土砂が比較的少ないもの、地質的にみた山地の状況は比較的崩壊を起こしにくく、かつ、その地形が比較的緩やかなものを丙型としていた。

人家戸数による分類の基準は、保全対象人家戸数が五〜九戸ある区域を①型、一〇〜二九戸ある区域を②型、三〇〜四九戸ある区域を③型、五〇戸以上ある区域を④型としていた。

分類の結果は、甲型が九二三八か所(約五九パーセント)、乙型が六一三五か所(約三九パーセント)、丙型が二七二か所(約二パーセント)であり、保全対象人家戸数別によれば、①型が四〇三〇か所(約二六パーセント)、②型が七四〇〇か所(約四七パーセント)、③型が二二四四か所(約一四パーセント)、④型が一九七一か所(約一三パーセント)であった。

四四一年調査の結果に基づく国の行政指導

国は、前記四一年調査の結果を整理し、その取り扱いを検討した結果、昭和四二年五月初旬ころ、東京で各都道府県の砂防事業についての審査が行われた際、各都道府県の砂防担当者に「土石流発生危険区域調査の成果及び対策について」と題する文書(乙第四〇号証)を配布し、これにより四一年調査の結果及び土石流発生危険区域の型式分類結果を知らせるとともに、今後の対策として、右調査成果に基づき、各都道府県に対して、①各危険区域の地域的特性等を勘案して土石流の危険降雨量を決定すること、②簡易雨量観測器の設置等を促進すること、③緊急時における警報避難体制の確立を図ることの三点を行政指導することとし、また、事業の実施については、土石流発生の危険順位としての甲乙丙の分類及び経済効果を勘案して、順次砂防施設の整備を図るものとした。

そして、昭和四二年五月一五日付で、建設省河川局砂防部長は各都道府県土木部長宛に「土石流発生危険区域調査の成果および対策について」と題する通達(乙第六九号証の三)を発し、各都道府県においては土石流発生危険区域における防災措置を地域防災計画の一環として策定するよう準備するとともに、管内の地域的特性等を勘案して危険区域ごとの危険雨量をすみやかに設定し、危険区域にかかる集落ごとに簡易雨量観測器の設置等を促進し、関係機関等との緊密な連絡のもとに緊急時における警戒避難体制の確立をはかるよう十分に配慮されたい旨の行政指導を行った。

更に、同年同月二七日付で、建設省河川局砂防部長は各都道府県土木部長宛に「土石流発生危険区域に対する警戒体制の確立について」と題する通達(乙第六九号証の三)を発し、土石流発生危険区域における警報、避難等の警戒体制の確立に万全を期するために、建設省が防衛庁、消防庁、警察庁、気象庁、中央防災会議事務局等関係機関と協議を行った際の申し合わせ事項(①関係行政機関は、中央及び地方の連絡を十分に行い、警戒体制の確立等の措置を講ずる、②関係行政機関は、その下部機関に対し、直ちに、所要措置につき周知徹底をはかる、③下部機関は、都道府県と十分に連絡を行う、④地域防災計画の一環として警戒体制の確立をはかるべく、関係行政機関は、相互に連絡を密にする)を通知するとともに、今後、管内における関係行政機関等と連絡を密にして、相互に資料の交換、情報の収集等を行うほか、緊急時における警戒体制の整備につき格段の配慮をする旨の依頼をした。

なお、前記土石流発生危険区域の型式分類結果については、その当時、土石流の発生流動機序についての知見が殆どなかったことから、右分類結果が土石流発生の危険度と誤解されるおそれがあったため、いわゆる事項として外部に対しては公表されず、行政機関の内部の説明、検討資料として扱われるに止まった。

五国の土石流対策計画

前記西湖災害を契機として、国としても、緊急に土石流対策を講じる必要性に迫られたことから、従来の治水砂防事業に土石流対策を盛り込むこととし、昭和四一年一二月二一日付の建設省河川局作成の「治水長期計画作成基準」のなかに、砂防計画として、新たに土石流対策砂防を計画し、その内容は当該渓流の長期計画のうち、土石流が発生した場合、直接被害を被る集落、公共建物等を保全するため、谷の出口等に緊急に施行を必要とするダムとし、右土石流対策のためのダムは、最近の災害の実態から勘案して、被害を防止し得るような大規模のものとする旨を定めた。

更に、右四一年調査の結果により、全国で一万五六四五か所の土石流発生危険区域が把握されたことから、右区域に土石流の助長を抑制するため、短期的措置として、原則として各区域に一基の砂防ダムを築造することとし、その築造順序は、人家、公共施設等の保全対象数及び自然的条件を総合的に勘案して決定することとし、また、築造する砂防ダムは、従来の砂防ダムを参考にして、当該渓流の地形、地質及び経済効果等を総合的に勘案し、経験上最も有効と考えられる位置と規模を定めることとされ、概ね谷の出口付近に高さ約一〇メートル程度の高堰堤を築造することとされた。

そして、右の方針に基づき、昭和四三年度を初年度とする砂防事業五箇年計画に土石流対策として施行される砂防事業が盛り込まれることになり、前記四一年調査の型式分類結果において、人家戸数が五〇戸以上の区域(④型)の甲型及び乙型、並びに、人家戸数が三〇戸以上の区域(③型)の甲型及び人家戸数が一〇〜二九戸の区域(②型)のうち三〇戸に近い区域の甲型については、右五箇年計画に組み入れることとした。

六青森県の土石流対策

1  青森県の砂防の沿革について

青森県における砂防事業は、昭和五〇年以前は、河川砂防課の所管で、予算規模も小さく河川事業の中で細々と行われてきた。昭和五〇年四月に、青森県も組織を強化して土砂災害対策に本格的に取り組むために河川砂防課から砂防課を独立させた。

また、青森県の砂防事業の中に土石流対策が取り込まれるようになったのは、昭和四一年の土石流発生危険区域調査が端緒となっている。

2  四一年調査について

昭和四一年一〇月二四日、建設省が東京の砂防会館で行った土石流発生危険区域調査の説明会に青森県の砂防担当者も出席した。そして、青森県の砂防担当者は、同年一一月ころから昭和四二年一、二月ころまで、右説明会で配布された調査要領に基づき同県内の土石流発生危険区域を調査した。当時、調査を担当した青森県職員は、同県内での発生事例がなく土石流についての知見が殆どなかったことから、調査を進めるに当たって不明な点は、建設省の担当者に電話等で問い合わせるなどして、その指示を受けながら実施した。また、調査期間が約三か月と短期間であったうえ、積雪期であったため、現地調査は行えず、地形図と調査担当者の記憶による机上の作業が中心であった。

右調査の結果、青森県内において一〇五か所の土石流発生危険区域が抽出され、同年一、二月ころ建設省に右調査結果を文書で報告した。その後、建設省から追加調査を指示され、また、土石流発生危険区域の型式分類基準も配布され、同年四月ころまでに、追加調査を実施し、また、型式分類作業を行い、合計一一四か所を土石流発生危険区域として建設省に報告した。

国は、前記第六の三4における認定のとおり、各都道府県からの調査報告を同年五月ころまでに整理分類した結果、青森県においては、その当時一〇五か所の土石流発生危険区域が把握され、型式分類によると、素因的分類の甲型が二六か所、乙型が七七か所、丙型が二か所、保全対象人家戸数による分類の①型が二か所、②型が五四か所、③型が二五か所、④型が二四か所であった。この土石流発生危険区域調査の成果は、同年五月初旬に東京で砂防事業の審査が行われた際、文書で青森県の砂防担当者に知らされた。しかし、青森県職員は、右調査結果及び型式分類結果が、前記第六の四における認定の趣旨の、いわゆる扱とされたことから、これを誤って理解し、これらを住民のみならず、県内の各市町村にも知らせることをしなかった。

なお、蔵助沢は、右調査の結果、渓床堆積土砂が極めて多く、地質的に見て山地の状況が崩壊を起こし易く、かつ、その地形が急峻な甲型で、保全対象人家戸数が五〇戸以上ある④型に分類された。

3  国の行政指導について

昭和四二年五月一五日付で、建設省河川局砂防部長は各都道府県土木部長宛に「土石流発生危険区域調査の成果および対策について」と題する通達を出し、各危険区域の地域的特性等を勘案して土石流の危険雨量を決定すること、簡易雨量観測器の設置等を促進すること、緊急時における警報避難体制の確立を図ることの三点について行政指導を行った。そこで、青森県も右行政指導に従い対策を講じることとした。

土石流の危険雨量の設定について、青森県は、過去の津軽地方の水害の際の降雨量や他県の危険雨量を参考にしながら、昭和四二年に土石流予知については殆ど意味のない全県一律の基準を設定した。その内容は、連続雨量が一五〇ミリメートルを超え、時間雨量が四〇ミリメートルを超えたときに注意報を発令し、連続雨量が二〇〇ミリメートルを超え、時間雨量が五〇ミリメートルを超えたときに警報を発令するというものである。

簡易雨量観測器の設置については、約五〇個の簡易雨量観測器を製造し、雨量観測施設のない箇所を対象に設置することとし、各市町村に右簡易雨量観測器の設置を指導した。しかし、土石流の危険性についての緊迫感が殆どなかったことから、約半数が設置されたに止まり、設置された観測器による観測も約半年位しか続かなかった。

4  土石流対策施設について

国は、前記第六の五における認定のとおり、昭和四三年度からの砂防事業五箇年計画に土石流対策の砂防事業を盛り込むこととした。そこで、青森県も国の方針に従い、昭和四三年に、土石流対策事業五箇年計画書(乙第四二号証)を作成して国(建設省)に提出し、昭和四四年度から実際に土石流対策事業を開始した。

蔵助沢は、右四一年調査の結果、甲型で保全対象人家戸数五〇戸以上の④型の土石流発生危険区域に分類されたことから、青森県は、昭和四四年度に、蔵助沢流域に最初の土石流対策事業として堰堤を築造することとし、谷の出口付近で、岩盤が露出し基礎がしっかりしている標高約四三五メートルの地点に、本体の高さ約一一メートルの二号堰堤を築造した。

なお、土石流対策の砂防ダムが一基築造されたため、蔵助沢は土石流対策施設が既設されている区域として、次年度以降の土石流対策事業から除外された。

5  地域防災計画について

前記第六の四認定のとおり、国は、四一年調査の結果に基づき、昭和四二年五月一五日付通達で、各都道府県に対して、土石流発生危険区域における防災措置を地域防災計画の一環として策定する旨の行政指導をした。これを受け、青森県は、青森県地域防災計画書の中の災害予防計画の部で、「地すべり、山崩れ(急傾斜)山津波(土石流)災害予防」という一節を設け、山津波(土石流)対策としては、対策事業の推進と警戒体制の確立を図る旨を定めていた。しかし、当時、土石流の発生・流動・堆積過程の機序が十分に解明されていないことから、警戒措置を具体的に定める手法も確立し得ず、また、青森県内で土石流の発生した事例がなかったため緊迫感が薄く、結局、本件災害時においても、具体的な警戒避難体制は確立していなかった。

七岩木町の土石流対策

前記第六の六2認定のとおり、四一年調査の結果については、国の意図に反し、結局、青森県から岩木町に伝えられなかった。本件災害前に、蔵助沢が土石流発生危険区域に指定されていること、蔵助沢流域が砂防指定地に指定されていることなどについて、岩木町が独自に知っていたことを認めるに足りる証拠もない。従って、本件災害時までに、岩木町が、青森県と特に土石流災害対策について話し合った事実もなく、岩木町地域防災計画書の中にも土石流対策についての記載はなかった。

結局、本件災害時ころ、岩木町は土石流対策のための特別な措置は講じておらず、広報等により台風や火災に対する警戒を住民に呼びかけていたに過ぎなかった。

第七被告らの責任について

以上、第二ないし第六において認定した各事実を前提にして、本件災害に対する被告らの法的責任について検討する。

一被告国の責任について

1  砂防に関する行政上の指導監督義務違反について

原告らは、被告国は、砂防指定地に関して砂防事業が円滑かつ適切に行われるように都道府県知事を指導監督し、場合によっては自ら砂防事業を実施する権限を有しかつ義務があるところ、蔵助沢が砂防指定地と指定され、更に、四一年調査により土石流発生危険区域と指摘されたことから土石流発生の危険性を予見していたのであり、被告青森県をして又は自ら蔵助沢の状況をきめ細かに調査監視し、土石流に対処するために十分な砂防施設を設置し適切に維持管理をなすべき義務があるのにこれを怠り、その結果、本件災害を発生させたものであり、その不作為は、公務員(建設大臣)の故意又は過失に基づく違法な権限の不行使であり、被告国は国家賠償法一条一項により損害賠償責任を負う旨の主張をするので検討する。

(一) 国の権限

砂防法は、被告国(主務大臣=建設大臣)が、砂防設備を要する土地又は治水上砂防のため一定の行為を禁止若しくは制限すべき土地(砂防指定地)を指定するものとし(砂防法二条)、砂防指定地については地方公共団体及び被告国(建設大臣)に対し治水上砂防のため一定の行為を禁止若しくは制限することができる権限を与えている(同法四条)。そして、砂防指定地を監視し、その管内における砂防設備を管理し、砂防工事を施行し、その維持をなす義務を地方公共団体に負わせている(同法五条)が、砂防設備の利害関係が一地方公共団体に止まらないとき、砂防工事が至難であるとき又は砂防工事の工費が著しく高額であるときは、直接被告国(建設大臣)が砂防設備を管理し、砂防工事を施行し、その維持をなすことができるものとしている(同法六条)。また、被告国(建設大臣)は砂防に関する行政を監督し(同法三二条)、地方公共団体に命じて砂防工事を施行させ又は砂防法に規定した地方公共団体の職権を施行させることができる(同法三四条)ものとされている。

これらの規定によれば、被告国(建設大臣)は、砂防指定地に関して、砂防事業が円滑かつ適切に行われるように地方公共団体を指導監督し、一定の場合には自ら砂防事業を実施する権限を有していることが認められる。しかし、同時に、砂防法は、右権限の行使を被告国(建設大臣)に義務付ける規定をおいていないことから、右権限を行使するかどうかは、被告国(建設大臣)の裁量に属しているものと解せざるを得ない。

(二) 権限不行使の違法性の要件

前記のとおり、被告国(建設大臣)が、砂防指定地に関して、地方公共団体の砂防事業を指導監督し、また、自ら砂防事業を実施する権限を行使するかどうかは、被告国(建設大臣)の自由裁量に委ねられているのであるが、その立法目的は、治水砂防事業が時、場所、工法、予算等広範な要素を総合する専門的行為であることから、一義的な義務付けを避け、被告国(建設大臣)に裁量権を与え、適切な行政措置を期待することが合理的であるという点にあり、もとより、その恣意、怠慢を許すものでないことは勿論である。従って、以下のような要件を考慮し、被告国(建設大臣)に一定の作為を義務付けることが合理的と考えられる場合に、なお右義務を懈怠し、損害を発生させたときには、公務員が職務を行うにつき違法な損害を加えた場合として、国家賠償法一条一項による責任を免れないというべきである。そして、その要件としては、大別して、①国民の重大な法益、殊に生命・身体に対する具体的危険が切迫しており、被告国(建設大臣)が右具体的危険を予見しているか、容易に予見し得る状況にあり(具体的危険の存在と予見可能性)、②被告国(建設大臣)が権限を行使することが可能で、かつ、権限の行使によって結果発生を防止でき(権限行使の可能性と結果回避の可能性)、③国民が権限の行使を期待するのが相当と思われる事情があるとき(期待相当性)の三要件が考えられ、右要件を充足する事実が認められるときには、被告国(建設大臣)に、その権限の行使が義務付けられるものというべきであり、この義務に違反し権限を行使しない場合は違法となるものと解するのが相当である。

ところで、本件の場合、第二の三において認定したとおり、被告国(建設大臣)は、昭和四一年六月に蔵助沢流域のうち標高二七五メートル付近より上流の区域を砂防指定地に指定した後、被告青森県が昭和四一年九月に標高三五三メートル付近に一般砂防施設である一号床固工を、昭和四四年一一月に土石流対策砂防施設である二号堰堤を、昭和四五年二月に一般砂防施設である三号床固工をそれぞれ設置した以外は、被告青森県をして又は自ら蔵助沢のある渓床や右各砂防施設について土石流対策のための特別な調査監視活動をしたり、新たな砂防施設を設置したりせず放置していたことが認められる。

そこで、被告国(建設大臣)の右のような不作為が違法となるかどうかは、被告国(建設大臣)において、蔵助沢に本件のような土石流が発生し、蔵助沢流域住民の生命・身体に対する具体的危険が切迫していたことを予見していたか、又は、容易に予見し得る状況にあったかどうかにかかることになるので、この点について検討することとする。

(三) 土石流発生の具体的危険性に対する予見可能性

原告らは、蔵助沢流域のうち標高二七五メートル付近より上流の区域は砂防指定地に指定されていること、及び、四一年調査により蔵助沢が最も危険性の高い甲型の土石流発生危険区域と指摘されたことから、被告国は、蔵助沢流域が土石流発生の危険にさらされていたことを十分認識しかつ予見していたはずであると主張する。

確かに、前記第二の三において認定したとおり、昭和四一年六月に蔵助沢流域の標高二七五メートル付近から上流の区域が砂防指定地に指定されたことが認められるが、砂防指定地とは、前記第二の三1において認定したとおり、水源山地における土砂生産の抑制と流送土砂の貯留及び調節によって下流の河川における河道埋そく、河床上昇等土砂による災害を防止軽減し、流水を安全に流下させるという治水上砂防の目的のため、予防的目的で砂防施設を設置し、又は、土砂の生産流下を促す砂防上有害な一定の行為を禁止もしくは制限すべき区域を指し、蔵助沢が砂防指定地に指定されたことをもって、直ちに、被告国(建設大臣)が土石流の具体的危険が切迫していたことを予見し、又は、容易に予見し得たと認めることは到底できない。

また、右四一年調査は、前記第六の三において認定したとおり、その調査期間も約三か月と極めて短かったうえ、調査事項についての客観的な判断基準も殆どなく、青森県においては十分な現地調査も行わず主として地図等による机上の作業で行われたことから、仮に土石流が発生した場合の人的被害の大きさを知る資料としては有益であったが、土石流発生の具体的危険性に関する調査結果としては、科学的信頼性に乏しかったものであると認めざるを得ない。

更に、本件災害時である昭和五〇年ころの土石流研究の状況は、前記第五において認定したとおり、土石流発生機序に関する主要三因子のうち、勾配の点については概ね判明していたものの、渓床堆積物の状態については、堆積土砂等の量や堆積物の構成状態について知る手法が確立されておらず(現在も殆ど同じ状況である。)、最も重要な要因である水の供給についても、降雨水の土石流発生域までの集水過程を知る手法がなかった(この点についても、現在も殆ど同じ状態である。)ことから、土石流発生時期について直接的な議論ができない状況にあったこと、土石流の流動形態については、昭和四五年九月に長野県上高地焼岳において実際の土石流を八ミリフィルムに撮影することに成功し、これによりようやく土石流の流動状態を確認することができた程度であり、流動形態についての理論的成果はまだ得られていない状況であったこと(実験による理論的成果が発表されるようになったのは、昭和五二年以降である。)、土石流の堆積過程についても、土石流の流動特性が理論的に解明されていなかったことから不明であったこと(現在も、殆ど同じ状況である。)、土石流の前兆現象として、科学的あるいは経験的に明確なものは何一つ指摘されていなかったこと、従って、土石流の発生場所、時期、規模等を具体的に予知することは殆ど不可能な研究段階であった(現在でも、これらを予知することは非常に困難な状況である。)のである。

なるほど原告らの指摘するとおり、一般に、ある災害の発生機序が科学的に十分解明されず、その予知予見が定量的な形では不可能な場合でも、被告国としては、人命に対する損害を避けるために、そのとき判明している科学の最高水準に依拠し、災害発生の定性的な要素に、科学的ないし経験的に定着した明確な前兆前駆現象が加わっていることを認識し、または、容易に認識し得た場合には、災害発生防止のために適切な手段をとる義務が発生すると解すべきであるが、本件土石流に関しては、前記のように、定性的要素の解明も不十分で、前兆と目すべき明確な現象も判明していなかったのであるから、原告らの右主張は、本件には適切でないというべきである。

以上のとおり、砂防指定地の性格、四一年調査の内容、本件土石流発生当時の土石流研究の状況等に鑑みると、本件災害時の昭和五〇年当時、被告国(建設大臣)は、四一年調査により、蔵助沢が、仮に土石流が発生した場合は多くの人命の損失を伴う災害が発生する一般的危険性のある区域の一つであることを認識していたものの、蔵助沢において、本件のような土石流が発生する具体的危険の切迫を予見していたか、容易に予見し得る状況にあったものと認めるには足りないというべきである。

(四)  従って、被告国(建設大臣)は、本件土石流発生前に、被告青森県をして又は自ら、蔵助沢について、土石流発生の危険性についての調査監視をし、更に、土石流対策のための砂防施設を設置するなどの作為義務があったものとは認められず、右義務違反があることを前提として被告国に責任があるとする原告らの主張は、その余の点について判断するまでもなく、採用できない。

2  蔵助沢周辺保安林の管理義務違反について

原告らは、被告国(農林水産大臣―昭和五三年に呼称が変更されたため、本件当時は、農林大臣。以下、同じ。)は、保安林に関し広範かつ絶対的な権限を有しているところ、百沢スキー場設置に際し土砂の流出防備、水源のかん養という公益上の理由が消滅しておらず、かつ、国土保全以上の公益上の理由がないにも拘らず、蔵助沢周辺の土石流出防備保安林及び水源かん養保安林の一部について違法に保安林指定を解除し、更に、森林の伐採により森林の理水機能、山地荒廃防止機能、土石流抑止機能が低下するのを十分に認識していながら、右保安林解除地域の立木を伐採することを許可し、その結果、本件土石流の発生、拡大を容易にし、本件災害を防止できなかったものであり、これは、保安林に関する管理義務に違反し、公務員の職務上の過失に基づく違法な権限の行使であり、被告国(農林水産大臣)は国家賠償法一条一項により損害賠償責任を負う旨の主張をし、また、右保安林は公の営造物として被告国の管理のもとにおかれていることから、被告国が違法に保安林の指定を解除し立木の伐採を許可したのは、保安林の管理に重大な瑕疵があったものであり、被告国は、国家賠償法二条一項により損害賠償責任を負う旨の主張をするので順次検討する。

(一) 国家賠償法一条一項に基づく損害賠償責任について

(1) 国の権限

森林法によれば、農林水産大臣は、水源のかん養、土砂の流出の防備、土砂の崩壊の防備等の公益上の目的を達成するため必要があるときは、森林を保安林として指定でき(森林法二五条)、また、保安林について、その指定の理由が消滅したときは、遅滞なくその部分につき保安林の指定を解除しなければならず、公益上の理由により必要が生じたときは、その部分につき保安林の指定を解除できる(同法二六条)旨が定められている。

これらの規定によれば、農林水産大臣は、公益上の目的を達成するため必要があるときに限り、森林を保安林に指定でき、また、その指定の理由が消滅したとき又は別の公益上の理由が生じたときに限り、保安林の指定を解除できる権限があることが認められる。

(2) 保安林の一部解除の違法性について

原告らは、農林水産大臣が、スキー場設置に際し、蔵助沢周辺の土砂流出防備保安林及び水源かん養保安林の一部を解除したことは、スキー場設置が国土保全以上の公益上の理由によるものとは認められず、また、解除後の昭和四一年六月に蔵助沢の流域の一部が砂防指定地に指定され同年九月から昭和四四年一二月にかけて三基の砂防堰堤が築設されていることに照らすと、解除後も蔵助沢流域には土砂流出の危険性が継続していたものであり、保安林の指定の理由が消滅したものとも認められず、結局、右保安林の一部解除は前記解除事由に該当しない違法な解除である旨の主張をするので、この点について検討する。

ア 前記第二の二3において認定したとおり、蔵助沢を含む一帯の山林は青森営林局弘前営林署管理の国有林野であり、蔵助沢の標高約八〇〇メートル以上の区域は、森林法により土砂流出防備保安林と指定されていること、百沢スキー場の指定に伴い、青森営林局長は、右スキー場指定地にかかる土砂流出防備保安林の一部解除の申請を行い、昭和三九年八月一八日、国は右保安林の一部六.九二ヘクタールを解除し、そのうち蔵助沢流域の解除部分は百沢スキー場の最上部分四.一四ヘクタールであったことなどの各事実が明らかである。

イ 更に、前記第二の二2において認定したところによれば、青森営林局は、百沢スキー場予定地を現地調査した結果、地形はスキー場に適しており、地盤は安定し、崩壊地もなく、保残帯を適宜設置することにより土砂流出防備機能を損なうなどの林地保全上の支障も生じないなどの判断をしたうえ、昭和三九年二月農林水産大臣がスキー場に指定したことが明らかである。

そして、前記第五において認定したとおり、その当時、土石流についての科学的知見は乏しかったのであるから、土石流発生の危険性についての調査がなされていないからといって右指定が杜撰なものということはできない。

ウ また、右保安林解除後の昭和四一年六月に蔵助沢流域の一部が砂防指定地に指定され、その後、同年九月から昭和四五年二月にかけて、二基の床固工、一基の砂防堰堤が築設された事実が認められるが、前記第七の一1(三)において述べたように、砂防指定地とは、治水上砂防の予防的な目的のため、砂防施設を設置し又は土砂の生産流下を促す砂防上有害な一定の行為を禁止もしくは制限することのできる区域を指し、蔵助沢流域の一部が砂防指定地に指定された事実等から、土砂災害の具体的危険性が存在していたことの証左であると認めることはできず、右スキー場の指定が土砂災害発生の危険性が高い場所になされたものとはいえない。

エ 以上によれば、右スキー場指定に伴う前記保安林の一部解除は、森林法二六条一項の「指定の理由が消滅したとき」の解除事由に該当すると判断したことに著しい裁量の誤りがあるとは認められず、農林水産大臣の行った前記土砂流出防備保安林の一部解除は、裁量の範囲内の解除権限の行使であり、違法とは認められない。

オ なお、原告らは、右土砂流出防備保安林以外に水源かん養保安林を違法に一部解除した旨の主張をしているが、前記第二の二3において認定したとおり、前記土砂流出防備保安林の下部国有林が水源かん養保安林に指定されたのは、百沢スキー場指定以後の昭和四六年であり、右指定以後、右水源かん養保安林が指定解除された事実は本件全証拠によっても認められない。従って、原告らの右水源かん養保安林に関する主張は、前提事実が認められず、採用できない。

(3) 保安林の一部解除区域の森林伐採と本件土石流との関係

原告らは、保安林を一部解除した区域の森林を伐採したことから、森林のもつ理水機能、山地荒廃防止機能、土石流抑止機能を著しく低下させ、それが一因となって本件土石流が発生し、あるいは拡大させた旨の主張をするので、この点について検討する。

前記第二の二4(二)において認定したところによれば、昭和三九年八月に百沢スキー場の最上部の部分にかかる土砂流出防備保安林の一部四.一四ヘクタールについて保安林の指定を解除したこと、昭和四二年度に右解除区域のうち三.八七ヘクタールの区域の広葉樹等の立木が皆伐されたこと、しかし、右伐採跡地は翌年から萌芽更新され、本件災害当時は概ね八年生程度の天然の広葉樹林となっていたことが認められ、その他に、蔵助沢流域の保安林が解除、伐採された事実は認められない。

右事実によれば、本件土石流発生時には、右伐採区域は天然の広葉樹林に萌芽更新されており、裸地ではなく、また、本件全証拠によっても、右伐採区域が崩壊し、蔵助沢に多量の土砂や水を流出させたと認めるに足りる証拠はない。

また、前記第四の二において考察した如く、森林の土石流抑止機能については定説がない状態である。

従って、右土砂流出防備保安林を一部解除し、その解除区域の森林を伐採したことと、本件土石流の発生、拡大との間には因果関係を推定することはできず、原告らの右主張は採用できない。

(4)  以上のとおり、農林水産大臣のした蔵助沢流域の保安林指定解除は違法なものとは認められず、また、右保安林解除区域の森林伐採が本件土石流の発生拡大原因になったものとも認められないから、被告国(農林水産大臣)に蔵助沢周辺保安林についての管理義務違反があったものとは認められず、右管理義務違反を前提として被告国に責任があるとする原告らの主張は、その余の点について判断するまでもなく、採用できない。

(二) 国家賠償法二条一項に基づく損害賠償責任について

(1) 前記第二の二3において認定したとおり、蔵助沢を含む一帯の山林は、青森営林局弘前営林署の管理する国有林野であること、蔵助沢流域の国有林のうち、標高約八〇〇メートル以上の区域は、明治三一年ころに旧森林法により保安林(風致林)に指定され、現行森林法により土砂流出防備保安林に指定されていること、更に、昭和四六年三月には、右土砂流出防備保安林の下部国有林のうち、百沢スキー場区域の大部分及びキャンプ場等を除いた区域が、水源かん養保安林に指定されたことが認められる。

(2) 保安林と公の営造物

国家賠償法二条一項にいう「公の営造物」とは、無過失損害賠償責任を基礎付けるものであるから、国又は公共団体等の行政主体により、直接、公の目的のために供用される有体物及び物的設備を指称すると解すべきである。

ところで、保安林は、災害の防止、水源のかん養その他の公共の目的を達成するため、農林水産大臣又は都道府県知事によって指定され(森林法二五条、四〇条)、森林法上特定の制限ないし義務を課せられる森林であるが、森林所有者等がその権原に基づき森林の育成並びに使用収益を行うことそのものを否定するものではなく、それを前提としつつ適切な森林施業を遵守させ、もって、森林の公益的機能を確保し公共の目的達成を図ろうとするものであって、もとより、保安林として指定された森林を直接一般国民の使用に供するものではなく、また、直接行政主体自身の使用に供するものでもない。従って、保安林は国家賠償法二条一項にいう「公の営造物」には該当しないというべきである。

なお、前記土砂流出防備保安林及び水源かん養保安林は国有林野であることから、国有林が右「公の営造物」に該当するかについても検討するに、国有林野は、行政財産(公物たる財産)であり、間接的には治山、営林事業等を通して国民の福祉に寄与するものではあるが、直接に公の目的に供されているものということはできないことから、「公の営造物」には該当しないと解するのが相当である。

(3) 従って、前記保安林が公の営造物であることを前提として被告国に国家賠償法二条一項による責任があるとする原告らの主張は、その余の点について判断するまでもなく、採用できない。

3  蔵助沢の管理義務違反について

原告らは、被告国(建設大臣)は、蔵助沢の所有者兼管理者として蔵助沢流域の水流の安全を確保すべき管理監督権限を有しているところ、四一年調査により蔵助沢が土石流発生危険区域であることが明らかになったから、河川管理者としての国は、蔵助沢における土石流災害の発生を事前に防止するために、自ら定期的に河川の状況や設置されているダム等の施設の状況を点検したり、青森県や岩木町に対して、蔵助沢の安全性を維持管理するための指導、助言をするなどの河川管理をなすべき義務があるのにこれを怠り、その結果、本件災害を防止し得なかったものであり、これは公務員の作為義務に反する違法な行為であり、また、蔵助沢流域の森林を伐採して、森林のもつ理水機能、土石流抑止機能等を低下させたり、スキー場開設に伴い蔵助沢の自然の流路を人為的に変更するなどして水流の安全な流下を妨げ、その結果、本件土石流を発生させ、あるいは拡大させたものであり、これは公務員(建設大臣)の故意又は過失に基づく作為による違法な管理義務違反行為であり、被告国は国家賠償法一条一項により損害賠償責任を負う旨の主張をするので検討する。

(一) 不作為による管理義務違反の主張について

蔵助沢は国有林野内を流下する渓流であることから、被告国は蔵助沢の所有者であり、かつ渓流の管理者として、蔵助沢流域の水流を安全に下流に流下させる管理権限を有しているものと解される。

そして、原告らは、四一年調査により、蔵助沢が土石流発生危険区域と指摘されたことから、被告国は、蔵助沢に土石流災害が発生することを予見し、又は、予見し得る状況にあったものであり、右土石流災害の発生を事前に防止すべく、万全の措置を講ずべき管理義務を負っていたものであると主張する。

そこで、被告国(建設大臣)において、本件災害発生当時、蔵助沢に本件のような土石流災害が発生する具体的危険を予見していたか、又は、容易に予見し得る状況にあったかどうかを検討するが、この点については、前記第七の一1(三)における認定のとおりであるから、被告国(建設大臣)が、本件災害当時、蔵助沢において、本件のような土石流が発生する具体的危険を予見していたか、容易に予見し得る状況にあったものと認めるには足りないというべきである。

従って、被告国(建設大臣)には、土石流発生についての具体的予見可能性があったことを前提にした、土石流発生防止のための所論主張の作為義務はいずれも認められない。

(二) 作為による管理義務違反の主張について

(1) 原告らは、被告国(建設大臣)は蔵助沢の自然の流路を人為的に変更して流路を狭隘にし、その安全性を著しく損なった旨の主張をするが、これを認めるに足りる証拠はない。

(2) 原告らは、被告国は、蔵助沢流域の森林を伐採したことから、森林のもつ理水機能、土石流抑止機能を低下させ、その結果、多量の降雨水が直接蔵助沢に流れ込むなどして、本件土石流を発生ないし拡大させた旨の主張をするので、この点について検討する。

前記第二の二3、4において認定したところによれば、蔵助沢流域の国有林野の面積は約一二〇ヘクタールであること、そのうち百沢スキー場開設前の昭和三八年度までに伐採された面積は一九.四一ヘクタールであり、右スキー場開設後、昭和四三年度までに伐採された面積は四三.一二ヘクタールであること、右伐採跡地は、右スキー場のゲレンデ等敷地の部分を除き、伐採翌年から萌芽更新により森林の再生が図られ、本件災害当時は概ね一〇年生程度の天然の広葉樹林となっていたこと、右伐採跡地のうち、右スキー場のゲレンデ等敷地として、森林の再生が図られず無立木地帯として存置されたのは一六.〇九ヘクタールに過ぎず、しかも右無立木地帯も本件災害当時は、笹等の草木類に覆われている部分も多く、全くの裸地ではなかったことが認められる。

そして、右蔵助沢流域の森林伐採と本件土石流の関係については、前記第四の二、三において詳述したとおり、蔵助沢流域の森林伐採が、森林のもつ治水機能を著しく低下させ、本件土石流の発生原因または土石供給源となるなどの拡大原因となったものとは認められず、また、無立木地帯による洪水流量の増大の影響についても、前記第四の三3(一)において詳述したとおり、無立木地帯による洪水流量の増加は、最大限に見ても、被災地付近の本件土石流の最大洪水流量のせいぜい四パーセント程度に過ぎず、この程度の増加量では本件土石流の拡大原因となったものと認めるには足りないというべきである。

従って、蔵助沢流域の森林を伐採したことと、本件土石流の発生、拡大との間には因果関係を推定することはできず、原告らの右主張は採用できない。

(3) 以上のとおり、蔵助沢流域の森林伐採が本件土石流の発生拡大原因になったものとは認められないから、被告国(建設大臣)には作為による蔵助沢の管理義務違反があったとは認められず、右管理義務違反を前提として被告国に責任があるとする原告らの主張は、その余の点について判断するまでもなく、採用できない。

4  降水量観測の不実施について

原告らは、被告国(内閣総理大臣)が、四一年調査により蔵助沢が土石流発生の危険性が極めて高い場所であり、土石流による災害発生の蓋然性が高い渓流であることを十分認識し得たのであるから、少なくとも四一年調査の結果が判明した時点から、土石流による災害を事前に予知するためには不可欠である降水量の継続的観測を蔵助沢において実施するよう運輸大臣を指揮すべき責務を負っていたにも拘らず、右責務を怠り、蔵助沢における降水量観測を全く実施しなかったのみならず、被告青森県、被告岩木町に対しても、何らの指導、助言もすることなくこれを放置したことは、被告国(内閣総理大臣)の国民に対する故意又は過失に基づく不作為による違法な義務違反行為であり、被告国は国家賠償法一条一項により損害賠償責任を負う旨の主張をするので検討する。

(一) 国の権限

災害対策基本法三条によれば、内閣総理大臣は防災に対する総括責任者であり、その指揮下にある運輸大臣は、気象業務法により、気象、地象、水象等の観測、調査及び研究を行い、気象、地象、水象を予報し警報する業務権限を有し、右業務は気象庁が所掌している(運輸省設置法)が、同時に、現行法上、右権限の行使を義務付ける規定をおいておらず、どのような観測をどこの観測点においてどのような方法で行い、その観測成果に基づいてどのような予報、警報を出すかは、運輸大臣の裁量に属しており、個々の国民に対し、気象等についての予報、警報を出すべき具体的義務を負っているものではない。

(二) 権限不行使の違法性

前記のとおり、運輸大臣が、特定地域である蔵助沢において継続的に降水量観測を実施するかどうかは、その裁量に委ねられていることから、その権限を行使するよう指揮しないことが、被告国(内閣総理大臣)の義務懈怠となり違法となることは原則としてないというべきである。

しかし、前記第七の一1(二)において詳論した要件に該当するときには、その指揮権限の行使が義務付けられるというべきである。

ところで、本件の場合、前記第二の四において認定したとおり、本件災害当時、青森県下における水理水害を含めた各種気象観測施設は、それぞれ各観測業務を適正に行い、また、右各種気象観測施設から得られた情報の外に、秋田地方気象台及び函館海洋気象台に設置してある気象用レーダーにより得られた各資料に基づいて、青森地方気象台は、前記第三の一において認定したとおり、各種注意報、警報等を発表していた。また、岩木山周辺における雨量観測施設としては、前記第二の四3において認定したとおり、アメダスが五か所、地区農業気象観測所が一か所、弘前に気象通報所が一か所、測候所が一か所、無線ロボット雨量計が一か所各設置され、正常にそれぞれ機能していた。これらの事実によれば、本件災害当時、青森地方気象台は適正に気象業務を遂行していたものであるということができる。

従って、被告国(内閣総理大臣)が、右各気象観測業務の外に、土石流災害防止のため、特定地域である蔵助沢において、降水量観測設備を設置し、間断なく降水量の観測を実施するよう運輸大臣を指揮する義務を負っていたものと認められるためには、まず、蔵助沢に土石流が発生し、流域住民の生命、身体に対する具体的危険性が切迫していることを予見していたか、容易に予見し得る状況にあったことが必要である。

しかしながら、前記第七の一1(三)において詳論したように、四一年調査の内容、本件災害発生当時の土石流研究の状況に照らして、本件災害当時、被告国(内閣総理大臣)は、蔵助沢において、本件のような土石流が発生する具体的危険性を予見していたか、容易に予見し得る状況にあったものとは認められない。

従って、被告国が蔵助沢において土石流が発生する具体的危険性を予見し、又は予見し得たことを前提とし、内閣総理大臣の蔵助沢流域における継続的な降水量観測を運輸大臣に指揮し、あるいは被告青森県及び被告岩木町に対し何等かの指導、助言をすべき義務は認められない。

なお付言すれば、前記第五の二認定の事実によれば、仮に蔵助沢において降水量の継続的観測を実施していたとしても、前記第五の三認定のとおり、本件災害当時の土石流に関する研究水準に照らせば、土石流の発生を事前に予知し、災害を回避し得たということはできず、回避可能性の点からも、被告国(内閣総理大臣)には、蔵助沢において継続的な降水量観測を実施するよう指揮しなければならない義務は認められない。

(三) 従って、被告国(内閣総理大臣)に蔵助沢の降水量観測を指揮指導すべき義務違反があることを前提として被告国に責任があるとする原告らの主張は、その余について判断するまでもなく、採用できない。

5  防災対策の不実施について

原告らは、被告国(内閣総理大臣)は、災害対策基本法三条により、災害予防のための総括責任者として、各地方公共団体に対し、地域防災計画の作成実施を勧告、指導、助言する権限を有しているところ、四一年調査により蔵助沢が土石流発生の危険性が高い場所であることが判明したことから、被告国(内閣総理大臣)は、蔵助沢が土石流発生の危険にさらされていることを予見し得たはずであり、また、右調査以後、本件災害発生までに各地の土石流災害についての報告を各地方公共団体から受けていたことに照らすと、蔵助沢における土石流発生の危険性が年毎に増大して行ったことを予見し得たはずであるから、被告国(内閣総理大臣)は蔵助沢流域の住民を土石流災害から守るために万全の措置を講じる具体的責務、即ち、被告青森県及び被告岩木町に対し防災対策についての適切な勧告、指導を行うべき義務を負っていたにも拘らず、被告国(内閣総理大臣)は右責務を怠り、被告青森県、被告岩木町に対しても、何らの勧告、指導もすることなくこれを放置したことは、被告国(内閣総理大臣)の故意又は過失に基づく不作為による違法な義務違反行為であり、被告国は国家賠償法一条一項により損害賠償責任を負う旨の主張をするので検討する。

(一) 国の権限

災害対策基本法三条によれば、被告国(内閣総理大臣)は、国土並びに国民の生命、身体及び財産を災害から保護するために防災に関し万全の措置を講ずる一般的抽象的責務を負い、右責務遂行のため、各地方公共団体に対し、地域防災計画の作成実施を勧告、指導、助言する権限を有していることが認められる。しかし、同時に、同法は、右権限の行使を義務付ける規定をおいていないことから、右権限を行使するかどうかは、被告国(内閣総理大臣)の裁量に属していると解される。

(二) 権限不行使の違法性

前記のとおり、被告国(内閣総理大臣)が、災害予防のため各地方公共団体に対し、地域防災計画の作成実施を勧告、指導、助言する権限を行使するかどうかは、被告国の裁量に委ねられているため、その権限を行使しないことが、被告国(内閣総理大臣)の義務懈怠となり違法となることは原則としてないというべきである。

従って、前記第七の一1(二)において詳論した要件の有無を検討することとなるが、右要件の適用に当たっては、一律に判断すべきではなく、公務員の負うべき義務の内容に応じて、具体的事案に即し、個別具体的に判断すべきである。蓋し、国(公務員)の具体的権限の行使が、予算や人員の負担をさほど伴わず、容易であり、かつ、その権限の行使により結果防止の効果がある程度具体的に見込まれるときには、前記の第一の要件、即ち、予見可能性の判断は、軽減されると考えるのが相当である。なぜなら、右のような場合にまで、具体的あるいは切迫した危険の予見を要件とすることは均衡を失し合理性を欠くと考えられるからである。

これを本件についてみると、これまで認定したとおり、土石流に関しては、物理的(ハード面での)方法による防災が困難であり、むしろ土石流の危険性に関し最新の知識を有する行政機関が、危険区域に居住する住民に対して災害発生危険区域に居住していることを知らせ、防災教育を施し、避難体制を整備するなどの防災対策(ソフト面の対策)を採ることが重要と考えられるところ、右の方法は、国あるいは地方公共団体に財政その他の面で多大な負担を負わせるものではなく、その権限の行使は容易であるといわざるを得ない。従って、この権限の行使を義務付けるか否かを判断するについて、土石流災害発生の予見可能性の程度は、蓋然性の程度で足りると解するのが相当である。そうすると、前記四一年調査において甲型の④型に分類された蔵助沢については、少なくとも結果発生の蓋然性を示していると解することができる。

これに対し、被告国は、土石流危険区域を周知させることで地価の低下等の損害を発生させるおそれもあると主張するが、住民の生命、身体という重大な法益保護のためには、右の程度の損害の発生は甘受せざるを得ないと考えるのが合理的であり、右主張は採用できない。

しかしながら、仮に被告国が十分な防災対策を被告青森県、同岩木町に指導、助言し、対策が実施されたとしても、本件災害発生当時、本件災害が回避し得たかについては、多大の疑問が存する。なるほど原告らも主張する如く、土石流災害は、洪水等に比較して狭い範囲(本件の場合、県道付近で幅約一〇〇メートル)で発生するため、適切な時に避難することによって回避し得ると考えられるのであるが、既述のように、土石流については、その発生時期を的確に予知することができず、確実な前兆現象も知られていないため、勢い避難訓練、避難警報、避難勧告のいずれを考えても、十分な根拠と説得力を持たないものとなり、過去に土石流災害を体験あるいは身近に見聞したことのない、百沢地区住民らに対しては、机上では十分な土石流防災対策も、現地においては、信頼感を持たれず、結局実効性を持たなかった蓋然性が高いと考えられるのである。住民らが、一定以上の豪雨のたびに避難を繰り返すことのできないことは容易に想像し得ることである。従って、被告国(内閣総理大臣)には、防災対策を完備させるべき義務について、予見可能性は認められるが、結果回避可能性が認められないといわざるを得ない。

以上のとおり、被告国(内閣総理大臣)には、被告青森県、同岩木町に対する土石流対策のための法的な勧告、指導義務は認められないものである。

なお、既述の如く、被告国が四一年調査を青森県担当者に対し事項と指示したため、その情報が青森県段階で止まり、具体的に防災対策あるいは防災教育を講ずべき岩木町にまで達しておらず、更に地域住民もそれを知る機会がなかったことについては、被告国の対応の相当性にいささか疑問がないわけではない。災害が発生しなければ地域住民の防災意識が現実には高まらないことを肯定せざるを得ないとしても、危険地域の住民に周知させることや日頃からの防災教育が全く無益であるとは認められず、住民の防災意識を長期的には高める効果は否定できないと思われる。

もっとも、右の点は、被告国の裁量権の範囲内での不相当性に止まるのであって、前述のとおり、被告国に土石流対策のための勧告、指導の義務があるとは認められないのであって、法的にはその点の責任はないといわざるを得ない。

(三) 従って、被告国に不作為による防災対策義務違反があることを前提として被告国に責任があるとする原告らの主張は、その余について判断するまでもなく、採用できない。

6  以上のとおり、被告国が本件土石流災害に対して国家賠償法に基づく責任を負う旨の各主張は、いずれも理由がなく、採用できない。

二被告青森県の責任について

1  砂防指定地の管理義務違反について

原告らは、青森県知事は、蔵助沢流域の砂防指定地について、土石流等の土砂害の防止、軽減を図るため、砂防上有害な行為を禁止、制限し、また同指定地を監視し及び同地域内の砂防設備を管理維持する権限及び義務があるところ、四一年調査により蔵助沢が最も危険性の高い土石流発生危険区域であることが明らかになったから、青森県知事は、土石流対策のため、砂防上有害な行為を禁止、制限するのは勿論、日々の蔵助沢の状況を調査、監視し、更に、既存の砂防施設の管理、点検、補修、維持に努め、場合によっては新たな砂防施設を設置すべき義務があるのにこれを怠り、その結果、本件災害を防止し得なかったものであり、これは公務員たる青森県知事の作為義務に反する違法な行為であり、被告青森県は国家賠償法一条一項により損害賠償責任を負う旨の主張をするので検討する。

(一) 青森県知事の権限

地方公共団体は、砂防法五条により、その管内において、建設大臣が砂防指定地に指定した土地(同法二条)を監視し及びその管内における砂防設備を管理しその工事を施行しその維持をなす義務を有しており、同法三一条により、砂防指定地の監視のため並びに砂防設備管理のために吏員をおく義務を負っていることが認められ、これらによれば、青森県知事は、青森県内の砂防指定地に関して、砂防指定地を監視及び砂防設備を管理しその工事を施行しその維持をなす一般的権限を持ち及び義務を負い、また、砂防指定地の監視のため及び管理のため吏員を置く一般的権限及び義務を負うことが認められる。しかし、同時に、砂防法は右権限の行使を地方公共団体に具体的に義務付ける規定をおいていないことから、右一般的権限を行使するかどうかは、青森県知事の裁量に属しているものというべきである。

(二) 権限不行使の違法性

前記のとおり、青森県知事が、砂防指定地に関して、砂防指定地を監視し、砂防設備を管理し、その工事及び維持をなすかどうか、並びに、砂防指定地の監視及び管理のために吏員を置くかどうかは、青森県知事の裁量に委ねられていることから、その権限を行使しないことが、青森県知事の具体的義務懈怠となり違法となることは原則としてないというべきである。

しかし、前記第七の一1(二)において詳論したのと同様の要件に該当するときには、その権限の行使が具体的に義務付けれているものというべきであり、この義務に違反し権限を行使しない場合は違法となるものというべきである。

ところで、本件の場合、第二の三において認定したとおり、青森県知事は砂防指定地である蔵助沢に、昭和四一年九月に一号床固工を、昭和四四年一一月に二号堰堤を、昭和四五年二月に三号床固工をそれぞれ設置し、その後は、定期的な点検活動はしておらず、降雨量が多かったときや、下流で河川が氾濫したりした場合に、渓流の荒廃状況や堰堤の堆砂状況を調査したに過ぎず、それ以外には、蔵助沢の渓床や右各砂防施設について土石流対策のための特別な調査監視活動をしたり、新たな砂防施設を設置したりしなかったことが認められる。

しかしながら、青森県知事の右のような不作為が違法となるかどうかは、右作為義務の内容を考慮すると、青森県知事において、蔵助沢に本件のような土石流が発生し、蔵助沢流域住民の生命・身体に対する具体的危険が切迫していたことを予見していたか、又は、容易に予見し得る状況にあったかどうかにかかると解されるが、前記第七の一1(三)において詳論したように、四一年調査の内容、本件災害当時の土石流研究の状況に照らして、本件災害当時、青森県知事は、蔵助沢において、本件のような土石流が発生する具体的危険性を予見していたか、予見し得る状況にあったものとは認められない。

従って、青森県知事には、蔵助沢において土石流が発生する具体的危険性を予見し、又は、予見し得たことを前提とする、管理義務違反は認められない。

(三) 従って、青森県知事に不作為による蔵助沢の管理義務違反があることを前提として被告青森県に責任があるとする原告らの主張は、その余について判断するまでもなく、採用できない。

2  防災対策の不実施について

原告らは災害対策基本法四条一項により、青森県知事は、住民の生命、身体及び財産を災害から保護するため、防災計画の作成と実施、関係市町村の防災事務又は業務の助成等を行う権限と責務を有し、また、消防組織法二四条の二により、青森県知事は、台風、水害等の非常事態の場合、市町村に対して災害防御の措置に関し必要な指示をすることができるなどの権限を有しているところ、四一年調査により蔵助沢が土石流発生危険区域であることを認識し得たところから、青森県知事は、警報施設の整備、警報避難体制の確立、付近住民に対する土石流発生の危険性の周知徹底等を自ら行い、もしくは被告岩木町をして十分に行わせるべき義務を負っていたにも拘らず、青森県知事は右義務を怠り、被告岩木町に対しても何らの指導、助言、監視をすることなく放置したことは、公務員である青森県知事の故意又は過失に基づく不作為による違法な義務違反行為であり、被告青森県は国家賠償法一条一項により損害賠償責任を負う旨の主張をするので検討する。

(一) 青森県知事の権限

災害対策基本法四条一項によれば、都道府県は、当該都道府県の住民の生命、身体及び財産を災害から保護するため、地域防災計画の作成と実施、関係市町村の防災事務又は業務の助成、かつ、その総合調整を行う権限と責務を有し、また、消防組織法二四条の二によると、都道府県知事は、水火災等の非常事態の場合において、緊急の必要があるときは、市町村長等に対して災害防御の措置に関し必要な指示をすることができる権限を有することが認められるが、同時に、右各法律は、右権限の行使を義務付ける規定を置いていないことから、右権限を行使するかどうかは都道府県知事の裁量に属しているものと解される。

(二) 前記のとおり、青森県知事の右権限行使は、その裁量に属するから、その権限を行使しないことが、義務懈怠となることは原則としてないが、前記の要件に該当するときは、それが義務付けられる。

しかし、前記第七の一5(二)において詳論したように、仮に、青森県知事において、蔵助沢流域住民に土石流発生危険区域であることを知らせ、警報避難体制を確立していたとしても、本件土石流災害を容易に防止し得たものとは認められず、結局、結果回避可能性に多大の疑問があり、青森県知事に防災対策の法的義務は認められない。

なお、前記第七の一5(二)において述べたとおり、被告青森県が、四一年調査の結果を被告岩木町にさえ伝達しなかったことは、相当でなかったと考えられるが、右の点は、いまだ右認定を左右するものとはいえない。

(三) したがって、青森県知事に不作為による防災対策義務違反があることを前提として被告青森県に責任があるとする原告らの主張は、その余について判断するまでもなく、採用できない。

3  以上のとおり、本件災害に関して被告青森県に国家賠償法に基づく責任があるとの各主張は、いずれも理由がなく、採用できない。

三被告岩木町の責任について

1  スキー場の設置、管理の瑕疵について

原告らは、百沢スキー場は、被告岩木町が設置、管理している公の営造物であるところ、四一年調査により蔵助沢が土石流発生危険区域とされたにも拘わらず、被告岩木町は、蔵助沢との関係で同スキー場を整備することもなく、同スキー場のゲレンデ部分拡張のため蔵助沢を埋立てるなどし、沢としての機能を低下させ、その結果、本件土石流を発生ないし拡大させたものであるから、被告岩木町の同スキー場の設置、管理には重大な瑕疵があり、被告岩木町は、国家賠償法二条一項により損害賠償責任を負う旨の主張をするので検討する。

(一) スキー場と公の営造物

前記第七の一2(二)(2)において述べたとおり、国家賠償法二条一項にいう「公の営造物」とは、国又は公共団体等の行政主体により、直接、公の目的のために供用される有体物及び物的設備を指称すると解される。

ところで、百沢スキー場は、第二の二において認定したとおり、被告国が、国有林野の一部を国定スキー場区域と指定したものであること、被告岩木町は右指定を受け、右スキー場区域内にスキーリフト、ヒュッテ、ロープトウを、右区域外に駐車場をそれぞれ設置するための敷地を被告国から借り受け、右各施設を設置し、管理運営を行ってきていること、右借受地以外のスキー場ゲレンデ部分等については、夏冬を問わず岩木町職員が事実上管理してきていることなどの事実が認められ、これによれば、被告岩木町は、国民の福祉厚生に寄与するという公の目的のため、スキー場の一部を借受けて、スキー場施設を設置管理し、右借受地以外のスキー場のゲレンデ部分等については事実上管理していることが認められ、右スキー場は被告岩木町の管理する公の営造物と認めることができる。

被告岩木町は、百沢スキー場は単に山地の自然な状態を国民に利用させているに過ぎないから、直接公の目的に供用されているとはいえないと主張するが、被告岩木町は、前記の如き物的施設を設置して多数のスキー客の来場を積極的に促しているのであるから、単に結果的に国民の福祉に役立っているばかりでなく、右スキー場は直接公の目的に供されていると認めるのが相当であり、被告岩木町は、右スキー場がスキー客や周辺住民に危険を及ぼさないように十分な管理をする義務があるといわなければならない。

(二) スキー場の設置・管理の瑕疵

原告らは、被告岩木町によるスキー場の設置に伴うスキー場区域の森林伐採により、蔵助沢に多量の土砂や水を流入させたものであり、また、岩木町職員らがゲレンデ部分拡張のために蔵助沢を埋め立てて、安易なヒューム管、U字溝設置工事を行い、あるいはゲレンデ平坦化工事のためにアップルロード残土をスキー場に搬入したりしたことにより、蔵助沢の流路が埋め立てられるなどして、水流を安全に下流に流下させることができなくなり、これらが本件土石流の発生、拡大要因になっており、スキー場の設置・管理に瑕疵があった旨の主張をしている。

しかし、スキー場の設置、森林伐採については、前記第四の三3において詳論したとおり、スキー場区域の森林伐採により洪水流量の増大は、被害地付近の本件土石流の最大洪水流量のせいぜい四パーセントに過ぎないこと、スキー場ゲレンデ部分の一部を埋立てた土砂礫の量が、百沢地区の通過した土砂量の中に占める割合は約〇.五パーセントに過ぎないこと、スキー場ゲレンデの平坦化作業に使用したアップルロード残土のうち本件土石流により流出した量は、百沢スキー場を通過して流下した土砂量の約五.六パーセントに過ぎないことが認められ、これらによれば、蔵助沢の埋立てやアップルロード残土の搬入が本件土石流の発生・拡大要因となったものとは認められない。

従って、仮に百沢スキー場の設置・管理に関し、原告ら主張の如く、いささか杜撰な点が認められるとしても、その点と本件土石流災害の発生ないし拡大との間に相当因果関係を認めることはできない。

(三) 以上のとおり、被告岩木町のスキー場の設置・管理と本件土石流災害との間に相当因果関係がないから、被告岩木町に国家賠償法二条一項に基づく責任があるとする原告らの主張は、その余について判断するまでもなく、採用できない。

2  防災対策の不実施について

原告らは、災害対策基本法五条一項により、被告岩木町は、住民の生命、身体等を災害から保護する権限と責務を有し、岩木町長は、災害に関する情報の収集及び伝達に努め、災害の発生するおそれのある場合は、住民の生命、身体を災害から保護するため、関係機関に対し、避難のための立退きの勧告又は指示をなすなどの権限を有しているところ、岩木町長は、蔵助沢流域が土石流発生危険区域であり、かつ砂防指定地であることを認識し得たはずであるから、岩木町長は、蔵助沢流域の住民に対し土石流発生の危険性についての警告や、警報避難体制の確立を図る義務を負っていたにも拘らず、これを怠り、何らの方策を講じることなく放置したことは、公務員たる岩木町長の故意又は過失に基づく不作為により違法な義務違反行為であり、被告岩木町は国家賠償法一条一項により損害賠償責任を負う旨の主張をするので検討する。

(一) 岩木町長の権限

災害対策基本法五条一項によれば、市町村長は、基礎的な地方公共団体として、当該市町村長の住民の生命、身体及び財産を災害から保護するため、地域防災計画の作成と実施を行う権限と責務を有し、また、具体的には、同法五一条により、市町村長は、災害に関する情報の収集及び伝達に努め、同法五六条により、災害に関する予報若しくは警報を知ったときには、その事項を関係機関及び住民に伝達し、同法六〇条により、災害が発生するおそれのある場合において、人の生命又は身体を災害から保護するため特に必要があると認めるときは、関係機関に対し、避難のための立退きの勧告又は指示をなすなどの権限を有していることが認められるが、同時に、右権限の行使を義務付ける規定を置いていないことから、右権限を行使するかどうかは市町村長の裁量に属しているものと解される。

(二) 前記のとおり、岩木町長の右権限行使は、その裁量に属するから、その権限を行使しないことが、義務懈怠となることは原則としてないが、前記の要件に該当するときは、それが義務付けられる。

しかし、前記第七の一5(二)において詳論したように、災害対策実施の容易性と、災害発生の蓋然性は認められるものの、仮に、蔵助沢流域住民に対し、土石流発生についての警戒を促し、避難を指示、助言したとしても、本件土石流災害が容易に防止し得たものとは認められず、結果回避可能性に重大な疑問がある以上、岩木町長の防災対策義務は認められない。

(三) 従って、岩木町長に不作為による防災対策義務違反があることを前提として被告岩木町に責任があるとする原告らの主張は、その余について判断するまでもなく、採用できない。

3  以上のとおり、原告らの本件災害に関して被告岩木町に責任があるとの各主張は、いずれも理由がなく、採用できない。

第八結論

以上の次第で、原告らの被告らに対する請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官竹内純一 裁判長裁判官安原浩、裁判官古川龍一は転補のため署名押印することができない。裁判官竹内純一)

別紙<省略>

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